評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
生命保険にニーズはあるか?
現在発売中の週刊ダイヤモンドの私の連載でも述べているが、生命保険の意味をファイナンス的に解釈すると「人的資本(の価値に)対するヘッジ」ということになる(死亡保険の場合)。
たとえば、現在2000万円の金融資産と、1億円の人的資本を持っている35歳のサラリーマンがいるとして、彼の人的資本の価値は、収入の変動などによっても変化するが、死亡した場合はゼロになるので、広義の資産運用の意思決定としては、この人的資本をなにがしかのコストを掛けてでもヘッジしたい、というニーズはありうる。
ここで、人的資本とは、一人の人間の価値を株価のように考えた概念で、たとえば、将来の予想収入を、金利よりもかなり高いそれなりの割引率(人的資本は流動性が乏しく換金できないし、また死亡や病気等のリスク、職業が不調に陥るリスクも当然ある)で現在価値に割り引いて合計したものだ。上記の35歳のサラリーマンは、今後の人生で2億円くらいの収入を稼ぐかも知れないが、「人的資本」として評価すると、1億円くらいのものではないだろうか。「証券アナリストジャーナル」の8月号に翻訳が載った、Peng Cheng, Roger G. Ibbotsonらの論文では、このように定義されている。
もっとも、人的資本をこのように定義するのがいいかどうか、については、議論があり得るだろう。稼ぐためには、当然、食費その他の生活費のコストが掛かるから、「利益の割引現在価値」として人的資本を評価するなら、稼ぎに必要な最低限の生活費(どうやって計測するか別の問題が持ち上がるが)を差し引いた稼ぎの割引現在価値の合計を考える必要がありそうだ。
先の論文では、資産配分の期間を一年として、生きている状態の資産と遺産に対する評価の差を表す変数、一年以内に自分が死ぬことの主観的確率、をそれぞれ考慮して、生きている状態の効用関数(金融資産の期待額と人的資本の期待値の合計に対して定義される)と、遺産に対する効用関数(金融資産額と死亡保険金)の値を、加重合計するような形で、金融資産と人的資本と生命保険(生命保険をふやすと保険金は増えるが、保険料が掛かるので金融資産の額が減る)総合的な効用関数を定義して、この最大化の問題として、資産配分の問題を解くフレームワークを提示しており、年齢と生命保険のニーズ、資産配分におけるリスク資産の比率、といった具合に、幾つかの変数間の関係を分析している。
このように問題を定式化したのだから当然ともいえるが、「生命保険に関する意思決定と、資産配分(アセット・アロケーション)に関する意思決定は、人的資本を考慮して、同時に行われなければならない」というのが、この論文の結論で、これは説得的だ。(保険屋のおねえさんと相談しただけで、生命保険について決断してはいけないのだ!)また、こうした考え方は、今後のFPに期待される役割の大枠を示していると思う。
さて、このように考えると、生命保険(死亡保険)にニーズがあることは納得できる。たとえば、私の場合も、小さな子供が居ることでもあり、安価に掛けられる生命保険があれば、加入してもいい、という気持ちはある。
ただ、たとえば私が死んだ場合、公的年金の遺族年金が多少はあるし、しばらく生活を立て直すだけの貯蓄があれば、妻も働くだろうし、子供達の生活は、何とかなるだろう、という大まかな計算は立つ。また、保険の貯蓄機能については、保険会社には申し訳ないが、自分で同じ額を運用する方が、おおかたの人にとって遙かに効率がいいだろう。
また、生命保険のような複雑且つ高額の対象で、もともと相互扶助が目的の公的な性格を帯びた金融商品が、手数料に相当するもの(「付加保険料」。生命保険会社の経費などになって、保障にも貯蓄にも回らない保険料)が公開されていないことが大きな問題だと思うが、死亡保障の定期保険の場合、保険料に占める付加保険料率が、三割、四割になる、ということを考えると、馬鹿馬鹿しくて、保険に入る気にならない。
医療保険ならどうか、ということを考えると、これも何らかの意味で、人的資本の価値に対するヘッジだが、健康保険の高額医療費制度を考えると、健康保険の範囲内の治療を受ける限り四ヶ月目からは月額八万円強の負担でいいし(最初の三ヶ月は十数万円かかる。所得などによって負担の金額は変わる)、これも、数百万円レベルの貯金を持っていれば、全く必要ないといっていい。(詳しくは、内藤眞弓「医療保険は入ってはいけない!」ダイヤモンド社をご参照下さい。これは実にいい本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478600511/sr=11-1/qid=1162547844/ref=sr_11_1/249-0728934-9902711)
では、年金保険ならどうか。公的年金は、2004年の年金改正で決まったマクロスライド方式で、今後、負担は重くなる(厚生年金で年収の18.35%まで)一方で、給付の実質価値がじわじわ値切られていくので、おおかたの人は「老後は、年金だけでは、不十分だ」ということに気付いているだろうし、私自身も、例外ではない。もちろん、なるべく嫌でない仕事をして、とは思っているが、今後、長きにわたって働いて行くつもりだが、それと平行して、「自分自身の年金をつくる」ということに対する必要性を痛感する。
ただ、これに対しても、市販の生命保険は適さない。「個人年金」といった耳障りの良い名前の商品が多数あるが、要は、変額保険であり、運用商品としての実質は「投信よりも、手数料の高い投信」にとどまる。投信と較べると、費用は高く且つ分かりにくいし、解約が不自由だ。ここでも、自分で運用する方がいい。
結局、市販の、民間の生命保険会社の生命保険には、私が欲しいものがないのは勿論、「どういう人なら、どの商品を買うのがいい」とイメージできるものが、見つからない。一方、確か、日経に載っていたのだと思うが、世界の2%しか人口のない日本人が、世界の生命保険料の25%を払っている、といった、保険の過剰とも思える普及率を考えると、日本の生命保険市場は、かなり成熟していて、成長余地が乏しいようにも思える。また、生命保険・個人年金保険の年間払込保険料は、男性の40代で34.5万円、50代では37.4万円にもなり(近代セールス社「FPデータハンドブック」による。生保文化研究センター調べ。20年間の単純合計で719万円にもなる!)、これ以上の保険料を払わせるのは、大変ではないか、とも思う。
ただ、もちろん、それ自体が効率の良い投資になっていたり、不利の(主として、付加保険料の)小さいリスク回避手段になっていれば、もっと払ってもいい、ということは、勿論あり得る。
こうした状況を生命保険会社の側から見るとどうなのだろうか。もちろん、顧客の不安を喚起する共に、自社の保険商品の良いイメージを刷り込む、といった、マーケティング上の工夫には、今後も一層注力するのだろうが、大規模なセールス部隊を抱えて、高コストな営業を行い、効率のマージンの商品を売る、というビジネスモデルはもう限界だろう。
たとえば、単純な保険を、保険料の計算根拠も開示した上でネットで販売し、顧客は、FPなどのアドバイスを聞きながら、必要十分な保険を購入する、というようなことができればいいな、と思うのだが、どうだろうか。
たとえば、現在2000万円の金融資産と、1億円の人的資本を持っている35歳のサラリーマンがいるとして、彼の人的資本の価値は、収入の変動などによっても変化するが、死亡した場合はゼロになるので、広義の資産運用の意思決定としては、この人的資本をなにがしかのコストを掛けてでもヘッジしたい、というニーズはありうる。
ここで、人的資本とは、一人の人間の価値を株価のように考えた概念で、たとえば、将来の予想収入を、金利よりもかなり高いそれなりの割引率(人的資本は流動性が乏しく換金できないし、また死亡や病気等のリスク、職業が不調に陥るリスクも当然ある)で現在価値に割り引いて合計したものだ。上記の35歳のサラリーマンは、今後の人生で2億円くらいの収入を稼ぐかも知れないが、「人的資本」として評価すると、1億円くらいのものではないだろうか。「証券アナリストジャーナル」の8月号に翻訳が載った、Peng Cheng, Roger G. Ibbotsonらの論文では、このように定義されている。
もっとも、人的資本をこのように定義するのがいいかどうか、については、議論があり得るだろう。稼ぐためには、当然、食費その他の生活費のコストが掛かるから、「利益の割引現在価値」として人的資本を評価するなら、稼ぎに必要な最低限の生活費(どうやって計測するか別の問題が持ち上がるが)を差し引いた稼ぎの割引現在価値の合計を考える必要がありそうだ。
先の論文では、資産配分の期間を一年として、生きている状態の資産と遺産に対する評価の差を表す変数、一年以内に自分が死ぬことの主観的確率、をそれぞれ考慮して、生きている状態の効用関数(金融資産の期待額と人的資本の期待値の合計に対して定義される)と、遺産に対する効用関数(金融資産額と死亡保険金)の値を、加重合計するような形で、金融資産と人的資本と生命保険(生命保険をふやすと保険金は増えるが、保険料が掛かるので金融資産の額が減る)総合的な効用関数を定義して、この最大化の問題として、資産配分の問題を解くフレームワークを提示しており、年齢と生命保険のニーズ、資産配分におけるリスク資産の比率、といった具合に、幾つかの変数間の関係を分析している。
このように問題を定式化したのだから当然ともいえるが、「生命保険に関する意思決定と、資産配分(アセット・アロケーション)に関する意思決定は、人的資本を考慮して、同時に行われなければならない」というのが、この論文の結論で、これは説得的だ。(保険屋のおねえさんと相談しただけで、生命保険について決断してはいけないのだ!)また、こうした考え方は、今後のFPに期待される役割の大枠を示していると思う。
さて、このように考えると、生命保険(死亡保険)にニーズがあることは納得できる。たとえば、私の場合も、小さな子供が居ることでもあり、安価に掛けられる生命保険があれば、加入してもいい、という気持ちはある。
ただ、たとえば私が死んだ場合、公的年金の遺族年金が多少はあるし、しばらく生活を立て直すだけの貯蓄があれば、妻も働くだろうし、子供達の生活は、何とかなるだろう、という大まかな計算は立つ。また、保険の貯蓄機能については、保険会社には申し訳ないが、自分で同じ額を運用する方が、おおかたの人にとって遙かに効率がいいだろう。
また、生命保険のような複雑且つ高額の対象で、もともと相互扶助が目的の公的な性格を帯びた金融商品が、手数料に相当するもの(「付加保険料」。生命保険会社の経費などになって、保障にも貯蓄にも回らない保険料)が公開されていないことが大きな問題だと思うが、死亡保障の定期保険の場合、保険料に占める付加保険料率が、三割、四割になる、ということを考えると、馬鹿馬鹿しくて、保険に入る気にならない。
医療保険ならどうか、ということを考えると、これも何らかの意味で、人的資本の価値に対するヘッジだが、健康保険の高額医療費制度を考えると、健康保険の範囲内の治療を受ける限り四ヶ月目からは月額八万円強の負担でいいし(最初の三ヶ月は十数万円かかる。所得などによって負担の金額は変わる)、これも、数百万円レベルの貯金を持っていれば、全く必要ないといっていい。(詳しくは、内藤眞弓「医療保険は入ってはいけない!」ダイヤモンド社をご参照下さい。これは実にいい本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478600511/sr=11-1/qid=1162547844/ref=sr_11_1/249-0728934-9902711)
では、年金保険ならどうか。公的年金は、2004年の年金改正で決まったマクロスライド方式で、今後、負担は重くなる(厚生年金で年収の18.35%まで)一方で、給付の実質価値がじわじわ値切られていくので、おおかたの人は「老後は、年金だけでは、不十分だ」ということに気付いているだろうし、私自身も、例外ではない。もちろん、なるべく嫌でない仕事をして、とは思っているが、今後、長きにわたって働いて行くつもりだが、それと平行して、「自分自身の年金をつくる」ということに対する必要性を痛感する。
ただ、これに対しても、市販の生命保険は適さない。「個人年金」といった耳障りの良い名前の商品が多数あるが、要は、変額保険であり、運用商品としての実質は「投信よりも、手数料の高い投信」にとどまる。投信と較べると、費用は高く且つ分かりにくいし、解約が不自由だ。ここでも、自分で運用する方がいい。
結局、市販の、民間の生命保険会社の生命保険には、私が欲しいものがないのは勿論、「どういう人なら、どの商品を買うのがいい」とイメージできるものが、見つからない。一方、確か、日経に載っていたのだと思うが、世界の2%しか人口のない日本人が、世界の生命保険料の25%を払っている、といった、保険の過剰とも思える普及率を考えると、日本の生命保険市場は、かなり成熟していて、成長余地が乏しいようにも思える。また、生命保険・個人年金保険の年間払込保険料は、男性の40代で34.5万円、50代では37.4万円にもなり(近代セールス社「FPデータハンドブック」による。生保文化研究センター調べ。20年間の単純合計で719万円にもなる!)、これ以上の保険料を払わせるのは、大変ではないか、とも思う。
ただ、もちろん、それ自体が効率の良い投資になっていたり、不利の(主として、付加保険料の)小さいリスク回避手段になっていれば、もっと払ってもいい、ということは、勿論あり得る。
こうした状況を生命保険会社の側から見るとどうなのだろうか。もちろん、顧客の不安を喚起する共に、自社の保険商品の良いイメージを刷り込む、といった、マーケティング上の工夫には、今後も一層注力するのだろうが、大規模なセールス部隊を抱えて、高コストな営業を行い、効率のマージンの商品を売る、というビジネスモデルはもう限界だろう。
たとえば、単純な保険を、保険料の計算根拠も開示した上でネットで販売し、顧客は、FPなどのアドバイスを聞きながら、必要十分な保険を購入する、というようなことができればいいな、と思うのだが、どうだろうか。
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« 早期離乳食の... | 友人とシング... » |
いつもシニカルな山崎さんのコメントを楽しみにしているJMM読者です。初めてコメントします。
証券アナリストジャーナルの記事、なんだかとてもロジカルな結論ですね。読んでみたくなりました。来週会社の図書室でコピーします。
私も保険商品については、山崎さんとまったく同じ意見です。ただ、子供が小さい+妻の潜在的所得獲得能力は低そうなので「ヘッジ策」として共済だけ入っています。
保険(特にその節税面)について少し書いてみたことがあるので、よろしければ、私のサイトも見ていただければと思います。
1)控除枠を使い切るために年間支払額を両方とも10万円になるべく近い金額にする
2)支払い金額に対する効用を大きくするために両方とも月払いではなく年払いにする
3)余計なコストを払わなくてすむように販売員がたくさんいる会社ではなく通信販売方式メインの会社と契約
3)お金を死んだ後の誰かのためではなく、自分の老後のために使いたいので生命保険は途中解約時の払い戻し金が少なく、ある年齢に達すると年金受け取り方式に変えられるものを選択
4)ハイリスク投資は別の手段で実施しているので、年金保険は今流行?の変額方式ではなく定額式のものを選択
5)最後の関門は保険会社の代理店従業員にお勧め契約額を薦められても、自分で計算した支払い方法と金額で断固主張すること(笑)
ちなみに保険に税控除枠を使い切る以上にたくさん入っても無駄なので、それ以上に何とかしたい分は10年一般国債を買うほうがましと考えています
(年金保険で想定利回り0.9%程度、10年一般国債が課税分を引いても1.36%)
久しぶりにコメントします。
最近、投資バカにつける薬を読みました。
こちらのブログと同様、非常に示唆に富んだ内容でありがたい著書を手に入れられた、と思っています。
生保に関しても納得の一言です。
サラリーマンは3.40万円払っているのは普通だとの事ですが、そういえば自分の父も毎月何万も払っていました。
保険のおばさんが夜遅くに家に来て、契約書を父に書かせていた事なども記憶にあります。(母はなんて図々しいんだ、と怒っていましたが)
普通に考えれば自分で積み立てる方がよっぽど効率がいいと思うんですが、世間一般ではそのように考えないみたいですね。
生保の細かいデータに関しては知りませんでしたが、賢い消費者になりたい自分は「他人を儲けさせない」ように消費しようといつも心がけています。
山崎さんの指摘する投資信託もそうですし、今回あげられた生保も他人の儲かる商品であることが分かったので、今後よくよく気をつけたいですね。
消費者金融なども自分はまず利用しません。日本の長者番付には、消費者金融会社のオーナーが何人もトップテン入りしています。こういう状況を見て、世の中の人は何も思わないのか、非常に不思議でした。
「消費者金融なんて誰が儲けさせてやるか」と思う人がもっと増えてもいいと思うんですけどね。
生保会社の給料も相当に高いですから、同じ理由で生保の利用者は減っても良いと思うんですが。
しかし病気や死の恐怖をあおってお金を巻き上げて、高い給料を得ると言うのはろくな商売ではないですね。
もともとが生死のどちらに賭けるかという意味で、保険とギャンブルの発祥は同じだと聞いたこともあります。
高額医療費制度などはもっと宣伝されれば生保も大ダメージですね。知り合いにも教えてあげたいと思います。
私は、言い方は悪いですが、生保の商品は割の悪いギャンブルと考えているので買っていません。
もしかすると生保商品の手数料(テラ銭)は、公営ギャンブルより悪いのではないのでしょうか。
生保で運用してもらうより、自分で運用した方がましというご意見に強く同意いたします。
同じギャンブルなら手数料の安い株や債券を買って保有しておく方がより良いリターンが期待できると考えます。
保険控除の話がコメントででていますが、住宅ローン控除と同じで、税制で優遇している商品は基本的にリスクが高すぎる(期待リターンが少ない又はマイナス)と思います。投資家に不利な金融商品だからこそ、税制で優遇しなければいけない事態になっているような気がします。
節税額が手数料(テラ銭)より多ければ、まだ意味があるかと思いますが。控除ができるから購入するというは、本末転倒と思います。
また今現在の状況では、日本の10年国債を買うくらいだったら、米ドル立てのゼロクーポン債を買った方が、よりリターンがあると思います。
5%の利回りですので、円高で日本10年国債と同等の1%のリターンとなるレートは1ドル70円くらいです。
私はそこまで円高にならないと判断しているので個人向け国債の購入をやめ、ドル建てゼロクーポン債を購入しようかと思っています。
税金控除を使うための保険契約との誤解を与えてしまったようですが、説明が不足していたようです。
円建て投資の中での長期債券分野の一環として年金保険と日本国債を比較すると日本国債だけで固めたほうがよいのは全くおっしゃるとおりです
ただし、自分の意思が弱くなって途中で使ってしまう、というリスクを考えて、一部を換金しにくい形にしておこうとした、というそもそもの目的を書くのが抜けていました。
自分の意志の弱さに対して年間20万円の保険をかけているようなものです
で、おなじみの橋下弁護士によると、千葉には監察医が少ないので、「死体は千葉に捨てろ」とさる業界では言われているらしい。どうも千五百人などという数で監察医は不足しているらしい。不払いも問題だが、問題が多すぎて、保険と聞くとただただ怖いだけである。
ご返信ありがとうございます。
意志の問題は、確かにありますよね。というよりかなりの問題です。私は意志が弱いので為替レートや株価、金利の変化によく反応してしまいます(汗。
ここんところの流行の行動ファイナンスの本などを読んで自分の心理状況を客観的に見るようにしておりますが、まだまだ揺れてしまう弱い自分でありますので、せんべい屋の寄宿人さんよりもっと意志が弱いと思います。
私の説明が悪かったところがあると思いますが、日本債券だけではなく、海外債券もポートフォリオのひとつに加えるかどうかの検討だけは、された方が良いと思うというのが趣旨です(余計なお世話と言われればそれでの話です、すいません)。
日米金利差がこれだけ開いていますので、為替差損・差益があるとしても、ポートフォリオの一部に置いてみて、どんなもんか身を持って感じてみても面白い時ではないかな?と私個人は思っています。
極端な円高になった時は、”とりの奴、含み損で泣いているのだろう、ざまあみろ!”と思ってください(爆。
おっしゃったように、「付加保険料の不透明性」と言う問題は、結構大きいと思います。「大々的にCMを打っているのだから、その分も負担させられるのだろう」という「コスト」観念も、結構大事なのでしょう。
なお、県民共済や全労災など、認可共済についてはどう思われますか。コスト面では、一般生保の商品より遥かにマシなのではないかと、感じているのですが・・・
いらっしゃいませ。私は別段「シニカル」を意識しているわけではありませんが、JMMのご愛読もありがとうございます。
サイト拝見しました。とても充実していますね!「お気に入り」に登録したので、時々お邪魔します。
個人的には、あれだけ充実した文章を書かれるなら、実名で発表しないと勿体ないと思うのですが、どんなものでしょうか?
>せんべい屋の寄宿人さま
生命保険のツボを押さえた的確なご紹介、ありがとうございます。経済的にベストではなくとも、まあまあハラの立たない生命保険の使い方、という感じでしょうか。
>nyさま
お久しぶりです。
拙著をお読みいただき、ありがとうございます。「他人の儲け」というものの全てが悪いわけではないと思っているのですが(なぜなら、儲けがないと、役に立つ活動もないから)、儲けを明らかにすることと、買い手がその儲けに納得することとの、二つが重要だと思います。
同様に、生命保険も、生命保険という仕組みそのものが悪いのではなくて、現実の生命保険会社や保険商品に共感できない点がいくつかある、ということです。
>とりさん
生保は割の悪いギャンブル、というのは、仰るとおりです。問題は、「割の悪さ」の程度が分かりにくいことと、どうやらそれが大きすぎることの二点ですね。
そういえば、ゼロクーポンのドル債をお持ちでしたね。これは、ご納得の上での賭けだから問題はありませんし、生保的な「割の悪さ」は大きくない筈ですが、理論的には、日本の国債に投資するのとどちらが有利とは断定できません。「10年後に70円にはなるまい」というのは一つの相場観です(私は、反対も賛成もしませんが、原則論はそういうことです)。
>せんべい屋の寄宿人さま
丁寧な補足説明ありがとうございます。読者の参考になると思います。
「自分の意志が弱くなって途中で使う・・・」といった事に対して対策を考えるのも、現実的には大事なことです。
ただ、FPやマネーライターなどの書いたものを見ると、そうしたより高次の生活の知恵と、損得の合理性の問題を、ごちゃごちゃにしていることが多くて、些か困ったものだと思います。
>作業員さま
「保険は怖い」というのは、保険の一面であろうと思います。もしも日本に生命保険というものが一切無かったら、自殺も殺人も不慮の事故もかなり減るのではないかと思えます。
それにしても、本人が知らないところで掛けることが出来る保険はなくさなければ行けませんし、自殺でも保険金が下りるのは問題ですね(もっとも、これを禁止しても、不慮の事故が増えるだけかも・・)。
>とりさん
行動ファイナンスもそろそろワン・ステップ進歩しなければならない段階だと思いますが、一方で、行動ファイナンスの商業的悪用がかなり拡がっている感じです。暇があれば、「行動ファイナンスの光と影」みたいなタイトルの本を書いてみたいところですが、現状では、少々厳しいのが、残念です。
>新幹線さま
予定率4.5%の個人年金保険は、「お宝」の可能性がありますねぇ・・・・・・?!。
付加保険料の不透明性は、消費者保護の立場から、大きな問題だと思います。もちろん、高額の宣伝費も保険料に入っているわけで、これは契約者には迷惑な話ですし、金融商品の場合、「派手に宣伝しているものはダメ」というのが一つの判断の定石なので、こうしたものは避けるべきですね。
共済は概ね民間保険会社よりも有利(付加保険料率が低い)なのではないか、というのが、大雑把な直観なのですが、残念ながら、具体的なデータを持ち合わせていません。
生命保険では県民共済が一番良いようでかなりの人が架け替えていますね。
共済では厚生年金みたいに厚生年金会館のような資産の運用とは思えない施設を作っているところがあるのが気になります。業者と幹部の癒着などないと良いのだが・・・
こんばんは。
「予定利率4%の個人年金保険」とは、どこの何という商品ですか?
現在の金融情勢で4%の予定利率を保険会社が保証することは無理です。何年も前のご加入でしょうか?
万一、最近のものだとすると、何か見落とされているのではないかと心配ですが・・・。
①外資系生保A(私)終身‥‥残された妻子のための資金(子供が成人するまで補償額が減っていくタイプ)
②外資系生保A(妻)終身‥‥葬儀代程度
③外資系生保B(私)医療‥‥入院&がん
④外資系生保B(妻)医療‥‥入院&がん
⑤かんぽ(妻)‥‥子供の教育資金の位置づけ
①~④で年払い約30万円、⑤は貯金と割り切り年払い約10万円です。保障内容は一般水準かと理解しています。
⑤は利率が割合良く、貯金と割り切っています。③④は、恥ずかしながら貯金がほぼ0のため、必要と判断しています。となると、①②をどうするか(特に①)、という問題になりますが、定年までの残りの20年(+5年あるかも?)、年30万の元手でいくら貯められるか、という問題に置き換えられます。
山崎さんの論点もココだと思います。
カタカナ生保への乗換え後、かれこれ7~8年保険料を払い続けてきた身としては、解約に踏み切るインセンティブは見つけにくいわけですが、「60までは俺は絶対死なない!」という自身があれば、①は即解約ですね。意外と簡単な理屈かもしれません。
しかし、どうやって妻を説得すれば良いものか、、、
ポートフォリオについてのアドバイスをありがとうございます。ゼロクーポン債よりは非効率な手段を使っていますが、私も外貨建ての投資を行なっています。たとえ円高になったとしても同じ投資リスクをとっている同志として連帯感を持ちこそすれ、人の不幸を喜ぶなんてことは無いのでご安心ください
私のブログへの訪問、ありがとうございます。私も時期が来たら、実名にしたいと思いながらも、一介の勤め人なので、まだ匿名で書いております。実は私のブログの、5月6日の書評記事で、山崎さんの「投資バカにつける薬」についても記述しています。ご興味があれば、ご覧になって下さい。私には山崎さんの直球コメントがシニカルに感じてしまうのですが、そういったことは意識されていないのですね。失礼しました。
山崎様の著作は、かなり沢山読ませていただいていますが、個人的には、「リスクとリターンで考えると人生はシンプルになる」が一番面白かったです。
次回作も楽しみにしています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
貴サイトの5月6日のエントリーを拝読いたしました(コメントも書き込んでおきました)。どうも、ありがとうございます。
円で稼いでいる者としては、「それでは、円安をお祈り申し上げます」と簡単には申し上げられませんが、ご幸運をお祈りいたします! うまく利食って下さいね!!
>オグさま
厳密に考えると、(1)の終身保険を解約する方が得になるのかも知れませんが、既に、営業費見合いの付加保険料は払い終えておられるのですし、少なくとも持っていて大損ということはないと思います(年齢も上がっていますしね!)。大事なのは、保険の「乗り換え」や「新規購入」を絶対にやらないことでしょう。要は、もう、セールスマンにはコミッションを払わない、ということです。
「保険の見直し」との甘言に乗って、月払いの保険料が少なくなることだけで「得をした」(実際はこれまでに持っていた責任準備金を割引に回しただけ)と思って、また新たな保険を契約する「悲劇」が多いので、この点だけは、くれぐれもご注意申し上げておきます。
あとは、保険は保険として現状のまま継続して、余計に稼ぐなり、節約するなりして、運用資金を作り、お金を増やす(もちろん働くだけでもいいのですが)ことを考える方が、シンプルで、前向きのような気がします。
藤井 幹雄の家内のまり子でございます。(^^
先日は弔電をいただきまして ありがとうございました。
ネット上でのご挨拶が遅れて申し訳なく思っておちます。
私は数年前より山崎氏のコラムのファンです。
私のブログは始めてから早3年になります。
山崎氏のブログは学ぶことが多く、また、いつも激しく同意して読ませていただいております。
時折 自分のブログにリンクを張って 山崎氏のブログを紹介させていただいてます。
今回の生保の話もとても勉強になりました。
今回もお断りなく私のブログにリンクを勝手に張らせて 山崎氏のブログ記事を紹介させて頂きました。トラックバックを送りました。
(今までも いくどかトラックバックさせていただいております。)
ご挨拶が送れて申し訳なく思っておりました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
形をとっています。それも、預貯金の運用が思うように任せず、また、株取引に知見がないためですが。
運用型の生保もあるようですが、丸投げ型、個人で
ウェブで日々組み替える型、いろいろあるようですね。
こんにちは。藤井まり子様でしたか!度々のご来訪、ありがとうございます。貴ブログは、時々トラックバックを頂いているので、拝見しておりました。
ブログ歴3年、とはご立派ですね。私は始めてからまだ1年になりませんが、運営はまだ試行錯誤中です。
普通、トラックバックの方が書き手が自分のブログを出しているので真面目で、コメント欄の方が荒れやすい、とううことになっているようですが、私のブログは、逆の状態になっています。無関係なトラックバックへの対策を考えなけばいけないな、と思いつつ、随分時間が経ってしまいました。(リンクが増える分、検索エンジンではヒットしやすくなるのかも知れませんが)
こちらからもお邪魔しますので、また、いつでもお越し下さい。
>よっし~
うーん。たくさん、保険に入られていますね。随分感謝されたのではないでしょうか。
損得的には保険は預貯金以下のことが多いはずですが、それでも、「貯めている」ということは、無駄遣いするよりは、将来の為にはなっていますね。
ただ、「運用に向いた保険」というものは、たぶん、一本も無いと思います。
(理屈上は作ることが出来ると思いますが、どこかの保険会社がやらないものでしょうか・・・)
「借家は家賃を払う一方でいつまで経っても自分のものにならない。持ち家ならローンを払い終われば自分のものになる」、という決まり文句があります。
生保のセールストークである「掛け捨てはもったいない。貯蓄型なら、満期まで保険事故がなくても払ったカネ以上が戻ってくる。」というのと、なんだか似ているような気がします。
こんな目くらましが横行するのは、業者の問題というより、消費者の無知や、教育のほうに責任があると考えるべきなんでしょうね。
だいたい、いろんな商品をまとめて買ってくれた人を優遇するというのが商売の常識なのに、金融商品に限っては(限っては、というのは言いすぎですが)、「定食」より単品を個別に買ったほうが安上がりなんですから。
「金利、手数料はジャ○ネット負担」と消費者をバカにしたテレビ広告で有名な通販会社が、ときどき、本当にお買い得な商品を売りに出すこともあるのですから、消費者はあくまで商品本位で賢く行動すればいいと思っています。
を予感して、かつ格付けが下がったからです。その後
外資一社だけというのを考えましたが、どうしても
費用対効果の高そうな売りの商品に贅肉をつけて
売る感じがあり、いいところだけばら売りする
奇特な会社があって(死亡一時金の保険を分けたのも
非喫煙者特約があったため。)、3つに割ったほうが
安かったからです(ただ、その会社は新規契約率が
勧誘業者の評価に係るよう(新聞の新規契約と同じ)でフォローはほとんどありませんでした。
ですので、多く細かく分けていますが、保険額全体
としては安く抑えているつもりです。毎年、
できるものは統合再編しています。特に扶養の概念
をうまくつかって妻子の分を軽減しているように
感じていますが、これも家制度の悪用ともいえなくは
ありませんね。
株や貴金属の投機市場、不動産、いろんな形で
今の所産を担保に将来に伸ばしたり、今元手を
多めにとりこんだりできるとは思うのですが、そう
いった忖度やリスクヘッジをやる余力がないなあ、
というのが「運用型の保険」を見ても食指が動かなかった理由ですが。
かつての預貯金みたいにほっとけば5%とか利益が
つかない時代にどうするのかは、正直他の市場を
垣間見たことがない小生にとってはわからないところです。
預貯金もだめ、保険もだめ、だとすると何が売り
で、片手間でストックが増えていくやり方はないのかなあ。
より適切に説明を、と思いましたが結果として蛇足がついたようにも見えますが。
「ローンを払えばあなたの持ち家になるのと、そうでない賃貸と、どっちがいいですか?」式の「枠組み」の提示と、「感情」への働きかけ、が怪しい商品(少なくとも買い手のメリットがはっきりしない商品)を売る場合売り手の手口ですね。
もちろん、多少はそういう工夫があってもいいのですが、さすがに、情報の受け手側でも多少の抵抗力を養う必要があるので、これに微力ながら協力したい、というのが、目下、私が金融商品について考えているところです。
>よっし~様
節約を心掛けた保険のご加入であったことが分かって、かなり安心しました。「アフターフォロー」は、どうせ転換セールスなどの下心があってやるのでしょうし、手間の分のコストが上乗せされるわけですから、無いことの方を喜ぶべきだと思います。
世間では、「売りっぱなし」の業者はヒドイ、というような言い方がよくされますが、これも実は、「お客なのだから、構って貰って当然」という心持ちを人々に植え付けて、セールスをやりやすくするための手口のような面があると思います。
「納得できるものを売ってくれて、放っておいてくれるなら、十分だ」と思うココロが消費者のサイフを守るような気がします。
尚、利殖については、これからは微妙ですが、現在インフレ率が低いので、実質金利で見ると、たとえば、個人向け国債のようなものでもプラスの利回りになるので、預貯金5%時代を必ずしも懐かしむ必要は無いと思います。もちろん、名目利回りが違うと、気分的な差はありますが・・・。
無関係トラックバック対策は 私も試行錯誤の中です。あまりにも海外からの無関係トラックバックが多すぎるので、わたしのブログのTB機能は 今前面閉鎖しています。「2週間ほど閉鎖すてから機能を再開すると→無関係TBの激減→再びじりじり増加→急増→閉鎖→おそるおそる機能再開→激減→堂々巡り」の『いたちごっこ』の連続です。
私はITのスキルが低いので、こういった対処法しか思いつきません。私の対処法が 専門家の方の参考になるかどうか大変心もとないですが、ご参考まに。。。。
どうも何時もとは様子が異なり、なんと言いますか スッとこう腑に落ちないものを感じたのです。
何だろうと考えてみたことを書きます。
人的資本(≒人間価値を株価のように考えた概念)、⇔ どうも此れです。
釈迦に説法(それも下手な)ですが株価はGoing concern 未来永劫に存続する事を前提に会社の将来価値を現在に割引いたもの(ですよね)。
しかるに生命保険(簡素化の為に此処では死亡保険に絞ります)は不慮の保険事故つまり被保険者の死亡時に遺族に支払われることを前提に契約します。
死んだ自分があの世に大層な保険金を持って行ける筈もなし、子供や奥さんが路頭に迷わないこと・旦那の収入が途絶えた時の労苦を少しでも緩和する目的ですから、将来の割増コストと捉えるのが一般の庶民の考えではありますまいか。
要すれば25%を占める2%である日本人は愛する人危険回避的経済人なのではありますまいか(尤も保険金詐欺や保険金目当ての殺人が多いのも矢張り日本でしょうかな??)
もし愛し守ってあげたい(経済的に守る必要性のある)人を持たない意思の独身・単身生活者であれば生命保険は住宅ローンでも組まない限り契約しないのではないでしょうか。
とすれば人的資本の価値に対するヘッジとは異なり、その人が現在の人的資本から生み出す金銭価値をベースに、将来増えるであろう家族・恋人分も含めた生きるコストを(不足無くとは行かずとも)賄うであろう将来時点での割増の見合い金銭引出し権の割安購買の仕組みではないでしょうか?
それにこの世で得られる金銭価値をそれ以下の金額で買える数少ない商品の一つです。
薄型テレビであろうと自動車であろうとカメラであろうと、財物の金銭的価値以下の値段で買える(買うものは財物ではなく安心感ですが)保険は初期のプリウスや11日発売予定のPS3をいれても希少な買い物です。
振り返るとサラリーマンになって確か3年目に結婚しその2年後に長男が出来た時に生命保険の外交員の方の、『貯金は四角だけど保険は三角、保険は利得禁止の安心商品、社会人としての責任、愛する家族への責任ですよ』との説得に妙に納得して加入以来20数年継続し、確か金融ビッグバンと称された時代に架け替えを勧められたが、其の頃には多少の知恵も働き、代替わりした外交員の方の説明(説明に対する反論への返事)に納得が行かず、さりとて解約も損と判断しそのまま現在に至っています。
手元に日経の5日日曜版があり家計欄では『生命保険見直しのコツ』がありますが、保険料26,000円で万一の死亡時に1千万円が得られれば、仮に年収が5百万円としたらどうでしょう遺族年金や蓄えも入れて残された家族は少なくとも4~5年は生活可能でしょうか。
何時死ぬかがクリティカルな点ですが、仮に保険契約開始5~6年目での不慮の死では確かに保険は三角に守られかたが厚い(保険料見合いの貯金元本は僅かに187万円ですから極めて面積の小さい四角形)ですね。
なんかこれも矢鱈と捏ね繰り回した屁理屈ですかね?!
それに何となく保険会社を弁護するかのような投稿にも思えるし、保険会社やその関係先でもあるかのような物言いではあるかなあ~と若干此方も腑に落ちないのですが、亦特に最近のブランド保険屋の不払い事件を見ると経営者に即刻退陣を迫る心持ちなのですが、此処まで書き進めちゃったのでこのまま投稿します。
尤も此処まで来て思い至った事がもう一つ ⇒ 此れまで30年弱払い続けた保険料、結果論として今日現在生きていて今や長生きがリスクになちゃった私としては、斯様に自分を説得せねば眠れなくなる位悔しいからそれを意識的に回避してると言う事もあるのかな・・・・・・。
(そう言えばブランドに就いてはエントリー『離乳食』への投稿で後日タップリと述べさせて頂く予定です。)
そう言えば、仮に明日死んだとして、保険金を受取る家内にとっては『この保険金、この30年夫に尽くした功労金としては矢張り割引価値だは』とでもなるのでしょうか・・・・・・・・・・。
(正確な評価はいずれその折にこのブログを読むかも知れない家内に一任しますが。)
トラックバック対策については、そろそろブログのデザインと機能を変えたい頃でもあり、gooブログのガイドブックを読んで考えてみようと思っています。
>サイレントじゃないマジョリティーさま
私が紹介した論文の、生命保険を含めた資産配分に関する効用関数は、生きているときの「金融資産+人的資本」に対する効用関数(A)と、遺産として残す富の効用関数(B)とを(これは死亡保険金を含む資産に対して定義される)、それぞれ「生きている資産に対する遺産の価値」、「自分が死ぬと思う主観的確率」によって調整しながら合計する仕組みになっています。
「自分が死んだ場合には・・・」と考え始めると、どうしても保険が麗しいもののように思えて(現実に、保険金は役に立つはずですが)、現世の保険料の負担とうまく較べられなくなる、というのが、一般消費者の心情でしょうし、保険セールスのねらい目だろうと思います。
そりゃあ、「保険金」そのものについては、(もうご主人はなくなっているのですから)奥さんは感謝します。かといって、その喜び(の可能性・期待値)に対して、幾ら払うか、ということが問題です。
ご返事有難う御座いました。
もう少し(違うな⇒もっと)経済・金融を勉強進めます。
先の投稿ですが三角と四角を入れ替え訂正致します。
(ごちゃごちゃ言っていて間違いました)
先日「投資バカ...」を拝読して生命保険の定期部分を半分以下に削減しました(山崎さんの著書への投資は万馬券くらいの費用対効果になりました)。子どもができた時に深く考えずに入ったのですが、今考えてみると小学生の頃に遊んだ「人生ゲーム」の「生命保険」がすごくお得な設定だったのが刷り込みになっていたような気がします。
ところで、僕がお金について考えた文章というのを読んでいただけませんか。一創見だと思っていますが、経済がご専門の方からみるとトンデモだったりアタリマエだったりするかもしれず、ご感想を伺えればありがたいです。
http://www.asahi-net.or.jp/~NG1F-iST/money.html
ご心配いただいてありがとうございます。
やはりご指摘のとおり、ネックはお金を基礎に
増殖させることを念頭においていることで、
インフレすると実質価値は目減りしてしまいます。
他の方法で持つのもかなり考えないとだめですね。
上記のように半分は細切れにして生涯契約に
してあっても、中には家族の進学等で年度直し
が必要なものもあり、自分のからだを担保に、
たとえば、自身や家族の医療保険を見直そうと
しても、たとえば手術歴があると自分の分を
伸ばせず、従ってそれが上限となっている扶養
家族を伸ばして、扶養家族が個々でやっているもの
を解約する、等ができません。
またまた、保険にとらわれてしまいましたが、
株、不動産、貴金属、ほかいろいろ今、そして
将来を担保する、また、今をやりがいあるものに
修正することことの可能性はまだまだありそうです。
いらっしゃいませ。
「お金」を巡る考察拝読いたしました。
以下のように要約してよろしいでしょうか。
(1)お金は「信頼」によって支えられていて、信頼のないどうし(たとえば初対面)でもサービスや財を受け取ることができるように機能する「匿名性」を持った交換手段である。
(2)サービスなどのやりとりに、お金の支払いを介在させると、「個人」を否定し「匿名」の性格を帯びるので、個人と個人の信頼を否定(除外?)することになり、個人間の信頼や愛の居場所がなくなる。従って、金銭的な価値観に社会があまりに偏ることは好ましくない。
(1)、(2)共に納得的だと思います。
お金とは、という問題は、その発生経緯も含めて、経済学・社会学で過去に相当量の研究がありますが、信頼されて流通する(受け取られる)ものが「お金」だ、という点に注目したものが多いようで、(1)は通説に沿ったものといっていいでしょう。
(2)についても、仰ることはよく分かります。同じ行為に対しても、お金が介在するかしないかで、「愛情表現」か「売春」かが分かれたりしますね。
非常に良くまとまった文章で、これ自体で価値があると思うのですが(事実を適切に肉付けすると、良質の単行本が出来ると思います)、社会の価値観がお金に偏ることのもたらす行動の変化や背景の心理分析などと、お金の起源・存立基盤の関係が絡み合って来ると、より価値の高い論考になるのではないでしょうか。
続きが、楽しみです。
生保レディや、保険業を営む方とざっくばらんにお話する機会を持ちました。もちろん人によってだとは思いますが、「約款なんて、私たちでもよくわからないのですよ」との声もありました。複雑化した商品を、複数ブランド分抱えてまわらなければ生き残れない状況では、顧客に対する商品のご案内が難しいだろうと思います。仮に売る側が総てを寸分違わず把握出来ていたとしても…です。
生命保険のことからは少し外れますが、今週のダイヤモンドの指摘は、まさに的を射たもののように感じました。ヘッジファンドの伊呂波と、LTCMの失敗のことさえ理解していない状況で、「ヘッジファンドはすばらしい商品である」などといった誤解釈をする人が、昨今になって増えてしまっていることを示しているといえるのではないでしょうか。
吉本佳生氏の著作によれば、2004年~2005年のヘッジファンド平均成績は、普通に世界株と債券に分散した場合よりも下回ったそうなので、早いうちにこの妄信を打開する切欠が起こらないものかと、感じております。
生保の商品が複雑なのは、他社商品と何らかの意味でちがいをつくるためと、実質的な価格をより曖昧にしたいから、なのでしょうが、それにしても複雑すぎます。セールスする人も困っているというのは、その通りでしょう。
それに、保険を売るときには、保険料の計算に利用している「生命表」の添付と説明を義務づけるべきではないかと思います。一般にどれくらい死ぬものかが分からずに、保険の意思決定をせよ、というのは無茶だと思います。
>山科物語さま
ヘッジファンドの多くの顧客がヘッジファンドの中身を理解していないだろうと思えます。しかし、理解していないからこそ、ヘッジファンドを買っている面もあるのが、痛し痒しです(よく分かっていたら、買いたくないはずだし・・・)。
結局、人間は、買うべきものよりも、買いたい!という欲求に働きかけるものを買うのでしょう。まして、年金基金の場合運用担当者にとっては「他人のお金」なのですから、なんだかんだと買うための理由を探すして買うのでしょう。
丁寧にお読みいただきアドバイスまでありがとうございます。単行本になると言っていただき嬉しいです(本を出すのが夢なので)。主旨は要約いただいたとおりです。実はこれを書いたのは10年前で、続きもいろいろ書いていますのでご笑覧下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~NG1F-iST/#soc
保険はそのままに、お金を増やすことを考えるのがシンプルで前向き、とのご示唆、心底納得です。
(遺族年金だけはこの機会よく調べておこうと思います)
住宅に関する話題も出ていますが、「長生き」のリスクを重視し、私は圧倒的に持ち家派です。満足のいく賃貸物件がなかなか無いという側面もありますが、私の勝手試算では、生涯の総支払額は購入(持ち家)のほうが少なくなります。ローン金利水準が、優遇後の実質金利で3%を越えない(平均では2%台前半が理想)との読みが外れると困る、、、というリスクも孕んでいますが。
いずれ、住宅関連のエントリーがたつのを楽しみにしています。
自分は恥ずかしながら生命保険の暴利性・内容も知らないまま随分長らく毎年50万円以上払ってきました(;←汗
。メインのやつは途中一度横文字会社に変えてるし今更足抜けしても損なだけでしょうから払い続けます。このエントリーとか他のコメント読んで不安になりホコリっぽいファイル引っ張り出して契約内容確認したら『予定利率3.25%』という自分の手書きがありました。多分担当者のいうことをメモしたはずですがどうして正式書類に印字してないのでしょうか,,,
予定利率というのは一般にそういう程度のもの(口約束レベル)なんですか?(口約束でも立派な契約ですけど)
で実質返戻率が100を超えるのを迎えるにはなんと80歳まで待たねばならない!
もっとも、暴利だとかいっても払い込み始めて初期に死ねば最高のヘッジだったわけで、というかヘッジというのはそういうものでありましょうから、今更暴利だなどと叫ぶのはお行儀悪いとも思います。
むしろ山崎様の仰るとおり、保険会社の経費を隠したり、死亡率みたいの(生命表というのですか)提示しないとかのコソコソした感じが大変よろしくないですね。日本人がそんなに突出してヘッジしてるとは知りませんでしたが(国により多少税制の恩恵とか違うかもしれませんが)仮にそういう事項=IntrinsicValueとTransactionCostの内訳みたいのを開示して営業したら益々加入が増えるのか激減するのか微妙ですかね、たぶん新規加入は減るのでしょうね。
質問ばかりではご迷惑でしょうから蛇足を少し,,,
ところで命は尊いのでしょうが金銭評価しないわけにもいかないので、裁判所の算定方式もほぼ固まってます。今資料・文献が手元にはないので正確でないかもしれませんがおおよそ、
死亡時から平均稼動年齢まで稼いでいたであろう得べかりし金額から利息を引いて(現在価値に引きなおす)、かつ損益相殺をします。この損益相殺にはいろいろのものがありますが万人に共通のものでは、生きていたとすれば支出を免れなかったはずの生活費が代表的です。他人の不法行為による死亡での損害賠償ではこの損益相殺の前に過失相殺をします。(これ逆だと随分額が異なる)
この、残りの人生で稼いだであろう収入額は確か厚生省関係とかの役所の有名なデータ資料(正確には忘れました)に基づくわけですが、それでは勿論男女に差があるのですが、ほんの数年前の裁判では女子の死亡なのに男子の値を適用して話題になったはずです。判旨はなかなか読ませるものがありました。
あと結構面白かったのは幼女を失った母親が幼女自身の損害賠償を相続したときに請求したケースで、その子の逸失利益算定にあたり養育費を損益相殺してはならない、という判例があり、確定判例になってるようです。その理由は子を育てるのは親の喜びであって経費ではないというような言い回しでした。
それにしても、
仮に山崎様の大事にしている高価な、仮に100万円のカメラがありこれに80万円の損害保険を掛けていたとします。私が例えば妬んでこれを壊してしまった場合、どうせ山崎様は保険会社から80万円もらえるのだから損益相殺して私への損害賠償請求額は20万円に過ぎないと私に言わせることができるでしょうか?判例は勿論ダメといってます、それは保険会社からの補償は山崎様自身が保険料を払い込んだ対価なので損益相殺の対象ではないということです。ところがそうすると山崎様は私から100万をゲットしてかつ保険会社からも80万ゲットして重複して補填を受けることになります。それでも良いではないか!と自分は思うのですが、そころが商法に保険代位というのがあってこの場合でいうと保険会社が山崎様に80万払うと保険会社が山崎様に代位して80万の限度で私に対する損害賠償請求権が保険会社に移転することになります。それによって山崎様が私に損害請求できる額は20万に減少するわけです。つまり私は80万を保険会社に、20万を山崎様に払うことになります。そうすると保険会社は山崎様に80万払うが私から80万もらうのでその限りでは差し引きチャラで、しかし山崎様から受領していた保険料金の分だけトクしてるわけです(勿論いろんなコスト度外視の前提ですが)。この保険代位は生命保険では認められません。つまり自身が払い込んだ対価という性格であり損益相殺できないという原則のままで、商法による修正がないわけです。
いずれにせよ保険会社はぼ~っとしてても儲かりますね。というはずなのになんでやれ合併とかリストラとか,,,,ぼ~っとせずにむしろ余計な財テクしたもんでダメだったのでしょうね。さすが金融のプロ集団。
定年までは賃貸で行こうと思っている賃貸派の私なので、いい問題を提起してくださいましたことを感謝しております。私の周りでは賃貸派がいないので、ここで議論させていただければ、”もしかして自分は間違っているかも?”という自分の疑問に終止符を打つことができるかもと期待しています。
私の家に対するスタンスは持ち家は、定年時に”欲しかったら”現金で買おうというものです。
持ち家と賃貸は、リスクをどう考えているかによってハッキリ分かれる問題だと私は思います。
私も最大のリスクである”長生きしてしまった”場合を前提に私も考えましたが、賃貸と持ち家でコスト的な損得に差はありませんでした。
住宅の資産価値がバブル崩壊前と同じ様に上がっていくのであるという相場感があればそれも一つの判断ですが、私はそう思わないので、マイホームの方がリスクが大きいと判断しました(それは私の相場感なのですが)。
ローン金利を含めた購入額より資産価値が上がるのであれば、マイホームの方が有利でしょう。
しかし不動産に、自分の保有する資産のポートフォリオの大部分を持っていかれるので流動性は不利になります。現金や株や債券なら、欲しい時に解約して現金化できますが、家や土地は切り売りできません。家を担保にローンは組めますが、資産を担保にローンを組むというのは、私個人の考えでは好きではありません。
マイホームが有利な試算に置いて欠落しているのは、日本の住宅(建屋)の寿命が30~40年程度ということです。
30代で住宅を購入すると定年後に立て替えまたは、大規模な修繕が必要となります。住宅を購入してローンを払い終わったら何も出費がないのであれば、マイホームは圧倒的に賃貸よりも有利でしょう。
逆説的に言えば”長生きしなければ”マイホームは有利です。
端的に言えば、リスクを自分で持つか、大家さんに持たせるかということです。
変動金利(固定3年とか5年という見かけ安い変動金利、も含めて)で30年ローンを組んでいらっしゃる方が私の周りに多くいて、すごくリスクテイクをされているように思うのですが、これが老後は安心とかで、お前も早く家を買えとかよく言われます(汗。
私は、ローンを組んで年収の3~5倍のレバレッジを掛けてマイホーム購入(不動産投資)をするより、現金で(レバレッジ1倍)で株と債券を買っている方が、精神的に楽だということを主張しても理解いただけないので、もしかすると自分が間違っているのだろうか?思う時が多々あります。
借金してまで欲しい物がないという考え方が、なかなかご理解いただけません。やっぱり間違っているんでしょうか?
外貨建て金融商品について、私の一方的な相場感でお話に、お付き合いいただきましてありがとうございました。
利食いの時期に関しては、10年後20年後という長期という逃げの考えかもしれませんが、自分の判断を信じていきたいと思っています。
長期になればリスクは増えますが、それを受け入れる余裕ができる、”余裕”資産で運用していく所存です。
持ち家か、賃貸か、というテーマには、私も興味を持っています。
基本的には、「そりゃあ、家の値段によるだろう」という考え方で、原則がどっちということはないのですが、現状では、支払いコストが似たようなものだとした場合に、持ち家の場合のリスク(住宅ローンによる購入は株でいえば信用取引みたいなものですしね)とライフスタイルの変化に対する対応として賃貸が身軽ではないか、という点が、見落とされがちなように感じています。即ち、現状では、賃貸の方がいい場合が多いかな、という考えで、現実に私は賃貸住まいです。
実は、先日、この問題について朝日新聞の取材を受けました。持ち家派、賃貸派、それぞれの意見を紹介するという企画だそうで、3,4人のインタビューが載るようです。週末の「Be」という別刷りに掲載予定です(今週末かどうかは分かりません)。この特集の持ち家派の方の意見なども見て、また、この問題を取り上げてみたいと思っています。
ただ、80を越えた父親を近くに住まわそうと賃貸物件を探した時に、近くに子供が住んでいるという条件で貸してくださるところがやっとみつかったという経験から、死ぬまで賃貸というのは、運よく公営住宅に当選できる以外は リスキーなのかな。とも考えていました。また、家族4人で住むことができる良質な賃貸物件がほんとうに少ないです。月20万近い出費のことを考えると安い中古物件を買うほうがはるかに月々の支払が安くすむと思うのですが。
私は社宅に住んでいました。ずっと住み続けるつもりでした。が、夫が(社長とけんかして)突然会社をやめ、無職のまま社宅から出て、賃貸物件を探さなくてはならなくなったとき、無職ではどこも貸してくれないことを知り、愕然となった経験があります・・・
そんなこんなで、今は分譲マンションに住んでいます。
ところで、教えて頂きたいのですが、公庫ローンを利用していて、銀行と違って生命保険料を払っています。公庫とセットの生命保険料は無駄な気もしてきました。日本の銀行は自分でリスクテイクすることが無く、すべて消費者に押し付けますね・税制も。
今日はこのへんで。
まさにそこがポイントだと思います。
資産購入にあたってに基本なのに、なぜか不動産になると、価格そっちのけで、持ち家か借家かなんて
いう話しにすりかわって行ってしまうことが多い。
不動産は生活に不可欠ですから、賃借料と金利だけでなく、それ以外の要素も大きいですが、
さりながら、フェアバリューと市場価格の大小が判断基準になるはずです。
例えば、高齢で借りられなくなる云々、というのは借りる権利の価値と考えられ、若年のうちは価値は
ゼロに近く、高齢になるに従い価値が上がります。
それは、機会費用(例、旅館代)を参考に、自分なりに価値を算出してフェアバリューに組み込むことになります。
私の理解力がないので教えてください。フェアバリューはどのように算出されるのでしょうか?
マイホーム(持ち家)と賃貸の議論って、生涯稼ぐであろう資産の割り振りをどうするか?ということだと思っています。
将来のローン金利を含めた購入金額と、賃貸で支払うであろう支出総額の価格の差について、個人のライフスタイルで判断するのがベストと言うのが、最終結論だったりします。
持ち家と賃貸のどちらが優位ということであれば、持ち家か賃貸のどちらかが消滅します。神の見えざる手でマーケットが均衡を作りだしていると思っています。
持ち家に参加してみたいのですが、貧乏人なので、不動産を購入すると自分のポートフォリの大部分を固定化されてしまうのが嫌なので、マイホームは買えないと判断しております。
多分20年後くらいに私の判断が良かったのか悪かったのかが分かるのでしょうが、一点集中で投資するより分散投資の方が、恐がりの私にはあっていると思っているので、このスタイルで行ってみようと思ってます。
基本的にチキンな自分なので、マイホームに資産を一点集中する度胸がありません。
>借りる権利の価値と考えられ、若年のうちは価値は
>ゼロに近く、高齢になるに従い価値が上がります。
>それは、機会費用(例、旅館代)を参考に、
>自分なりに価値を算出してフェアバリューに
>組み込むことになります。
これが具体的によく理解できなかったので、教えてくださいませんでしょうか?理解力が無くて申し訳ないです。
こんばんは。
申し訳ありません、返事が遅くなりました。
> 「予定利率4%の個人年金保険」とは、どこの何という商品ですか?
> 現在の金融情勢で4%の予定利率を保険会社が保証することは無理です。何年も前のご加入でしょうか?
紛らわしい書き方をしてしまったようです。
10年以上前に加入したものです。
現在これだけの利回りの保障は無理でしょう。
払い込み済みで4.5%も持ってます。
加入後、金融危機で生保に都合の良い法律が出来てしまいました。
生保の申し出でにより3%までの保障で良いことになりました。
まだ、4。0%と4.5%のままですが、将来どうなるかわかりませんね。
価値>価格 なら購入するし、でなければ購入しない(=賃貸)ということです。
価値の算出にあたり、家賃や金利でさえ、具体的数値をどう設定していいか難しいのに、他の要素の数値設定なんてどだい無理なことは承知しています。
ですが、主観でもいいから(というかほとんど主観ですね)、自分なりに評価した数字を置いて不動産の価値を計算し、それと市場価格を見比べて判断するようにすべきと考えます。
高齢者が部屋を借りられないなら、「部屋を借りることができる価値」は、ホテルの部屋代とアパートの家賃の差額に相当すると考えました。日払いのホテルは通常は宿泊を拒否しないだろうとの前提です。
持ち家か賃貸かというと、絶対的な信念のような感を抱かせる議論を時々みかけますが、あくまで相対的なものと私は思っています。
山崎さんの、
>「そりゃあ、家の値段によるだろう」という考え方で、
というコメントに賛成です。
ブログのコメント欄で、読者同士がやりとりするのは不適切ではとも思いましたが、ご容赦願います。
ご返信ありがとうございます。やっと理解できました。
自分が高齢者になる30年後は、高齢者の比率が今より高くなるので、高齢ということだけで借りれなくなるという事はないだろうという思いこみがあったのが良くなかったです。ご説明ありがとうございました!
またブログのコメント欄で、読者同士のやりとりが不適切という意識がありませんでした。この場をお借りしてhiroさまと山崎さまにお詫び申し上げます。大変失礼をいたしました。。。
ブログ内での読者同士のやりとりは、(1)他の読者にも読む価値があって、(2)紳士的にやりとりしているなら、あっても構わない、と私は考えています。
たとえば、「作業員」さんと「Dialectician」さんのやりとりなどは、私も読んで為になりますし、読者諸氏もそう思われているのではないでしょうか。
私は、このブログを、お酒の代わりに、自分の文章を載せてやりとりをする、「山崎元酒造」がやっている、無料の「アンテナ・ショップ」のようなバーか何かのようなもののつもりで、運営しています。
バーですから、お客さん同士が、やりとりすることがあってもいいと思います。ただ、ひそひそ話の会話と違って、コメント欄に書いたやりとりは、他のお客さんにも全てクリアに聞こえてしまう。したがって、エキサイトしたり、関係のない話題になったり、といった状況は、他のお客さんにも、店主(=私)にも、ちょいと辛いので、注意をしたり、外につまみ出したり、することは、場合によっては、あるかも知れません。
また、その時のお客さんの雰囲気ということもあります。
現在、当ブログに書き込みをしてくださる方々は、丁寧且つ理路整然と書いてくださる方が多く、ネット上の匿名掲示板でありがちな、妙に挑発的な書き方や、単なる相の手のような書き込みをすると、たぶん、浮いてしまうような状況にあります(読者は、おそらく、書き手に対して、「困ったものだ」と思うと同時に、「この人恥ずかしいだろうなあ」と同情してしまうでしょう)。
匿名の掲示板にあるような、勇ましいやりとりも、それを楽しむカルチャーのある人同士でやれば楽しいのだろうと思いますが、現在、当ブログの雰囲気がそんな感じではないということでしょうし、管理人も、そうしたやりとりを捌く余裕がない、というのが実情です。
アンテナ・ショップの店長としては、コメントを書いてくださるお客様は、商品を提供してくださる有り難い「協力者」である一方、「タダ飲みなんだから、行儀良くして欲しいお客さん」でもあるわけですが、顧客同士の会話は、禁止していませんし、むしろ歓迎ですので、とりさん様も、ご心配なく!
その問題(予定利率引下げ問題)については、自分もある程度関心を抱いていますが、「実施した所でどの程度のメリットが保険会社、経済界にあるか」と言うことを考えると、余り神経質になることでないのではないかと、感じるようにました。
予定利率の引き下げを実施すれば、保険会社の評価は間違いなく低下しますし、それによって「解約が増加 = 実施前より経営が悪化」と言うことにもなりかねません。少なくとも、安易に実行できるものとは異なると思います(破綻寸前になった際の切り札であって、消費者側の被害を抑制するためのものと見なした方がいいのでは)。
こちらの場合、16年前に契約して後7年間で年金支給になりますので、予定利率が3%に「今から」引き下げられたとしても、過去分を考えれば損するものとは思えません。だから、継続が妥当だと判断しています。
仰るとおりですね。
有難うございます、参考になりました。
いきなりで恐縮ですが、いくつか疑問に感じたところがありましたので、自分のブログで記事にし、トラックバックさせていただきました。自記事の方では不躾な表現もあり恐縮ですが、今後ともよろしくお願いします。
いらっしゃいませ。
貴ブログにコメントを書き込んでおきました。ご参考になることを祈ります。
お返事遅くなり恐縮です。
内容については、さらによく考えて自ブログの方にお返事したいと思います。ひとまず御礼まで。
例の国がミサイルを撃つのも安倍氏を望んでいるから、という面もあるように思います。gvrrf