yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

神泉苑の池の水が抜かれて池底が見えますの条

2014-04-29 11:45:48 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 山田邦和博士に教えて頂いて、神泉苑に行ってきました。
 今、池の水を抜いて若干、池底の整備を行っているようです。滅多に見られないので博士が教えて下さったのです。

 

 昔はスッポンがいてかみつかれたら離さないから近づくなと言われていました。純真?な私は池をのぞくのもこわくて、その縁にすら行ったことがありません。子供の印象ですが、当時はこんなにきれいでなかったように思います。

 以前ブログにも書いた通り、我が「母園」です。60年前壬生の家から毎日毎日母に手を引かれながら歩いて通った幼稚園です。今は幼稚園は閉鎖されています。市内では子供が減って経営できないのでしょう。その代わり本堂を料亭に貸して?おられます。その本堂も随分前に火災が起きて鉄筋コンクリートになっています。檀家の少ないお寺では仕方のないことなのかもしれませんが、残念です。だって、平安京随一、唯一の国家が建設した苑池なのですから。

 昔、学芸会はこの本堂で開かれました。同級生の山本君と一緒に写っている写真が残っています。浦島太郎も主役でした。生涯これが最初で最後の主役です(笑)

 園舎は東側にありました(今もその建物らしきものは荒廃して残っています)。園舎の奥には狂言堂があります。何でも修理が必要ならしく、寄進を募る張り紙がありました。あいにく現金を持っていなかったのでできませんでした。今度にします。

 でも、粋でしょ。幼稚園と狂言堂が隣り合わせだなんて。そして毎年開かれる狂言会では園児達も一緒に園舎の方から観劇するのです。もちろんこの日は幼稚園全体が開放されていろんな人がやってきます。母は先生でしたから、きっと忙しく接待に励んでいたのでしょう。私はほったらかしなのでひたすら狂言に見とれていました。内容などわかるはずもありません。でも、土蜘蛛だけは鮮明に覚えています。特に最後に舞台の端からこちら側(園舎の方)に向かって蜘蛛の糸を巻くシーンはおどろおどろしく、逃げたい気持ちなのですが、しかし興味もあり、固まって見ていたものです。

 知識を促す張り紙にはこの狂言、何でも明治に始まったらしいのです。もっと古いものだと思っていましたが、意外と新しかったのです。でも、明治の町衆の力、文化力を知ることができます。今の資本家共の目先の銭ばかりを追い求めるのと大違いです。
 考えてみれば、壬生の家は壬生寺の直ぐ近くです。壬生寺によると壬生狂言は鎌倉時代に円覚によって始められたという。節分、春、秋に催されるというから見に行っているはずなのだが記憶にはない。きっと幼稚園のかぶりつきで見た土蜘蛛の迫力が壬生寺の記憶を消したのであろう。何でも今日から春の狂言が始まるという。久しぶりに行ってみたいものである。

 神泉苑を見て、壬生までぶらぶらして、京都の風情を味わってみて下さい。せっかくの機会なのだから発掘すればいいのに!!



  神泉苑 水なき底に 花一片


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駄句を少しの条

2014-04-29 08:02:36 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 20140108 今泉さんのご葬儀を終えて帰路新幹線にて今泉さんを思い出しながら

  友と来た 閖上の潟 白銀に
     (2013年9月5日、今泉さんに連れていただいた閖上の潟を思い起こしながら)


  多賀の城 霜踏む足に 友の声
      (2013年9月4日 今泉さんのご案内で訪れた発掘中の多賀城南門付近の遺構を思いながら)


  凍りつく 心のままに 弔辞読み
       (2014年1月8日 悲しい弔辞を読んだ自分を思い起こしながら)


  冠雪の 富士の被る 雲帽子

 今泉さんのご葬儀に際し新幹線で富士の裾野を通過した折、ふと句を読む気になって。



 今頃あちらはどんな気候なんだろう。もう櫻は終わったのかな。


     独り臥す 草の枕の 夜の露は 友なき鹿の 涙なりけり  実朝

もうあれから4ヶ月が経ってしまった。仙台に新しいお墓がもうできた頃だろうか。寂しい。免疫不全、恐ろしいね。副腎皮質ホルモン、やっぱり万能薬ではないんだね。あるものを抑えることがdきても別のところを悪さする。

 今泉さんは腎臓を集中攻撃したのかな。その点血小板だった私は一段階ずつ遅いのかな。どうも次の攻撃対象は関節と筋肉らしい。


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