壬申の乱ウオークも予定の半分を過ぎ、次回は第32回となります。巡る場所は愛知県犬山市を中心に壬申の乱の陰の功労者とも言っていい村國男依の故郷を訪ねます。
「第32回壬申の乱ウォークin犬山市~青塚古墳、村国男依と周辺遺跡」
実施日時 2014年5月10日(土) (雨天決行)
行 先 犬山市、大縣神社、青塚古墳、犬山成田山、ほか
交通機関 貸切バス (2台)
参加者数 90名
参加費用 5,600 円 昼食代含む
昼 食 レストランきらく 犬山市大字犬山字白山平5-2(犬山成田山正面)TEL 0568-61-0760
近鉄四日市駅西・四日市博物館・噴水前8:00→JR富田駅東口(国道1号線沿い)8:3 0→みえ朝日IC→(伊勢湾岸・東名阪)→大山田PA(10分)→名古屋西(名二環)→楠JCT・(都市高速)→小牧北IC→10:15大縣神社(参拝,説明)10:45→11:15青塚古墳12:00→12:20犬山成田山前・レストランきらく(昼食)(東の宮古墳の説明)13:30→13:45JR鵜沼駅前(下車)⇒(徒歩)⇒13:55村国真墨田神社14:20⇒(徒歩)⇒14:50犬山城前(自由行動)15:20(バス乗車)→15:40音楽寺16:00→ 一宮中IC(都市高速)→清洲東→(名二環)→名古屋西IC(東名阪・伊勢湾岸)→みえ朝日IC→17:30 JR富田駅東口→18:00近鉄四日市駅
主催: 久留倍官衙遺跡を考える会
共催: 三重大学人文学部伊勢湾・熊野地域研究センター
〔問い合わせ・お申し込み・連絡先 〕 久留倍官衙遺跡を考える会事務局
前川 勝宏 TEL/FAX 059-364-0395
今回は壬申の乱の陰の功労者の一人・村國男依の本拠地である犬山市、各務原市の遺跡や関係地を巡ります。久しぶりに昼食もレストランを予約し、その前後に犬山城下町の町並み復元の実態を感じ取っていただこうと思っております。
さらに、今回からしばらくは、壬申の乱開始の直前、密かに内戦の準備に当たった三人衆(村國男依、身毛君廣、和珥部臣君手)の故郷を巡ります。
大海人皇子は旧領である美濃國安八磨郡の湯沐管理者である多臣品治に対し挙兵するよう密偵を送ります。それが村國男依でした。男依りの本拠地は村国真墨田神社の所在地から美濃国各務郡の北東部と推定できます。湯沐の所在地は不明ですが、各務郡の中心地でしょう。その管理者が多臣品治ということからすると、中央豪族多氏との関係の深い(多氏そのものの可能性も十分あります)人物でしょう。湯沐という王権の直轄地(ミヤケ)を維持管理するために伴造氏族が派遣されると共に在地の有力者も取り込まれたものと思われます。村国真墨田神社の位置するところは、木曽川が山間部から平地部に出るまさにその場所です。近世、犬山城を管理した成瀬氏もこの木曽の水運の管理が大きな目的だったと聞きます。村国真墨田神社の対岸の現犬山市東部に「入鹿池」というきんせいの用水池があり、これが「入鹿屯倉」と関係する場所だというのも興味深いものです。
そして身毛君廣、和珥部臣君手もまた、前代から当該地を実質管理した在地有力者だと考えています。その最大の任務は長良川、揖斐川、つまり木曽三川の管理こそ彼らの仕事だったのではないでしょうか。その地を順番に訪ねます。
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「第32回壬申の乱ウォークin犬山市~青塚古墳、村国男依と周辺遺跡」
実施日時 2014年5月10日(土) (雨天決行)
行 先 犬山市、大縣神社、青塚古墳、犬山成田山、ほか
交通機関 貸切バス (2台)
参加者数 90名
参加費用 5,600 円 昼食代含む
昼 食 レストランきらく 犬山市大字犬山字白山平5-2(犬山成田山正面)TEL 0568-61-0760
近鉄四日市駅西・四日市博物館・噴水前8:00→JR富田駅東口(国道1号線沿い)8:3 0→みえ朝日IC→(伊勢湾岸・東名阪)→大山田PA(10分)→名古屋西(名二環)→楠JCT・(都市高速)→小牧北IC→10:15大縣神社(参拝,説明)10:45→11:15青塚古墳12:00→12:20犬山成田山前・レストランきらく(昼食)(東の宮古墳の説明)13:30→13:45JR鵜沼駅前(下車)⇒(徒歩)⇒13:55村国真墨田神社14:20⇒(徒歩)⇒14:50犬山城前(自由行動)15:20(バス乗車)→15:40音楽寺16:00→ 一宮中IC(都市高速)→清洲東→(名二環)→名古屋西IC(東名阪・伊勢湾岸)→みえ朝日IC→17:30 JR富田駅東口→18:00近鉄四日市駅
主催: 久留倍官衙遺跡を考える会
共催: 三重大学人文学部伊勢湾・熊野地域研究センター
〔問い合わせ・お申し込み・連絡先 〕 久留倍官衙遺跡を考える会事務局
前川 勝宏 TEL/FAX 059-364-0395
今回は壬申の乱の陰の功労者の一人・村國男依の本拠地である犬山市、各務原市の遺跡や関係地を巡ります。久しぶりに昼食もレストランを予約し、その前後に犬山城下町の町並み復元の実態を感じ取っていただこうと思っております。
さらに、今回からしばらくは、壬申の乱開始の直前、密かに内戦の準備に当たった三人衆(村國男依、身毛君廣、和珥部臣君手)の故郷を巡ります。
大海人皇子は旧領である美濃國安八磨郡の湯沐管理者である多臣品治に対し挙兵するよう密偵を送ります。それが村國男依でした。男依りの本拠地は村国真墨田神社の所在地から美濃国各務郡の北東部と推定できます。湯沐の所在地は不明ですが、各務郡の中心地でしょう。その管理者が多臣品治ということからすると、中央豪族多氏との関係の深い(多氏そのものの可能性も十分あります)人物でしょう。湯沐という王権の直轄地(ミヤケ)を維持管理するために伴造氏族が派遣されると共に在地の有力者も取り込まれたものと思われます。村国真墨田神社の位置するところは、木曽川が山間部から平地部に出るまさにその場所です。近世、犬山城を管理した成瀬氏もこの木曽の水運の管理が大きな目的だったと聞きます。村国真墨田神社の対岸の現犬山市東部に「入鹿池」というきんせいの用水池があり、これが「入鹿屯倉」と関係する場所だというのも興味深いものです。
そして身毛君廣、和珥部臣君手もまた、前代から当該地を実質管理した在地有力者だと考えています。その最大の任務は長良川、揖斐川、つまり木曽三川の管理こそ彼らの仕事だったのではないでしょうか。その地を順番に訪ねます。
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