yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

「久留部官衙遺跡を考える会10周年」講演の条

2014-04-26 02:30:37 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 今日はこれから四日市市富田にある大矢知地区市民センターで久留部官衙遺跡創設10周年記念の報告会に出かけます。

 2004年の創設以来壬申の乱ウオーク、久留倍シンポジウム、聖武天皇東国行幸都市サミット、久留倍講演会と様々な事業を展開してきた市民の会が、無事10年を迎えることになったそうです。素晴らしいことです。
 その事業の大半を市民の手で作り上げ、遺跡の保護と活用に大いに役立ててこられたわけです。創設当初から事業実施に深く関わらせていただいてきた私にとっても素敵な勲章を頂いた気分です。

 この間実施してきた事業はこの様なものです。

 A 壬申の乱ウオーク
第1回 20051112  鈴鹿関 
第2回 20060212  縄生廃寺
第3回 20060520 加太越え
第4回 20060819 柘植山口
第5回 20061111 海蔵川
第6回 20070212 隠駅
第7回 20070512 吉野
第8回 20070811 加太・鈴鹿
第9回 20071110 伊賀御墓山古墳
第10回 20080209 大雪の近江大津宮 
第11回 20080510 河曲郡
第12回 20080809 能褒野王塚
第13回 20090214 久留倍遺跡
第14回 20090509 養老多度山美泉
第15回 20091114 久留倍まつりで久留倍を歩く
第16回 20100213 額田廃寺
第17回 20100508 桑名石占頓宮 
第18回 20100807 平城京 
第19回 20101113 久留倍遺跡 
第20回 20110212 不破関
第21回 20110514 野口王墓(大内陵)
第22回 20110918 斎宮
第23回 20120211 恭仁京
第24回 20120630 宇陀 
第25回 20120915 勢多唐橋 
第26回 20121208 久留倍遺跡周辺 
第27回 20130209 難波宮 
第28回 20130511 甲賀 
第29回 20130713 近江路 
第30回 20131109 山崎 
第31回 20140208 河口頓宮 

以下今後の予定 乞うご期待!


第32回 20140510 村國男依の故郷
第33回 20140920 身毛君廣の故郷
第34回 20150314、和珥部臣君手の故郷

 
 B 久留倍遺跡シンポジウム
第1回 20040919 久留倍遺跡と朝明郡1 永井路子
第2回 20050219 久留倍遺跡と朝明郡2 岡田 登
第3回 20050702 久留倍遺跡と朝明郡3 直木孝次郎
第4回 20060211 久留倍遺跡と朝明郡4 八賀 晋
第5回 20060717 久留倍遺跡と朝明郡5 栄原 永遠男
第6回 20061126 聖武天皇と則天武后 陳 良偉
 C 久留倍サミット・まつり・講演会
第1回 20081101 聖武天皇東国行幸サミット 刈谷俊介
第2回 20091114 久留倍遺跡と北伊勢 加藤謙吉
第3回 20101113 聖武天皇と万葉歌人と伊勢 森 浩一
第4回 20111112 伊勢湾と木簡 今泉隆雄
第5回 20121208 伊勢国と東海道 塚本 明
第6回 20131026 世界の遺跡のヴァーチャルリアリティ- 
    ~久留倍遺跡復元のために~ 関口敦仁


第6回 20141115 壬申の乱前夜の伊勢



そしてこの間毎年開かれる考える会の総会・報告会で時々の成果をお話ししてきました。
今回は10周年ということを知らずにお引き受けしたので講演の中身は実に細かな研究成果の紹介となりました。

「久留倍遺跡と朝明駅家」というテーマです。
《要旨》 久留倍遺跡になぜ聖武天皇が宿泊することになったのか。私はこの地が当時朝明駅家だったからだと考えています。駅家とは当時の「国立ホテル」です。都で定められた法律や新たに発せられた命令はいち早く全国に早馬で伝達されます。その道を七道と呼び、今日も交通機関にその名を残しています。東海地方を通る道は東海道と東山道です。他に、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道があります。これらの道にはおよそ16km毎に駅家が置かれていました。馬を休ませたり交換したり駅使と呼ばれた使者が休憩、宿泊するための施設です。伊勢国の東海道では鈴鹿駅、河曲駅、朝明駅、榎撫駅の4駅が置かれていました。これまではいずれの場所も特定できていませんでしたが、鈴鹿関や久留倍遺跡の発掘調査によってその位置を特定することが可能になってきました。朝明駅家は「久留倍遺跡第Ⅰ期官衙]と呼ばれる施設ではないかと私は考えています。Ⅰ期政庁と呼ばれる整然と建物が並ぶ遺構群は地方官衙の中心施設と考えられています。一般的にはこれは朝明郡衙、つまり四日市市役所と考えているようですが、私はこれこそ朝明駅家だと考えています。その理由と全国の駅家の遺構や道路の遺構についてお話ししようと思います。

 また講演会の様子は明日にでも報告します。暫くいろいろな話題を紹介しながらブログの再スタートの助走に当たっていきますので宜しくお願いいたします。

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