lizardbrain

だらだらぼちぼち

現場で知る

2020年03月11日 17時16分41秒 | 音楽
そこで、こんな出来事を思い出した。

はるかはるかはるかな昔、2001年4月14日の話である。

魚住駅近くの明石市立西部市民会館で、村上ポンタ秀一(ds)のリーダーライヴがあった。
共演者はクリヤマコト(p)と渡辺香津美(g)、この3人の名は良く憶えているのだが、他のメンバーがいたのかいなかったのかは記憶していない。

まず、明石のビジホに荷物を置いて、魚住駅から会場のホールへと向かった。
全席自由席のライヴだったので、開場前に並んでベストポジションに座りたい。
グーグルマップなんぞ無かった(はず?)の時代だったので、会場周辺の夕食情報も調査しておかなければならないし、せっかく遠征してきたのだから悔いの無いように、と念のために開場時刻よりもウンと前にホールに着いた。

が?

会場は図書館と並んだ市営のホールだが、入口近くには何のポスターも貼っていなかった。
通常、コンサート会場付近には「どうだ~!これでもか~!」というくらいに、その日の公演のポスターやら看板が張り巡らされているものだが。
それが、全く何にも無い。
もしや「会場を間違えたのかも、、、、、、、?」
と、あせりながら、ホールと図書館との共通の入口から中に入ると、ようやく1枚のポスターが目に止まった。
そこには、村上ポンタ秀一のコンサートのポスターに、大きく赤い文字で

「公演中止」!!

と、マジックで書かれていたのだ。

ホールの入り口は閉まっていたので恐る恐る隣の図書館で尋ねてみると、会場はここで間違いないのだが、ライヴはやはり中止になったとの回答が、、、、、、、、。
もうすぐ主催者がやってくるはずという事だったので、とりあえず、そのま図書館に入って時間をつぶしていると、やがて主催の人がやってきた。
加古川市のライブハウスの社長だった。

社長の話によると村上ポンタがつい最近、ニューヨーク公演の最中に肺炎を患って現地で緊急入院して、それもかなりの重症だったようで、帰国後もムリができる体調でもなく、かといって代役のドラマーを立てるにもあくまでもリーダーはその村上ポンタ本人なので、急遽、やむなく中止にしたという事だった。
わざわざW山県からやってきた事を言うと、ライブハウスの社長は本当に気の毒そうに、心底から謝ってくれた。
そして、
「自分のライヴハウスで、翌月の5月に渡辺香津美のギターソロの公演があるので、お詫びとしてそのライヴのチケットを差し上げます。」
とまで言ってくれた。
ホントはここでニンマリとして、そのチケットを受け取りたいところだったのだが、その渡辺香津美ライヴと同じ日に、私は、京都での綾戸智絵(現在の名は綾戸智恵)ライヴのチケットをすでに買っていた。
ハシゴできるものなら頑張ってみたいが、両方とも夕方からの開演で加古川と京都でハシゴできるわけもないので、渡辺香津美のチケットを遠慮すると、
「智絵さん、聴きに行かれるんですか? 智絵さんはウチの店でも歌ってたんですよ、2年位前に、、、、」
と、社長は言っていた。

チケットを買ったところ(チケぴだったかローチケだったか忘れたが)で払戻してもらえるという事を確認して、あきらめて会場を後にするしか無かった。
本人が病気では、しかたがないではないか。

しかし、まだ陽も高い時刻で、こんな所で突然ヒマになったわけで、さてどうしようかなあ、、、、、、?
と駅までトボトボ戻っていると、通りがかった書店の入口あたりに「ぴあ」(当時はまだ月刊誌として存在していた)の表紙が目に付いた。
「ぴあ」を手に取って、隣の駅の駅前にワーナーマイカルシネマ(現在はイオンシネマ)があることを発見して、その日の上映スケジュールを調べて、そっと本棚に戻した。
そして、おそらくワーナーマイカルで晩飯を済ませて、ジュード・ロウ主演の「スターリングラード」という映画を鑑賞した。
この映画館では、一つ大きく後悔するはめになったのである。
その頃、ワタクシは、チケット窓口でカードを提示すると¥200の割引を受けられるワーナーマイカルシネマのメンバーズカードを持っていて、映画館に行く時は必ず持参していたのだが、この日に映画館に行く予定が無かったのでメンバーズカードを家に置いてきてしまったのだ。
¥200の割引を受けられずに、正規料金で映画を鑑賞して一日が終わった。

この頃にはまだデジカメはおろかカメラ付きケータイさえ持っていなかったので、この出来事を記録した写真は全く残っていない。
「公演中止」!!と赤いマジックで大きく書かれたポスターの写真など残っていたらば、ここに貼り付ける事が出来たものを。

この時の主催者の加古川市のライブハウスだが、調べてみると今は(少なくとも同じ店名では)存在していない。
さらに村上ポンタの著書には、この時期にニューヨークで入院して死にかけた話が語られている。




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