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だらだらぼちぼち

藤岡藤巻の謎

2006年03月07日 23時25分25秒 | 音楽

牛乳サランラップのりの続編というのがこの記事なのだが、
各方面に気を使いながら原稿を修正したら、面白くもなんとも無い話になってしまった。
まあ、ともかく、こんな話から始めてみる。

ワタクシが中高生時代に、この和歌山県のイナカ町で受信可能だったTV局はというと、NHK総合・教育両チャンネルを始め、MBS毎日放送、ABC朝日放送、KTV関西テレビ、YTV読売テレビだった。
だが、新聞のテレビ番組表を見る時に、和歌山県では受信できないのに、いや、受信できないからこそ、いつも気になっていたUHF局の名前があった。
そのTV局の名とは、兵庫県のローカルUHF局のサンテレビ
新聞のTV番組表から想像するに、関西の大手放送局には無い、サンテレビというTV局のセールスポイントは3点あった。

まず、昼夜問わずに、やたらと映画を放送していた事。
次に、甲子園球場でのタイガース主催ゲームを試合開始から終了まで(放送時間を無限に延長して)放送していた事。
この2点は、ワタクシの興味を引かなかった。
ジャイアンツが絡む試合を最後まで見てみたい、という気も無いわけではなかったが。

そして、サンテレビの3点目のセールスポイントが、ヤングインパルス(Young impulse)という番組を放送していたからだ。
関東ローカルUHF局であるTVK(テレビ神奈川)が製作して、サンテレビを含め、各地のローカルUHF局に配信していた番組だ。
歌謡曲のヒットパレードとは一線を画した、音楽番組だった。
当時のフォークシンガーはおろか、ロックバンドもめったにTVに出て来ない時代だった。
それを、スタジオでライヴ形式で、(レコードセールスの成否はともかく)時代の先端を走るミュージシャン達が演奏する番組だった。

どっかの検索エンジンで、試しにヤングインパルスというキーワードで検索してみると良い。
ヤングインパルスというTV番組について言及しているサイトが、たくさんヒットするはずだ。
実際に、ヤングインパルスで収録されたライヴ画像が、DVD化されて販売されている物もある。

加納秀人率いる3人組ロックバンド外道も、古井戸も、RCサクセションも、ケメこと佐藤公彦も、山下達郎や大貫妙子が在籍したシュガーベイブも、浜田省吾がドラムを叩きながら唄っていた愛奴も、泉谷しげるも、海援隊も、も、チューリップも、キャロル解散後ソロになったジョニー大倉も、同じくキャロルでリードギターを弾いていた内海利勝も、もしかすると解散する前のキャロルも、さらにもしかするとまだ売れていない頃のユーミンも、ヒット曲「時には母のない子のように」からロック路線に乗り換えたカルメン・マキ&OZも、めっちゃ地味だった南正人も、その他にも、あの人も、あのバンドも、、、、、、、
今から考えると信じられないような顔ぶれが出演する音楽番組が、神奈川県のローカルUHF局で収録されて、ワタクシの住むイナカ町では見ることが出来ない兵庫県のサンテレビで放送されていたのだ。
今から考えると信じられないような顔ぶれが出演していたと言っても、当時は皆が駆け出しの頃だったので、おそらくギャラも信じられないくらいに安かったのだろう。
低予算のローカルテレビ局が製作していたのだから。

あの頃は、とにかくこの番組を見たくて見たくて仕方が無かった。
ただただ新聞のテレビ番組表を眺めては、ため息をつく日々だった。

それが、1974年、和歌山県初のローカルUHF局のテレビ和歌山の開局によって、状況は一変した。
ワタクシの家のテレビでも、憧れのヤングインパルスを見る事が出来るようになった。
テレビ和歌山が、ヤングインパルスの放送を始めたからだ。

ここで、ようやく藤岡藤巻公式サイトをコソコソと覗いてみる。
あの『牛乳 サランラップ のり』という曲を唄っていた二人は、やはり、丸っきりのシロートではなかったのだ
昔、昔、その昔、2人とも元まりちゃんずというバンドのメンバーだったのを知り、さらに驚いた
まりちゃんず
知ってますとも、もちろん。
TVで見たもん。
たった1回だけだが。
ヤングインパルス

ワタクシもクラブ活動やら何やらで忙しかった時期と重なっていたため、決して毎週見ていたわけではないが、そのヤングインパルスという番組に、まりちゃんずが出演した時に見てしまったのだ。
偶然に。
幸か不幸か。

放送禁止になったというデビュー曲『ブスにもブスの生き方がある』こそ、TVでは唄っていなかったはずだが、
「武道館でキャンディーズとジョイントライヴをするんだ、、、、、、」
という、冗談としか思えない曲の
キャ、キャ、キャ、キャ、キャ、キャキャキャ、キャンディーズ、今日はジョイント~、、、、」
という唄いだしのフレーズは、今でもはっきりと覚えている。
ただし、その後に続くフレーズは全く覚えていない。
公式サイトには、当時のレコードのジャケット写真が掲載されているが、この写真を見ても、彼らのルックスについては全く覚えていないのだが、、、、、、、

彼らがデビューしたとたんに、不幸が訪れたらしい。
アルバムを出した、エレックレコードが倒産してしまったのだ。
このあたりの話も含めて、彼らの詳細なプロフィールは、前述の公式サイトに紹介されている。

しかし、
まさか、あのまりちゃんずが生き残っていたのか
決して、正式に解散記者会見をしたわけではなさそうだが、、、、、?
それにしても、まさか、まさか、、、、、、、
あのまりちゃんずのメンバーが、今ではごくノーマルに、通常の会社勤めをしていたとは、、、、、、?

あとは、藤岡藤巻の関西ライヴツアーを待つばかりだぞ





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