lizardbrain

だらだらぼちぼち

Leavin' on a Jetplane

2006年04月03日 17時40分06秒 | 風景光景

まさか、、、、、と思ったが、ついに飛行機に乗るはめになってしまった。


しかも、このところ話題満載のJAL
JALしか飛んでいないので、航空会社を選択する余地は全く無い。
ローカル空港のはかなさ、悲しさを一心に感じた。

機内は、予想していたよりも、ず~~~~っと狭苦しかった。
通路は、人1人通るのがやっとという感じだし、座席も左右の幅に余裕が少なく、背もたれが高いために前方の見通しも悪かった。
まあ、見通しが良かったとして何が見える訳ではないだろうが。
窓も小さくて、見晴らしも良さそうではなかった。



ローカル路線のローカルジェット機とはいえ、何しろ、生まれて始めて乗る飛行機である。

離陸の時には、少々、とまどった。
どえらい加速で滑走を始めたかと思ったとたん、いきなり機体が浮かび上がった。
当然の話だが、体感速度は新幹線よりも速かった。
浮かび上がっただけならば、何も問題は無かった。
浮かび上がるとすぐに、機首を上げたままの体制で旋回を始めた。
窓の外を見ると、足元に海があった。
いつも見慣れた海だったならば、なんて事はなかった。
旋回していたために、足元に見えた海は斜めに傾いていた。
ワタクシのような初心者のささやかな希望を言わせていただけば、
上昇するか、
旋回するか、
どちらかに専念して欲しかった。

見なければ良かったのに、機首を上げた姿勢のままで傾いた海を眺めてしまった。
斜めになって雲の間から足元に広がる太平洋を目にしたとたん、ほっぺたの内側の遠くの奥の方に、酸っぱい物の存在を感じた。
まだまだ切羽詰った状況ではないが、何十年ぶりかに乗り物酔いの予感がしてきた。

その日から翌日にかけての天気予報は下り坂で、乱れた気流の中を飛行してた。
機体は、時々、小さく上下動をみせて、まるでサラ金の取立て電話のように(借りた事は無いが)ワタクシにフェイントをかけてきた。

離陸した後も、シートベルト着用のサインが消えては点き消えては点き、、、、、、
こういう事態を予想していなかったため、気分転換用のガムやキャンディーの類を持ち合わせていなかった。
電車の中のように、走り回るガキどももいなかった。
ただ、エンジン音なのか風を切る音なのか、機内は、ず~っとくぐもった騒音が満ちていた。
ほとんどがビジネス利用の乗客達は、皆、平然としていた。

「機内食は、フレンチか?和食か?」
だとか
「名古屋あたりで駅弁でも買おうか」
とか、
ボケをかましている余裕も無かった、、、、、、

小っちゃい窓のブラインドを閉めて、目を閉じておく事にした。
運ばれてきた冷たいお茶を飲んで深呼吸すると、ようやく気分が落ち着いた。
悪い予感を振り払う事に成功した頃、隣の座席に目をやると、引率者の友人は、手馴れた様子で黙々と機内誌を読んでいた。
その後の時間、気を取り直して、隣の友人と話をしているとすぐに羽田空港に着陸してしまった。
飛行時間は、わずか50分ほどだった。

地上に降り立てば、こちらのもの。
引率者の友人が立ち寄る先への乗り継ぎをテキパキと指示し(随分と予習したのだが 笑)、品川から東京大丸、そして水道橋のホテルまでたどりついた。
ま、そんなに自慢する事でもないが、、、、、



一度学習してしまうと、帰路は平気だった。
羽田は雨だった。
引率者の仕事の都合もあり、朝9時過ぎ発の便だったため少々睡眠不足だったが、ノープロブレム

離陸する時、小っちゃい窓のブラインドを降ろして足元を見ないようにしていたが、羽田では、離陸直後に旋回する事がなかった。
そのかわり、滑走路に出るまでに、低速で右へ左へとターンを繰り返していた。

少し経って、ふとブラインドを開けた時、主翼の左側に、でべそのように雲の上にニョッキリと顔を出した富士山が見えていた。

のぞみ号で行くと、新大阪~東京が約2時間半か、、、、、、
もう、新幹線には乗れない体質になってしまったのかも知れない。