ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

ゼレール作「息子」

2021-09-13 22:18:37 | 芝居
9月2日、東京芸術劇場プレイハウスで、フロリアン・ゼレール作「息子」を見た(演出:ラディスラス・ショラー)。
「母」「父」に続く3部作の最後の作品の由。
「父」は2019年に橋爪功主演で日本初演され、評者も見て感銘を受けた。娘役で共演した若村麻由美が今回も出演するというので期待が高まる。

「何かを変えたい。でも、どうしたらいいか分からない」
17歳の二コラは難しい時期を迎えていた。両親の離婚により、家族が離れ離れになってしまったことにひどいショックを受けて動揺し、何に対しても
興味が持てなくなってしまっていた。噓を重ねて学校にも行かずに日がな一日、目的もなく一人で過ごしていたところ、学校を退学になってしまう。
父親ピエールは新しい家族と暮らしていたが、母親アンヌから二コラの様子がおかしいことを聞き、何とか彼を救いたいと、離婚後に距離を置いていた
息子と向き合おうとする。生活環境を変えることが唯一自分を救う方法だと思えた二コラは、父と再婚相手、そして年の離れた小さな弟と一緒に暮らし、
新しい生活をスタートさせるのだが・・・。悩み、迷い、傷つきながら、自分を再発見していく絶望した若者の抒情詩(チラシより)。

ニコラ(岡本圭人)が再婚した父(岡本健一)と一緒に暮らしたいと言い出すので、父も再婚相手のソフィア(伊勢佳代)も戸惑いつつ彼を受け入れる。
ところが家に来た日、父がいない時にニコラは突然狂ったように本棚の本を床に投げ出し、本棚も壊してしまう。その後、父はそのことに全く気づかず、
だいぶたってからソフィアが床に散らばった本を集めて元に戻す。このシーンは二コラの心象風景を表しているのだろうが、この演出は分かりづらい。

ニコラは17歳にしては幼いように思われる。父が別の女性の元に走って母(若村麻由美)と離婚したからといって、あそこまでショックを受けるだろうか。
父は時に強権的だったり威圧的だったりするが、それでも息子のことを本気で心配し、自分の仕事など多くのものを犠牲にするのもいとわない。

意外だったのは、描き方があまりに情緒的でウェットなこと。特に、病院でニコラが「ここにいたくない!家に帰りたい!」と訴え、両親と引き離して彼を
連れて行こうとする医者たちに抵抗して大声で「パパ!パパ!」と叫ぶ場面で、アルビノーニの「アダージョ」がかなりの音量で流れたのには驚いた。まるで
メロドラマのよう。ドライなフランス人というのは評者の勝手なイメージかも知れないが、ここは非常に違和感がある。

父の息子に対する愛情の深さには打たれるが、ニコラのケースは前作「父」の場合と違って非常に特殊なので、なかなか感情移入しにくい。

教訓:医者の言うことを信じよ。患者本人の言うことを信じてはいけない(特に虚言癖のある子供の場合)。つらいことだが、情に溺れないように気をつけよ!

ピエールがあまりにも気の毒で、救いがない。善良な人で、自分にできる精一杯のことをしたのに最悪の結果を招いてしまい、まだ若いのに大きな喪失を抱えて
絶望し、自責の念のあまり死を願うほど追い詰められている。まだ4歳の子供の父親として、これからも生きていかなくてはならないというのに。

アンヌはピエールとよりを戻したい気持ちを隠さない。美しく魅力的だが、すでに別の女性と再婚して子供もいる彼に、楽しかりし過去を思い出させようとして
迫ったりして何とも感じが悪い。彼が電話に出ないからと、二人の家にアポなしで突然やって来て、ソフィアを見てもあいさつすらしない。
まず彼女に対して突然来たことをていねいに謝るべきなのに。ずいぶん失礼な人だ。
ピエールが彼女とうまく行かなくなったのも、何となく分かる気がする。彼が彼女からの電話に出なかった理由も。
若村麻由美はそういうアンヌを実にうまく表現している。
ピエール役の岡本健一は圧巻。欠点も含めて陰影と奥行きのある人物を造形した。

15歳の時に両親が離婚したとは言え、17歳にもなれば、好きなこと、夢中になれることが出てきてもいい年頃だ。
ニコラが「人生は重すぎる」と言うので、ひょっとして男として生きるのが辛く、実は女になりたい性同一性障害なのかと思ったが、違うようだ。
そうだったら、むしろよく理解できたのだが。彼の不登校の原因は、いじめとかの友人関係ではなさそうだし、失恋の痛みでもないという。
謎は謎のまま残る。何もかも両親の離婚のせいにするのもおかしい。
アーサー・ミラーの「セールスマンの死」を思い出した。長男は、父が母以外の女性と浮気していることを知ると、ショックのあまり高校の追試も受けず
(追試を受けることが卒業の条件だった)、人生のすべてに投げやりになる。やはり、あまりに幼く単純だ。その辺から家族全体がおかしくなり、ついに破局に至る。
有名な戯曲だが、その展開にはまったくついて行けない。
この作品にも同様のことが言える。
ニコラは平気で嘘をつき続け、そのことを何とも思っていないように見える。彼は自分のことを客観的に見ることができないのだろうか。
「愛している」と言いながら、相手が一番悲しむことをするとは・・・天国から地獄に突き落とすような仕打ちではないか。そこまで追い詰められているのなら
なぜ正直にそう言ってくれないのか。やはり虚言癖、そして人をだますことを何とも思っていないという彼の大きな問題がある。
両親がどんなに悲しむか、少しでも想像できたなら、あんなことはしないだろう。この息子には想像力も欠落していると言っていいと思う。

とにかくあまりにも救いがない。噓つきの男の子のせいで、大人3人が振り回され、今後もあまりにも苦しい。苦しみだけを残して去って行った子。
一体何のために?何がいけなかったかと言えば、親が子供を愛するあまり、医者の言うことを信じなかったこと。そして、もっと早く精神科に連れて
行っていれば、あるいは違った結果になっていたかも知れない。でもこれってそういう話なのか?
もやもやした気分が残る。何とも後味の悪い芝居だ。

ここまで書いた後、遅ればせながら演出家のインタビュー記事を読んだ。
演出家は「二コラは親にとっては永遠にミステリー」「子供は近くて遠い存在とわかるのが面白い」と言い、問題の種明かしをしない構成を気に入っているという。
なるほど、そういうことか。それにしても、種明かしのないミステリーを好む人がいるのか!?いやあ、人それぞれですね。

アルビノーニの「アダージョ」は、これまで好きだったが、この日以来、急に通俗的な曲に聞こえてきた。
とにかくあのシーンでの選曲はいただけない。




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