病気を治したいために意念の統制をしよう、菜食をしようでは、病気は一度治っても、またいつか起こる。心の奥まで自然療法にもっていくことが肝心。心には、うわべの心と奥の心がある。病気を治すためにこうしよう、と思うのは上べの心である。奥の心から、これこそ人間の道だからと確信して、意念の統制をする、菜食をする。自然の道こそ正しい道であり、これこそ守護霊へ心が通じる道である。
病気は、心の持ち方、食物、薬の弊害、身体の使いすぎから起こる。しかも、これら四つの誤った使用へ本人を向けるものは、その人に働く悪背後霊である。その霊を呼んだのは、本人の奥の心から発する波長である。
従って、奥の心を正しく、自然の道へ、すなわち守護霊と感応道交する方向へ向けておかねばならぬ。この場合、菜食を守って、体質をアルカリ性体質にしておくことは、守護霊が感応しやすい体質にしておくという意味で、補助的手段と理解すべきである。(『スピリチュアルな生き方原典』脇長生講述、桑原啓善筆録、でくのぼう出版)
自然療法をただ病気治しのために採用する、ということでは病を根本からは治すことにはならない、という厳しい指摘である。「玄米菜食をすれば治る」と考えるスタイルから入る治療では根治には至らない、という指摘である。
東城百合子先生が「病は己の間違った心に気付くきっかけ」と口を酸っぱくしてまで言われることには、ちゃんと霊的視点から見ても合理的な正当性があったのだ、と知る。
病気は、心の持ち方、食物、薬の弊害、身体の使いすぎから起こる。しかも、これら四つの誤った使用へ本人を向けるものは、その人に働く悪背後霊である。その霊を呼んだのは、本人の奥の心から発する波長である。
従って、奥の心を正しく、自然の道へ、すなわち守護霊と感応道交する方向へ向けておかねばならぬ。この場合、菜食を守って、体質をアルカリ性体質にしておくことは、守護霊が感応しやすい体質にしておくという意味で、補助的手段と理解すべきである。(『スピリチュアルな生き方原典』脇長生講述、桑原啓善筆録、でくのぼう出版)
自然療法をただ病気治しのために採用する、ということでは病を根本からは治すことにはならない、という厳しい指摘である。「玄米菜食をすれば治る」と考えるスタイルから入る治療では根治には至らない、という指摘である。
東城百合子先生が「病は己の間違った心に気付くきっかけ」と口を酸っぱくしてまで言われることには、ちゃんと霊的視点から見ても合理的な正当性があったのだ、と知る。
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