これからはあるがままに生きる時が来ていると足立幸子さんは書かれている。しかしあるがままとわがままは違うと明快に書いてもいる。
「あるがままに生きるというのならわがまま放題やっていいのかと勘違いされたことがあります。
あるがままに生きるというのは、自分もあるがままにやるのですが相手のあるがままも受け入れるということです。
わがままというのは自分はあるがままにやるのですが相手のあるがままは受け入れないのです」
→あるがままに(人を)見るというのは自分の尺度で人を見ない、色眼鏡をはずして人を見るということだそうだ。私たちは「あの人のこういう点は良いがこういう点は悪い」とか好き、嫌いの判断をしてしまう。そうではなくてただ「あの人はこういう面とこういう面とこういう面を持った人なんだ」とただただ受け入れて、ただただ見るだけ、らしい。こうして人を見続けていくと自分がとっても楽になるとか。
「これからは猫のようにマイペース、本音で生きていく時代がきます。猫は食べさせてもらっていても媚びない。「私はこうです。これで悪かったらもう好きにしてください」と。これからは良い子をやめることです。人から良く思われようなんていっさい考えない。そして「こうあるべきだ。こうあるべきでない」などというあらゆる枠をどんどんはずしていってください。」
→本音で生きるということは自分にとって無理がないから楽なことだと思う。ポイントは他人のあるがまま、他の生き物のあるがままも受け入れることだったり、自分の命の安全や快楽ばかりを考えることではない、ということか。
かんたんな“あるがまま”という言葉だけど一番難しいことだと思うなぁ。
さて次回からは『波動の法則』について書いてみようと思う。宇宙語が飛びかい理解しがたいところが多いけど学んだことを表現することでまたぼくの中にパワーが入ってくるだろうことを期待して“放電”していくつもり![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
「あるがままに生きるというのならわがまま放題やっていいのかと勘違いされたことがあります。
あるがままに生きるというのは、自分もあるがままにやるのですが相手のあるがままも受け入れるということです。
わがままというのは自分はあるがままにやるのですが相手のあるがままは受け入れないのです」
→あるがままに(人を)見るというのは自分の尺度で人を見ない、色眼鏡をはずして人を見るということだそうだ。私たちは「あの人のこういう点は良いがこういう点は悪い」とか好き、嫌いの判断をしてしまう。そうではなくてただ「あの人はこういう面とこういう面とこういう面を持った人なんだ」とただただ受け入れて、ただただ見るだけ、らしい。こうして人を見続けていくと自分がとっても楽になるとか。
「これからは猫のようにマイペース、本音で生きていく時代がきます。猫は食べさせてもらっていても媚びない。「私はこうです。これで悪かったらもう好きにしてください」と。これからは良い子をやめることです。人から良く思われようなんていっさい考えない。そして「こうあるべきだ。こうあるべきでない」などというあらゆる枠をどんどんはずしていってください。」
→本音で生きるということは自分にとって無理がないから楽なことだと思う。ポイントは他人のあるがまま、他の生き物のあるがままも受け入れることだったり、自分の命の安全や快楽ばかりを考えることではない、ということか。
かんたんな“あるがまま”という言葉だけど一番難しいことだと思うなぁ。
さて次回からは『波動の法則』について書いてみようと思う。宇宙語が飛びかい理解しがたいところが多いけど学んだことを表現することでまたぼくの中にパワーが入ってくるだろうことを期待して“放電”していくつもり
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