ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

期待の惣菜は売切れ 水郷潮来の橋めぐり

2017年06月16日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」

2017年6月16日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29年度第10回(2017年第23回)、「道の駅と水郷潮来の橋めぐり
ウォーキングに参加した。


第一集合場所の土浦ピアタウンに集まったのは17名。


車4台に分乗し、10時30分、道の駅「いたこ」に到着。
予定より30分遅れての到着だ。
やはり土浦から潮来までは1時間30分はみておく必要がある。


直行したのは夫婦4組の8名で、参加者は25名となった。


準備体操は省略して、10時39分、出発!
いつものOさんに代わって旗手を務めるのは、Nさんだ。


直ぐ後ろに女性陣が続く。


後続メンバーの最後尾にOさんの姿が。


県道101号を水戸・鹿嶋方面へ。


最後尾にいたと思ったら、いつの間にか先頭グループに。
Oさんは、やはりこの位置が合っている。


空は曇っているが、暑い。
予想では潮来のこの日の最高気温は28度、とのこと。


県道101号の側道を進む。
県道脇に歩道はあるのだが、側道(農道)は静かで歩き易い。


洲崎交差点手前で側道が途切れていたため、国道51号へ。


神宮橋手前の洲崎交差点を横断し、


国道51号鹿嶋BPを新神宮橋方面へ。


久しぶりの参加のTさん、痛めていた腰の具合も良くなったそうで、
この4月に84歳の誕生日を迎えたが、元気いっぱいだ。


11時12分、新神宮橋西端に到着。


右手に神宮橋を見ながら進む。


『風がとっても気持ち良いわよね~っ』
この日の女性最高齢のS子(83)さんはいつも明るく元気が良い。
『歩くのが楽しくて仕方がない』そうだ。


『この橋長いんだねっ』
優に1Kmはあるだろう。


先頭Gは快調なペースである。


北浦湖岸に建てられた赤い鳥居は、日本最大級の水中鳥居である。
湖底からの高さは18m、幅22mの鉄製だ。
因みに嚴島神社の大鳥居は、木造両部鳥居(四脚鳥居)の構造で、
高さ約16.6m、棟の長さ24.2 m、とのこと。


真下を豪快に波しぶきを上げながらボートが通過していった。
『気持ち良さそうだねっ』


鹿島線の電車
『4両編成なんだぁ』
『乗る人がまだ多いってことなんでしょうねっ』
ローカル線の4両編成が珍しい時代になって来たということか・・・


新神宮橋の終点(東端)が見えて来た。


11時27分、ようやく新神宮橋を渡り切り、鹿嶋市に入った。
橋を渡り終えるのに凡そ15分かかったことになる。


側道を下り、新神宮橋から神宮橋へ向かう。


新神宮橋で折り返し、神宮橋へ。


その前に新神宮橋下のトンネルで一休みしよう。
休憩するには、少しでも日除けが欲しい。
『トンネルは風が通り抜けるから涼しくて良いねっ』


新神宮橋を望む。
『今歩いて来たんだぁ』 『けっこう歩いたんだなぁ』
後方に見えるのはJR鹿島線だ。


休憩を終え、神宮橋へ。


神宮橋
『今度はこっちの橋を渡るのかぁ』
『さっきよりは、ちょっとだけ距離が短いみたいだねっ』


11時41分、神宮橋の渡りを開始。


神宮橋から新神宮橋を望む。
夕日が似合いそうな景色である。


神宮橋を渡る。
対岸まで約1Km。


『日除けが欲しいわねっ』


大船津一之鳥居
常陸風土記編纂1,300年の節目を記念し、また震災復興を祈る存在として、
平成25年、新しい鹿島神宮を象徴するシンボルとして、誕生した。
水中鳥居ということで、安芸宮島の厳島神社の鳥居を連想させる。


久しぶりの参加のFさん夫妻。
元気そうで何よりだ。


鰐川の対岸に「KOHANSO」と書かれた建物が見えて来た。
今は廃墟となっている。


神宮橋を渡り切った所で、国道51号を横断。


振り返って神宮橋を見る。


地蔵河岸船溜り
漁船の係留の他、水質及び環境汚染を防止するため、
漁業関係者が清掃管理している施設、とある。


北浦の鰐川に沿って進む。


『風が弱くなったらやっぱり暑いわねっ』


延方干拓排水機場
この地域は周囲を水に囲まれ、度々水害に悩まされ続けてきた。
昭和13年と同16年に、大規模な水害に相次いで見舞われ、
農家の暮らしをひどく困窮させた。
これを機会に、排水対策等が積極的に協議され、昭和21年には、
県営潮来町外2ヵ村農業水利事業に、昭和33年には国営延方干拓事業に
相次いで着手し、用排水路や機場の建設、ほ場の整備に取り組んだ。


この結果、地域の営農環境は飛躍的に改善され、有史以来悩まされ続けてきた
水害もめっきり少なくなった、とのこと。


排水機場の先を右折して進むと・・・


地域用水環境整備事業で整備された親水公園の一角に
周囲を草ぼうぼうに覆われた、東屋(四阿)があった。


12時3分を過ぎたところだが、ゴールはまだ先、
ここで一息入れていこう。


小さな四阿なので、全員は収まり切れない。
しかし、譲りあえば日除けは何とか可能だ。


12時14分、四阿を出発し、ゴールの道の駅「いたこ」を目指す。


親水公園内の排水路に架かる太鼓橋を渡り、


一直線に伸びた排水路に沿って進む。


『暑いのは苦手だねぇ』が口癖の会長だが、
平坦な道は得意とするところだ。


排水路を横断する道路を横切り、


炎天下の中黙々と進む。


道の駅「いたこ」を目指す。


『真っ直ぐで長い道だねぇ』


葦の中から盛んにヨシキリの鳴き声が聞こえる。


四阿を出発して炎天下を歩くこと25分、
前方にゴールの道の駅「いたこ」が見えて来た。


暑い中を歩いたのが堪えたのか、『ちょっと休憩っ』の声が。
『いやぁ この暑さには参ったよっ』


『あとちょっとだけど、ゆっくり休みましょうよっ』
の暖かい声に周りの気持ちもほぐれる。


少しばかりの休憩で元気を取り戻し、
県道101号の信号を横断すると、


道の駅「いたこ」の駐車場である。


12時49分、全員揃って道の駅「いたこ」に到着した。
『お疲れさま~っ』


この日は”弁当なし”である。
代りに道の駅のレストランでの食事を予定していたのだが・・・
時間的にやや遅くなったことで、好みの惣菜を選ぶことが出来るのか?
気になるところである。
整理体操は省略し、直ぐに道の駅のレストランへ向かった。


時計は12時55分を差していた。


しかし、”時既に遅し”で不安は的中。
案の定惣菜はほとんど売切れてしまっていた。
残りの惣菜もわずかである。


13時となっては、惣菜での食事は諦めるしかない、
ここは麺類または丼物などの単品メニューを注文することにしよう。


”かきあげ丼”(500円)を注文した。


食事風景


食事風景
運良く? 惣菜のおかずにありつけた人もいる。


食後は土産物店をブラつき、


車の同乗者が揃った時点で、自由に帰路に就いてもらうことにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『帰りは気を付けて~っ』


潮来は、ここ数年何故か6月頃に予定しているが、梅雨という時期柄、
この2年間は続けて中止となっている。
今回、梅雨の中休みということで天気に恵まれたこともあり、
無事”潮来の橋めぐり”ウォーキングを実施することができた。

道の駅「いたこ」を出発し、国道51号の新旧神宮橋を往復するという
単純なコースではあった。
車では何度も通ったことはあるが、両方の橋を歩いて渡るのは、
今回が初めてである。
こういった企画ならではの醍醐味ではなかろうか。

道の駅レストランの惣菜を期待していたが、時間的に遅れたことで、
売切れになってしまっていたのは、残念というしかない。
もう少し早めに訪れて、好みの惣菜を味わってみたい。

この日の万歩計は、15,000歩を少し超えていた。

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小田代原の緑と千手ヶ浜の九輪草を満喫

2017年06月09日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年6月9日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29年度第9回(2017年第22回)、「小田代原から千手ヶ浜(奥日光)
ハイキングに参加した。
奥日光の赤沼車庫をスタートし、小田代原の緑と千手ヶ浜のクリンソウを
愛でようという企画である。

5時43分、土浦市三中地区公民館に常南交通の大型バスがやって来た。


天川団地入口、土浦市民会館へと周り、土浦北ICから常磐道へ。
この日の参加者は、39名だ。
当初、満席となる44名の参加希望があったが、諸事情により、
5名が参加を見合わせることとなったため、記録更新とはならなかった。


いつもの朝食弁当、
『今日も弁当が美味いっ!』


友部SAで最初の休憩を摂った後、北関東道へ。


北関東道から東北道を走り、いったん宇都宮ITを出て、
日光宇都宮道路へ。


8時33分、日光宇都宮道路の日光口PAで2度目の休憩。
ここで、昼食の弁当を受け取る。


清滝ICを過ぎると、車窓から日光男体山(2,486m)が見えた。
今日は、予報では”晴れ”、期待したい。


9時15分、中禅寺湖畔の二荒山神社の鳥居を通過


中禅寺湖を左手に見ながら目的地の赤沼駐車場へ。
『湖がきれいだね~っ!』


9時34分、スタート地点の赤沼駐車場に到着
『いやぁ 素晴らしい天気だねぇ』


ここで昼の弁当を受取る。
どんな弁当なのか、バスハイクの楽しみの一つだ。


Oさんの号令で準備体操
『精一杯身体を横に倒して~っ』


『背中を思いっきり反らす~っ』


『最後は深呼吸~っ』


この日は、39名という大所帯のため、A,B,Cの3班に分かれて点呼を取る。
点呼を終わり、出発だ。
先ずB班、


続いてA班、


C班と続く。
班分けは点呼を取る時にだけ人数確認が出来れば済むことなので。
歩く際には気の合う人同志で自由に歩いてもらう。


赤沼車庫前の国道120号を横断すると、


もうそこは、戦場ヶ原である。
小さな流れに沿って進む。


『ほんとに気持ちが良いわねっ』


9時58分、小田代原まで2.1Kmの地点を通過


木橋を渡り、


一面に熊笹が覆い尽くす「小田代歩道」を進む。


『平坦だから、歩き易いわねっ』


戦場ヶ原・小田代原を歩いてきたのだろうか、
20人ほどの団体とすれ違った。
道を譲っているのは当会の女性陣、何と言う気配りなのだろう。


鹿害を防ぐための金網を抜けると、


そこからは小田代原だ。


赤沼車庫を出発して、30数分、
『そろそろ休憩した方が良いんじゃないっ』の声・・・


ご要望に応え、水分補給のため休憩しよう。


5分ほどの休憩後、鹿害対策の金網を抜けると、
低公害バス用道路に出た。


右手に小田代原の景色を見ながら進む。


『天気も良いし、最高の景色だね~っ』


『今日は来て良かった~っ』


10時48分、小田代原バス停を通過


『ほんとに緑が美しいねぇ』
『新緑みたいっ』


弓張峠を超え、少し下ると、


ヘアピンカーブの手前に西ノ湖(さいのこ)・千手ヶ浜への
近道(階段)があった。
『せっかくだから、下っちゃおうっ』


石段を下ると、バス用道路(日光市道1002号線)だ。
ヘアピンカーブを往復200mほど近道したようだ。


日光市道1002号線を西ノ湖を目指す。


道路の両側には、カラマツの林が広がっている。
真っ直ぐに伸びたカラマツとその緑が美しい。


鮮やかな色のヤマツツジが咲いていた。
赤と緑のコントラストが美しい。


日光市道1002号線を進む。
『下りだから楽だねっ』


素晴らしい緑の景色に、気持ちが癒される。


『今まで経験した中でも最高クラスの景色だねっ』


カラマツの林


快調なペースで西ノ湖を目指す。


橋を渡る。


小さな流れは、雪解け水だろうか。


自転車もたまに走る。
気持ち良さそうだ。


赤沼車庫と千手ヶ浜間を走るバスとすれ違う。


11時31分、小田代原へ抜ける山道との分岐点を通過
山道を経由すると、弓張峠まで徒歩60分のところが、90分かかるとある。
時間のある時に歩いてみたい。


空には飛行機雲が


カーブミラー


11時36分、西ノ湖入口近くで一休み。


恒例のお茶タイムが空腹の足しになる。


11時43分、先ほどの休憩した所から200mほどで、
西ノ湖入口分岐点に到着した。
真っ直ぐが西ノ湖への道で、左は、千手ヶ浜へと続く道になる。


ゲートを通り、西ノ湖方面へ。


アザミ橋を渡る。


アザミ橋を渡ると、西ノ湖まで1.3kmの標識が。


ここでもカラマツ林の緑が美しい。


カラマツ林の中、西ノ湖を目指す。


『ほんとに素敵な道だわねっ』


11時55分、吊橋に到着


揺れる吊り橋を渡り、


300mほど進むと・・・


12時5分、西ノ湖に到着した。


西ノ湖パノラマ写真


ここで弁当タイムだ。


夫婦仲良く


こちらは男性陣


この日の弁当も美味しく戴いた。


弁当が終わり、記念写真を撮ることに。


湖をバックにしたいが、逆光になるので、湖側から撮影することにした。
一度に全員は少々無理があるので、班毎に撮った。
先ずはA版


続いてB班


最後にC班


記念撮影を終え、クリンソウの咲く千手ヶ浜に向かう。


吊橋を渡る。


吊橋を渡る。


「千手の森歩道」を千手ヶ浜へ
千手ヶ浜までは、2.1Km、凡そ30分ほどだ。


「千手の森歩道」を快調なペースで進む。


「千手の森歩道」を進む。


この辺りは「千手ヶ原」と呼ばれている所だ。


千手ヶ浜へ0.3Kmの地点を通過


両側一面にフキが群生している。
『もの凄いフキの量だねぇ』


形はそれほど大きくはないが、北海道の景色を連想させる。


千手ヶ浜は間もなくだ。


千手ヶ浜が見えた。


千手ヶ浜を右折してクリンソウが咲いているという場所へ。


乙二郎橋を渡って、少し行くと、


右手にクリンソウを写真に収めている人達が見えた。


クリンソウは「九輪草」と書く。
春になると茎を高さ50Cmほど伸ばし、約2Cmほどの花を咲かせる。


それが2~5段ほどの階層状に咲きあがっていく姿がお寺の屋根の
「九輪」に似ていることからその名が付いたと言われている。


「仙人庵」という小屋の方へ進むと・・・


こちらでも熱心に写真を撮っている。


赤・白・ピンクと色も様々である。


クリンソウ


女性陣の数人が丸太に腰を下して休憩していた。
『クリンソウは充分に堪能したわっ』
歩き疲れて一休みしているというのが、正直なところかも・・・


中禅寺湖に流れ込む流れの先に行ってみると、


たくさんのクリンソウが群生していた。


クリンソウ(2)


クリンソウ(3)


クリンソウ(4)


クリンソウを堪能し、船着き場へ向かおうとしたところ、
女性陣の数人が、さらにたくさんのクリンソウが見られる、
との情報を入手したとのこと。
5分ほど先の千手堂の周辺に咲いている、とのことらしい。
10名ほどで千手堂へ向かった。
片道5分程度であれば、船には充分間に合うだろう。


千手ヶ浜から中禅寺湖・日光男体山を望む。
このままずっと見惚れていたい景色である。


千手堂手前の流れの向う岸にクリンソウが咲いていた。
それほどたくさんの花ではない。


千手堂から戻る人に訊いてみると、千手堂の周りやその周辺に
クリンソウは見られない、とのことである。
『もしかしたら、この花のことなのかしらっ?』


『まぁ クリンソウは充分見れたことだし』
これ以上クリンソウを求めて周辺を探す時間もないので、
船着き場へ向かうことにした。


外山沢橋を渡って進むと、


先着組の人たちが、ベンチに腰を下していた。


乗船切符売り場から300m以上離れたトイレから戻ると、
先に到着していた会計担当の女性が、乗船切符を購入し、
皆さん既に船乗場に並んでいた。
他のお客さんと合わせると300人ほどになるだろうか。


『こんなにたくさんの人が一度に乗れるのかなぁ』
などど気を揉みながら、待つことしばし。


千手ヶ浜の沖合に船の姿が。
2階建ての双胴船である。
小さく見えるが、係の人が言うには、300人以上でも充分乗れるとのこと。


14時17分、乗船開始


1階と


2階に分かれて席を確保。


14時30分、船は定刻より5分ほど遅れて出航し、菖蒲ヶ浜へ向かった。
船の窓から男体山を望む。


菖蒲ヶ浜から千手ヶ浜方面を望む。


14時45分、船は15分で菖蒲ヶ浜に到着。


桟橋を渡り、


バスが待っている駐車場に向かう。


『ここにもクリンソウが咲いてるよっ』
何と駐車場の近くに、クリンソウが咲いていた。
『千手ヶ浜まで行かなくても見ることができるんだぁ』


14時57分、全員無事バスに到着。


帰りのバス車内
皆さん、少しお疲れの感じだが、一安堵といった様子。


会計さんによる料金徴収が終わり、15時10分頃に駐車場を出発。
途中日光宇都宮道路の日光口PAに立寄り、


日光宇都宮道路・東北道を走る。
北関東道を走る頃には、恒例の酒宴も一段落し、
後部座席の皆さんは、ひと休みといった状態だ。


17時26分、友部SAに到着し、最後の休憩を摂る。


手に手に土産物をぶら下げ、


家路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


この日、奥日光の赤沼車庫を出発し、小田代原から千手ヶ浜までを歩いた。
道は平坦、というより弓張峠を超えてからは緩やかな下りで、
やや距離は長かったものの、歩き易いコースだった。

この時期は千手ヶ浜のクリンソウを見るために大勢の人が訪れるとは
聞いていたが、その数は、予想以上だった。

小田代原の新緑のような緑と、千手ヶ浜のほぼ満開と言っていい状態の
クリンソウを心行くまで堪能し、満足のいく一日だった。

この日の万歩計は、22,000歩を少し超えていた。

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筑波山に見守られ りんりんロード(筑波⇔小田)

2017年06月02日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年6月2日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29年度第8回(2017年第21回)、「つくばりんりんロード(筑波⇔小田)
ウォーキングに参加した。
旧筑波鉄道筑波駅をスタートし、りんりんロードを小田城跡まで行き、
小田城跡を見学して、またりんりんロードを戻って来るというものである。

この日の第一集合場所は乙戸沼公園
集まったのは12名、ちょっと少ない。


筑波山口に到着してみると、直行した人は2名だけ。
20名は集まるかと思ったが、合計14名はいつものほぼ半数だ。
筑波山口から小田城跡までの往復ということで、距離が15Kmと長いのと、
暑い中、あまり変化がないとされるりんりんロードを歩くということが
敬遠されたのかも。


筑波山口から見た緑に覆われた筑波山


Oさんの号令でいつもの準備体操
『腕を回して~っ』


『最後に大きく深呼吸~っ』


10時1分、Oさんを先頭に出発!


皆さんが後ろに続く。


筑波山口近くの桜並木は、木が小さい。
植樹されて日が浅いのだろう。


『がんばれよぉ』
振り返ると、筑波山が応援してくれている。


小田城跡を目指す。


10時12分、岩瀬から21Km地点を通過
筑波山口(旧筑波鉄道筑波駅)がりんりんロード(土浦~岩瀬)の
ちょうど真ん中(20Km)になるので、1Km歩いたことになる。


桜の木が先ほどより少し大きい。
陽が当る場所と木陰が交互にやって来る感じ。


前方左手に宝篋山が見えて来た。
『あの山の麓が小田城跡だよねっ』
小田城址は、まだまだ大分先である。


信号はないが、車が数台往来するタイミングだったため、
停止して車を先に通しているところ。


10時34分、水分補給のため一休みしよう。
この日の予想最高気温は30度、水分補給が熱中症対策には一番だ。


男性陣は、木陰で一息入れている。


休憩を終え、再び小田城跡を目指す。


10時46分、岩瀬から23Km地点を通過
この辺りには小規模な中古車販売店が多い。


『”オイル交換一生無料”って、その分車代に入ってんじゃないのぉっ?』


左手に北条の家並みが見えてきた。


北条の辺りは桜の木が大きい。
『きっと桜がいっぱい咲いていたんでしょうねっ』
『桜が咲く頃に歩いてみたいわねっ』


10時52分、北条入口を通過


一転、桜の木がまばらになった。
『木陰が欲しいねぇ』


11時1分、カスミ北条店を通過し、


続いて筑波高校を通過すると、


11時9分、旧北条駅跡に到着。
2度目の休憩を摂る。


『小田城跡までもうちょっとかなっ』


国道125号だ。


11時18分、国道125号下のトンネルを抜けると、


桜の木のトンネルが待っていた。
桜の木が直射日光を遮ってくれるので、暑さは感じない。
時折吹く風が涼しく心地良い。
『ここはほんとに気持ちが良い道よねっ』


広域農道を横切る形で通過


つくば市筑波農協
『カントリーエレベーターって何のことだろうねっ?』
後で調べたら、
籾を貯蔵する巨大なサイロや穀物の乾燥施設・調整施設などの設備に加え、
穀物搬入用の巨大なエレベーターがあることからカントリーエレベーター
という名前が付けられた、そう。


道の両側いっぱいに咲く花が目を楽しませてくれる。
『きれいだね~っ』


しんがりを務める会長とTさん。
足取りは軽い。


宝筐山が大分近くになってきた。


筑波山から宝筐山を一度に望む。


11時35分、岩瀬から26Km地点を通過、筑波山口から6Km歩いたことになる。
2度の休憩を入れて1時間35分、時速はほぼ4Kmだ。
快調なペースと言えるだろう。


桜並木が続く。


小田城跡を目指す。
桜の木が片側にしか植えられていない個所もある。


『立派な塀のお家だよね~っ』


長い塀を過ぎた辺りの11時48分、岩瀬から27Km地点を通過
『まだ先ということは、往復14Km以上は歩くってことなのよねっ』


塀の家を過ぎて数分、小田城址の碑が現れた。
『着いたのかしらっ?』
小田城跡はもう少し先である。


小田城址の碑の傍に建つ天文七年(1538)作の石造五輪塔
県指定文化財になっている。
本丸跡の見晴台にあったものをここに移したと思われる。


「小田城歴史ひろば案内所」
帰りに立寄ることにして、先ずは小田城跡へ。


五輪塔群を左手に見ながら進むと、


正面に小田城跡の復元された土塁が見えてきた。
つくば市が、平成21年度(2009)から7年間かけ、発掘調査を行い、
その結果をもとに城跡中央の本丸跡とその周辺を中心に、
中世の小田城を体感出来る「歴史ひろば」として、復元整備したものである。


11時58分、小田城跡に到着した。
2012年8月31日(金)に訪れた時には、一部だけ復元されていた土塁だが、
きれいに復元されていた。
『昔はこんな土塁に囲まれてたのかぁ』


復元された城跡へ
『いやぁ 中はけっこう広いなぁ』


『宝篋山が真正面って感じだねっ』


『立派な公園、素敵だねっ』


城主の屋敷などがあった跡(1)
調査で確認できた建物と大きさが示されている。


城主の屋敷などがあった跡(2)


本丸跡辺りから見た景色
筑波山もはっきりと見える。


パノラマ写真で見るとこんな感じ


四阿(あずまや
発見された建物跡の柱位置や大きさをもとに、
休憩施設として設けられている。


ちょうどお昼(12時4分)である。
お腹も空いたことだし、ここで弁当にしよう。


筑波山(左)と宝篋山(右)


『いやぁ 筑波山と宝篋山の両方を眺めながらの弁当って最高だねっ』


筑波山が一段と美しい姿を見せる。
『昔もこんな感じで筑波山を見てたんだろうなっ』


『天気は良いし、今日の弁当は最高に美味いっ!』


しかし、弁当を食べ終わる頃には、雲行きが怪しくなってきた。


土塁を半周して戻ることにしよう。
階段を上り、東虎口の土塁上へ。
土塁は、本丸の地面から2mの高さに盛られている。


土塁の上から東堀・東橋を望む。
東橋を渡った先は、小田氏時代の大手口(正面)と考えられ、
東橋は、最終期は木橋と土橋の組み合わせで、それ以前は木橋だった、そうだ。


復元された堀は、埋まっていた部分を掘り直した、とのこと。
今は空堀だが、そのうち水を張るのだろうか。


復元された土塁の上を進む。


土浦方面へりんりんロードが続いている。
りんりんロードは、手前で大きく右へカーブしているが、
かつての筑波鉄道は、城跡のど真ん中(今立っている真下)を
真っ直ぐに走っていたのだ。


土塁の上(通称涼台)から城跡の南部を望む。
手前の池は小田氏時代に使われた庭園の東池で、
池底には石を敷き、州浜(すはま)もあった。


土塁を下りて建物域の本丸跡を通り、小田城跡を後にする。


「小田城歴史ひろば案内所」(無料)をちょっとだけ覗いてみよう。


小田氏は、小田城歴代の主として、常陸国南部に勢力を持った一族。
小田氏15代、四百年の物語が歴史絵巻風に展示されている。


鎌倉時代、初代八田知家は藤原北家の流れをくむ宇都宮氏と同系の氏族で、
源頼朝の信任が厚く、最初の常陸守護に任じられた。


南北朝時代、小田氏は南朝方につき、その重臣である北畠親房を迎え、
南朝方の関東での拠点として戦った。
親房が小田城で「神皇正統記」を執筆したことも著名。


室町時代に小田氏(八代孝朝他)は、関東で最も格式の高い名家を指す
「八屋形」(千葉・小山氏など)の一つに数えられた。


戦国時代の十四代政治も常陸南部で最大の勢力だったが、16世紀中頃には、
相模の後北条氏や越後の上杉氏、常陸北部の佐竹氏に挟まれ、小田城は、
何度も戦いの舞台になった。


十五代氏治は、後北条・結城・佐竹・上杉氏と戦い、小田城は何度も落城するが、
氏治はそのたびに土浦城に逃れ、小田城の奪還を繰り返した。
しかし、永禄十二年(1569)の手這坂の合戦で敗れて小田城を奪われ、
以後、小田城は佐竹氏の支配下となり、関ケ原の合戦後の慶長七年(1602)、
佐竹氏の秋田移封により廃城となった。


小田城遺構復元広場(映像)


小田城遺構復元広場の配置図(映像)


雲行きが怪しい、ゆっくりしている余裕はない。
直ぐに戻ることにしよう。
『雨に降られなければ良いんだけどな・・・』


次第に風が強くなってきた。
怪しい雲に向かって吹く風である。


正面から風をまともに受ける。
『帽子被ると飛ばされちゃうのよ』


風速15m以上はあるのではないか?
真っ黒い雲が後方へと流されて行く。
風はまだ強いが、これで一応雨の心配はなくなったようである。


カントリーエレベーター近くの広域農道分岐点を通過し、


13時11分、土浦から14Km地点を通過
『ということは、あと6Kmなのよねっ』


筑波山口を目指す。


筑波山がくっきりと見えて来た。


桜並木のトンネルが続く。
『ここは、ほんとに気持ちが良いよねっ』


筑波山口を目指し、桜の並木道を進む。


依然として風は強い。


右手に筑波総合体育館が見える。
まもなく国道125号である。


筑波山口を目指し、桜並木を進む。


13時26分、国道125号下を抜け、


13時31分、旧北条駅跡に到着。
ここで一休みしていこう。


『いやぁ 風が強いのには参ったなぁ』


筑波高校のグラウンドでは、綱引きが行われていた。
『これって本番なのかしらっ?』


13時47分、岩瀬から24Km地点を通過
筑波山口まで残り4Kmだ。


左手につくば北警察署を見ながらゴールを目指す。


筑波山が次第に大きく、はっきりと見えるようになった。


この頃には、風も次第に弱まって、心地良い風となってきた。


『今日はず~っと筑波山が見れて良かった~っ』


筑波山が美しい姿で迎えてくれている。


筑波山口を目指す。


14時15分、土浦から18Km地点を通過
筑波山口まで残り2Km。


筑波山口を目指す。


後方の男性陣との距離は100mほど。
その距離は後半は終始変わらない。


『クワの実が生ってるよっ』


『甘くて美味しいねっ』
『子供のころよく食べたわよねっ』


筑波山が迫ってきた。
『筑波山をず~っと見ながらなんて、りんりんロードも
案外捨てたもんじゃないわよねっ』
この一言、この日参加しなかった人に聞いてもらいたい。


14時30分、土浦から19Km地点を通過
ゴールまで残り1Kmだ。


ゴールの筑波山口へ。


筑波山がお迎えだ。
『おかえりっ、よく頑張ったなっ』


『朝はこんな碑があるとは気が付かなかったよなぁ』


りんりんロード桜並木発祥の地碑
多くの人々にやすらぎと美しさを楽しんで戴けるよう、全線40余キロの
壮大な桜並木計画し、平成十年三月一日植栽を始めた。
桜並木発祥の当地に趣意と決意を録し、碑を建立する。
平成十年三月一日 リンリン道路さくらの会


筑波駅の石柱碑を通過し、


14時42分、ゴールの筑波山口に到着だ。
『いやぁ やっと着いたねぇ』


締めの整理体操をして・・・


『最後に大きく深呼吸をして~っ』
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


今回の筑波山口から小田城跡往復ウォーキングで、当会としては、
りんりんロードの全ての区間を歩いたことになる。
自分の入会以前には、桜の時期に歩いたこともあるそうだが、
自分としては桜の季節は未だ歩いたことはない。

りんりんロードの桜並木はまだ木が若すぎて、
桜の花はあまり大したことはないのではと思っていた。
しかし、この日歩いてみて、桜の木もけっこう大きく育っていると感じた。
一度桜の時期に歩いてみるのも良いのかなと思った次第である。

この日の万歩計は、23,000歩を計測していた。

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コメント
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