ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

関東ふれあいの道(埼玉) No.2「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」

2014年11月23日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年11月23日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、無事踏破した。
続いて、埼玉県(全13コース)は、2014年9月から開始・実施している。

この日は、埼玉県のコースNo.2「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」(約9.5Km)を歩いた。
西武池袋線新宿駅で飯能行き電車を待つ。この日の参加者は9名だ。


西武池袋線車内
『今日もよろしく~っ』


西武池袋線車内
『混んでくる前に腹ごしらえしとこうっと』


7時55分、飯能駅に到着し、バス乗り場へ急ぐ。
8時ちょうど発の名郷行きバスは既に到着していた。
バスは満席状態だった。


列の最後に並んでいると、バスは出発してしまった・・・『あらら 行っちゃった~っ』


と思う間もなく、直ぐに臨時のバスがやって来た。
全員楽に座って行けるというのはありがたい。


8時50分、スタート地点の小殿バス停に到着。


バス待合所前に「関東ふれあいの道」の案内板があった。
『今日も頑張って歩きましょうっ』


周りの景色も素晴らしいし、天気も言うことなしだ。


早速、準備体操をして、


9時3分、出発!
『いやぁ ほんと素晴らしい景色だねっ』


左手に奥武蔵の美しい景色を見ながら100mほど進むと、


コースNo.2「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」の入口があった。
9時5分、上り開始!


上り口には、なぐりづえ(名栗杖)が置かれている。


竹寺・子の権現への道は、いきなり急な坂道で始まる。
なぐりづえ(名栗杖)はダテに置かれているのではない。
竹寺・子の権現を目指す人には、杖は必須である。


杉の林を縫うように上る。


20分ほど杉の林を上って行くと、電線鉄塔脇に出て、視界が開けた。


視界が開けたのはほんの少しの間だけだった。


再び杉の林が続く。
『まだまだ先は長そうだねっ』


杉木立のシルエットが美しい。


先頭を行くKさんは、もくもくと進む。


『この道は一般向けとは思えないよねっ』


9時57分、ようやく尾根の分岐点に出た。
竹寺0.4Km、子の権現3.4Kmと表示されている。
『竹寺まであと400mかぁ』


里程標を見ると、まだ1.3Kmしか進んでいない。
小殿バス停を出発して既に50分以上経っている。
『ゴールまでまだあと8.2Kmもあるんだねっ』


竹寺を目指す。
標識から先は下りになっている分、楽になった。


5分ほど下ると、きれいな紅葉が目に入るようになった。


立派な萱葺き屋根は、神社のようにも見えるが、竹寺?


『竹寺に着いたみたいねっ』


10時10分、竹寺(天台宗医王院八王寺)本殿に到着。
『思った以上に立派じゃないっ』
門柱には「瑠璃光城」とあるが、お城だったのだろうか?


海抜490mとあるから、かなり高い。


牛頭天王(ごずてんのう)本殿
竹寺の本殿には、本尊の牛頭天王と、その脇には八王子(牛頭天王の八人の王子)が祀られている。
牛頭天王は、インド祇園精舎の守護神ともいわれ、中国に入り、密教・道教・陰陽思想の習合があり、
日本に伝わったとされる。
疫難消除・除災招福・出世開運の「天王さま」として信仰されている。(説明板より)


先ずは本殿へお参りして行こう。


茅の輪と鳥居を潜って庫裏方面へ行ってみる。
竹寺は、寺と宮が同居している、東日本唯一の神仏習合の姿を残しているお寺である。


参道の美しい紅葉に、いつの間にか疲れが癒された感じだ。


藁葺の古い民家風の建物があった。本坊らしい。
この寺は、蕎麦が人気があるそうだ。竹笹そばと天ぷらの膳が1,200円とある。
営業は12時~15時となっているが、何組かが受付を済ませたのか、家の前で時を過ごしていた。
しかし、時計はまだ10時20分を回ったばかりだ。


俳句舎の前に大田道灌が植えたと伝えられる、コウヤマキが立っていた。
「道灌槇」と呼ばれており、幹回り3.86m、根回り7.55m、樹高26m、樹齢は推定400年とのこと。
平成11年7月30日に、飯能市の特別天然記念物に指定されている。


瑠璃殿
薬師如来を祀っている。


瑠璃殿の正面に観音堂がある。
聖観世音菩薩をお祀りしている。
武蔵野三十三観音霊場の第三十三番結願のお寺となっている。
ここで武蔵野観音霊場巡りが満願となるのだ。


右手に斧、左手に索を持つ牛頭明王像
この像は、日中国交正常化20周年にあたり、中国民間人15名の奉納によるもので、
1992年(平成四年)11月11日に除幕された。
牛頭明王の由来としては、次のように紹介されている。
紀元一世紀、大日如来は、印度からチベットを経て中国に渡り、日本に伝えられた。
チベット密教では大黒天神といわれ、顕教では無量寿仏と称される。
牛頭明王は、この無量寿仏の忿怒(ふんど)の相であり、
悪魔を降伏させるための姿である。(以下略)


竹寺境内の紅葉


寒桜と紅葉が一度に楽しめる。


弁天池のもみじも美しい。


竹寺の名が示すように、境内にはいろんな竹が植えられている。
亀甲竹(キッコウチク)は、孟宗竹の突然変異で、稈の枝下部分の節間が交互に膨れており、
節が斜めとなった竹である。


四方竹(シホウチク)は、中国原産の多年生常緑竹。
四角形の稈が特徴的な植物で、和風庭園や建物周り、生垣に利用される。
別名シカクダケと云われる。


金明孟宗竹(キンメイモウソウチク)
孟宗竹の突然変異で、鮮やかな緑色と黄色が交互に節を彩る。
現在、確認されているのは福岡県、高知県、宮崎県など西日本の数ヶ所しかない、とのこと。
この他にも珍しい竹がたくさんあった。


竹の節を刳り抜いて並べた竹眼鏡
「凸(かど)ばった下界を○(まる)く見て下さい」とある。


竹眼鏡を覗いた先の景色はこのように見える。


竹寺で40分近く費やしてしまった。
まだまだ観たい所はあったが、あまりのんびりしてはおられない。
10時48分、子の権現へ向かう。


Kさんを先頭に杉林の中を進む。


子の権現を目指す。


緩やかなアップダウンが続く。


11時14分、子の権現へあと1.8Km辺り。


『まだスタートして2.7Kmしか来てないのぉ』
この日のコースは一般向けとあるが、健脚向きに等しいのではないだろうか。


標識の横に「神送り場」を復元した小屋のようなものがあり、次のように説明されていた。
峠は隣の村との連絡路であると共に、そこは普通村境であることが多い。
峠の近くには「神送り場」というところがあった。
むかし、悪い流行病などがはやると、村人たちは、夜中大勢で鐘や太鼓をたたいてここに掛け登り、
頂上で疫病神を追い払うという習わしがあった、そうである。


杉の根が張った坂道を進む。


この日は日曜日で天気も良いためか、時々人に出遭う。
『こんちわっ』 『こんにちわぁ』 お互いに挨拶を交わす。
しかし、「関東ふれあいの道」を歩いているのではなさそう。


榧(かや)の木
『いやぁ なかなか立派な木だねぇ』
直径1.1mほどの成木となるには300年はかかると云われることから、
樹齢は優に300年以上は経っていると思われる。


さらに杉林を進むと・・・


左手上に見覚えのある小さな鳥居が見えた。
天目指峠(あまめざすとうげ)へ至る分岐点だ。
この上愛宕山の小さな祠へ通じる道である。


11時56分、子の権現手前の見晴し場に到着。
『あそこまでよく歩いたもんだよね~っ』


古御岳(こみだけ)と伊豆ヶ岳が見える。
2カ月前のことが、昨日のことのように想い出される。


見晴し場の先の道端ではビニールシートを広げる人の姿が。


陽当りも良く、風も遮られる。
我々もここで弁当にしよう。


目の前に広がる景色を眺めながらの弁当はまた格別だ。


弁当も終わり、子の権現へ。


ここの紅葉もちょうど見頃を迎えている。


12時35分、子の権現の本坊へ到着。
江戸時代末期に建てられたもので、茅と杉の皮で何層にも葺かれた屋根は、この寺の名物となっている。


子の権現本堂
ご本尊は、子ノ聖(ひじり)大権現。
武蔵野三十三観音霊場の第三十二番札所となっており、本尊の十一面観音が合祀されている。


「子の権現」の「子」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む、大本の意味がある、とのこと。
また、「子の権現」は、”足腰守護の神様”ということで、
「腰より下に病がある者は、誠の心で念ずれば、我(聖)必ず霊験を授けん」とのことで、
お参りする人が後を絶たないそうだ。


日本一と云われる、鉄の大わらじ。
コースNo.2(奥武蔵の古刹を訪ねるみち)の撮影ポイントになっており、
この日最大の目的である、全員の証明写真を撮り終えた。


鉄の大わらじの直ぐ隣に、でっかい夫婦げたが奉られていた。


証明写真を撮れば、後は吾野駅を目指すだけだ。
仁王像、


続いて黒門(山門)を経て


大鳥居へと進む。


樹齢1,000年を超すと云われる二本杉(1本は途中で切られている)だ。
雷に打たれて幹の半分は焼け焦れているが、まだ樹勢は旺盛のように見える。


子の権現を後にする。
中央に見えているのが二本杉のうちの一本である。


舗装された道路から、吾野駅へ通じる「関東ふれあいの道」へ入る。


急坂の山道を下ること約25分、


「降魔橋」(こうまばし)が見えてきた。


13時16分、「降魔橋」へ到着。


舗装された道路を下って行くと、


浅見茶屋だ。
吾野駅まで3.2Km、約50分とある。


浅見茶屋は、けっこう賑わっている様子だ。
茶屋の前や、周辺の道路脇に車が何台も止っていた。


13時24分、不動堂に到着。


少し休憩していこう。
(余談:前回(2014年9月14日)休んだ時よりも不動堂の色が鮮やかに見えたため、この2カ月間で塗り直したのでは?
と話題になったが、後で確認したら、全く同じだった。自分も含めて記憶が曖昧な年代だということ。)


不動滝
こちらも前回(2014年9月14日)に見た時とほぼ同じくらいの水量である。


吾野駅を目指す。


皇帝ダリアに見入る。
成長すると3-4mにもなる事から皇帝と名付けられた。
『うちのはもうちょっと大きい気がするわっ』


時折、民家に植えられている真っ赤な紅葉が彩りを添え、目を楽しませてくれる。


”秀彗善童子”と刻まれたお地蔵様に、菊の花が供えられていた。
昭和九年九月十七日と刻まれている。
交通事故か何かで亡くなった子供を供養したものだろうか。


13時45分、築350年の古民家「豊山荘」を通過。


13時49分、吾野駅まで2Kmの表示。
『あと2Kmか、もう直ぐだねっ』


14時ちょうど、秩父御嶽神社の鳥居前に到着。
東郷公園の”もみじまつり”の横断幕。
『今日はもみじまつり当日なんだぁ』
『けっこう人がいっぱい来てるなぁ』


吾野駅を目指す。


諏訪神社辺りのもみじ。
『もみじはやっぱり赤に限るわね~っ』


吾野駅まで残り約1Km地点を通過。
西武線の向こうに吾野坂石集落が見える。


西武線を跨ぐ。
見えているのは、西武秩父方面。


西武建材吾野鉱業所前を通過。
コンクリート用骨材や道路用砕石を生産、販売している。


西武線の踏み切りが見えてきた。
前回は、この踏切を渡った先から来たが、


この日は西武線の線路に沿って進む。
こちらの方が駅への近道らしい。


14時20分、吾野駅に到着
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第三回目は、コースNo.2(奥武蔵の古刹を訪ねるみち:9.5Km)を歩いた。
一般向けコースと紹介されていたので、前回・前々回に比べると、少しは楽なのかと思ったが、
実際に歩いてみると、いきなりの急登で始まり、距離もかなりあり、決して楽なコースではなかった、というのが実感である。
”一般向け”と”健脚向き”の中間くらいのコースだったように思う。

次回(2014年12月14日)は、コースNo.11(義経伝説と滝のあるみち)を予定している。
西武線吾野駅がスタート地点となっているので、吾野駅を利用するのは3度めになる。
次も皆さんと一緒に元気に歩き通したいと願っているとともに、
この日のような天気に恵まれることを祈りたい。


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