ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

どこからでも筑波山 舟塚山古墳周辺

2014年06月13日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年5月30日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第10回(2014年第20回)、「石岡舟塚山古墳周辺」ウォーキングに参加した。


この日のコース地図
石岡舟塚山古墳駐車場を出発し、先ず府中愛宕山古墳へ。
府中愛宕山古墳からいったん引き返し、あらためて舟塚山古墳に向かう。
舟塚山古墳から筑波山の眺望を楽しんだ後は、丘を下って恋瀬川を渡る。
車の通らない恋瀬川の堤防や蓮田・田んぼに囲まれた農道を進み、常磐線踏切を横断。
その後は一般道を通り、恋瀬川に架かる愛郷橋を渡って、高浜神社へ。
高浜神社で最後の休憩をとり、舟塚山古墳駐車場に戻る、という全長約8Kmのコースである。


第一集合場所の土浦市民会館には、17名が集まった。
この日は、今月初めに梅雨入りが発表されて以来、初めて朝から青空が広がった。
ほぼ2週間ぶりの快晴である。ただ最高気温は29℃とのこと。
『お日様に当ると暑いゎよねっ』 皆さん、日陰で仲間の到着を待つ。


舟塚山古墳駐車場
直行した5名と併せ、この日の参加者は22名となった。
早速、会長の掛け声で準備体操。
『思い切り身体を捩じってぇ』


『青い空が眩しいわぁ』
『こんな青い空は久しぶりだねぇ』


準備体操も終わり、9時48分、Oさんを先頭に出発!


先ずは、府中愛宕山古墳を目指す。
府中愛宕山古墳は、県道118号を渡って舟塚山古墳の反対側にある。


県道118号からわずか50m程奥である。
『道路からこんなに近くに古墳があるんだぁ』


府中愛宕山古墳は、舟塚山古墳の北東約300mに位置する前方後円墳である。


後円部から前方部を見たところ。
霞ヶ浦に舟を乗り出す形をしているので、”出舟”と言われる。
この方角が霞ヶ浦となる。築造当初は霞ヶ浦がよく見えたことだろう。


府中愛宕山古墳
全長96.6m、後円部径57m、後円部高8.5m、前方部幅57m、前方部高7.5mの規模が確認されているとのこと。
舟塚山古墳群の中でも規模が大きく、築造年代は六世紀初め頃とされる、そうだ。
『風が気持ち良いゎねぇ』


府中愛宕山古墳からの眺望
『昨日の雨で筑波山がきれいに見えるわねっ』
『いつも見てる筑波山とはちょっと違うけど、この形も良いねぇ』


舟塚山古墳へ


駐車場まで戻り、あらためて舟塚山古墳へ向かう。


舟塚山古墳の麓の小さな鳥居をくぐり、


神社にお参りを済ませて、墳丘へ。


舟塚山古墳の後円部から筑波山を望む。
昨日の雨で空気がきれいになっている分、その姿はくっきりと美しい。
『ここから見る筑波山は余計なものがないから良いねっ』


舟塚山古墳動画


舟塚山古墳前方部へ
この古墳は、全長およそ186m、前方部幅100m、後円部径90m、前方部高10m、後円部高11mの規模を持ち、
東国第二位、県内で最大の規模を誇る、とのこと。
新治・行方・稲敷三郡を含めた地域の大豪族の墳墓とみられる、そうだ。
後方が霞ヶ浦になるため、府中愛宕山古墳の”出舟”に対し、”入舟”と呼ばれる。


舟塚山古墳前方部で一息入れる。
熱中症の予防対策として、こまめに休憩を採ることにしよう。
舟塚山古墳は、仁徳天皇陵(大阪府)やウワナベ古墳(奈良県)などに共通する特徴を持っており、
五世紀後半の築造と推定されている、とのこと。


舟塚山古墳前方部から後円部へ
『府中愛宕山古墳に比べるとかなり広いわねっ』


舟塚山古墳後円部を下る。
『天気も良くて本当に気持ちが良かったわぁ』


木陰の中を恋瀬川方面へ向かう。


恋瀬川方面へ向かう。
『林を抜けると暑いねぇ』


日差しが強い。


車が通らない田んぼの中を恋瀬川の堤防へ向かう。


この辺りの水田(全体の約1/3)は生産調整作物として、これまでの蕎麦に代えて家畜の飼料米を生産している、とのこと。
この生産調整米が鶏の餌となり、その鶏が「エサ米卵」を産卵すると言うのである。
家畜の飼料として米を生産しているとは知らなかった。


恋瀬川の平和橋を渡るため、堤防上を通って平和橋へ向かおうとしたが、草が背丈ほどに伸びていた。
多少不安はあったものの、距離はさほどないので、Oさんを先頭に数名が草むらの道に挑戦。
半数以上の人は土手の下の農道を進むことに。


背丈ほどの草の中を平和橋へ向かう。
子供の頃、こんな草むらの中を走り回っていたことを微かに想い出した。
『大したことはないよなぁ これくらいの草だったらよぉ』
先頭を行くOさんも昔のことを想い出しているのだろうか?


『蛇が出たりしないかしらっ』
後ろに続く女性たちはびくびくしながらの行進である。


恋瀬川に架かる平和橋に到着。
草むらを敬遠して堤防の下を歩いた人たちは既に到着していた。
『お疲れさまぁ』
『大変だったけど、ちょっぴり楽しかったわっ』


たった今歩いて来た土手の正面に恋瀬川サイクリングロードの看板があった。
堤防の上はきれいに舗装されていて、草も生えていない。
『サイクリングロードのスタート地点はここからだったかなぁ???』


サイクリングロードに疑問を持ちながら平和橋を渡る。


平和橋から恋瀬川霞ヶ浦方面を望む。


平和橋を渡り切ると、左手にサイクリングロードがあった。
サイクリングロードは、平和橋で左岸と右岸に分かれていたのである。


恋瀬川のサイクリングロードを進む。


堤防の上で一休み。
堤防の上を吹き抜ける風が心地良い。


筑波山が美しい。
『今日はどこからでも筑波山が見えるわねっ』
『筑波山に見られているんじゃないかしら?』


水分を補給した後、堤防から下りると、


目の前に広大な蓮根畑が広がる。


蓮根畑の中を進む。


水門を通過


水門の先を右折し、


水門に(から)流れ込む小川に沿って進む。


右手を流れる小川に沿って進む。
後ろに見えるのは水門である。


左手に時折常磐線の列車が走るのが見える。


田んぼの中を進む。


常磐線に沿って田んぼの中を進む。


一般道路に出た。


常磐線踏切を渡り、


木陰を見つけて一休み。


『気持ち良いよっ』
100円ショップで買ったと言う携帯扇風機を手にご満悦の会長


田んぼの中を進む。
前方は三村の集落か?


三村集落当りを進む。
後方に筑波山が見える。


三村集落の先を左折して、左手に筑波山を見ながら高浜神社を目指す。


石岡消防署愛郷橋出張所


トイレを借りようと思い立寄ったが、あいにく全員出払っていて誰もいなかった。
消防車がない、と言うことはどこかで火事でも発生したということだろうか?
しかし、これまでサイレンの音は全く聞えなかったが・・・


愛郷橋を渡る。


こちらの道路は既に使われていない。


右側に新しい橋を走る車が見える。
古い橋はそのうち撤去されてしまうのだろう。


11時42分、高浜神社に到着。


高浜神社本殿
萱葺きの屋根には苔が生え、歴史を感じさせる雰囲気が漂う。


高浜神社拝殿
案内板には次のように紹介されていた。
口碑(こうひ)によると、高浜の地は古代には国府の外港として栄えた。
国司は都から着任すると、当国内の大社に報告のため順拝し、また奉幣祈願をするのが習わしであった。
国司が鹿島神社に参拝するには、高浜から船で行くのが順路であったが、荒天で出航不能のときは、
高浜のなぎさにススキ・マコモ・ヨシなどの青草で刈屋(青屋)を作り、遙拝したと云われる。


高浜神社拝殿前で最後の一休みだ。
国府の人々には、筑波山のほか、もう一つ愛着を持った景観があった。
それは高浜の海であった、と紹介されていた。
また、国府の役人たちは春秋の入江の景色を楽しみ、とくに夏の夕には涼を求めて集い遊んだ、とある。
我々も一時の涼で一息入れ、


高浜神社を後にすることにした。


あとはスタート地点の駐車場を目指すのみである。


常磐線の踏切を渡り、


県道118号線を石岡方面へ。


Oさんがしんがりを務める。


12時6分、ゴールの舟塚山古墳駐車場に到着。


しんがりを務めていたOさんたちも到着し、全員ゴールイン。
30度近くになる暑いなか、熱中症にも見舞われずに全員無事歩き終わって一安心である。
『お疲れさ~んっ』


整理体操をして、


『今日は暑い中、大変お疲れ様でしたぁ』


梅雨入り後初めての晴れという好天に恵まれ、舟塚山古墳周辺を歩いた。
先週は雨の中の八方ヶ原だっただけに、梅雨の最中の貴重な一日となった。
最高気温が30度近かったにもかかわらず、最後まで全員歩き切ったことは
日頃のウォーキングの成果によるところが大きいのでは、と思っている。
これからまだまだ暑い日が続くと思われるが、暑さに負けずに頑張って歩きたいものだ。

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