ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

西根の里から水戸街道中村宿へ(下見)

2013年04月25日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2013年4月25日(木)


「健康ウォーキングの会」のある会員の方から、ウォーキング地図「フィールド博物館・土浦」をいただいた。
と云うより渡されたと言った方が正しいだろう。
『歩いてみたらどう?』と云われているようなものなのである。


”西根の里コース”と””水戸街道中村宿コース”は場所も自宅から近いことから、
早速下見を兼ねて歩いてみることにした。
”西根の里コース”は、土浦市西根ということで、乙戸沼公園に隣接している。


”水戸街道中村宿コース”は”西根の里コース”に繋がっていることから、2つのコースを一つにまとめて
歩くことにした。


スタート・ゴールは、「健康ウォーキングの会」の例会の第一集合場所でもよく利用している、乙戸沼公園にした。
乙戸沼公園を出発すると、学園東大通りの交差点に「西根の里コース」の案内があった。


交差点を渡ると、目の前にコンビニがある。


学園東大通りのシラカシの並木を荒川沖方面へ進む。


交差点から200mほど進んだところに「西根の里コース」の案内があった。
案内に従って左折し、300mほど進むと県道201号線に突き当る。


県道201号線左側にコンビニがある。
ここで県道201号線を横切るが、横断歩道がないので、車には注意したい。


コンビニの正面の道路を進む。


立派な塀に囲まれた大きな構えの家が数軒。


家の直ぐ先、左手には谷津田の景色が広がっている。
学園東大通りからさほど離れていないのだが、全く未開発の土地である。


少し進むと今度は突然モダンなテニスコートが現れた。
ナイター用の照明もある。お瀟洒な建物はクラブハウスであろうか。
平日のためか、誰もプレーしておらず、店は閉まっているようだ。


テニスコートの他に、フットサルコートが1面あった。


テニスコートの先には、「中村西根市民農園」が。


市民農園の傍に馬頭観世音の碑があった。
建てられた年代は不明である。


さらに進むと、道は下り坂になっており、左側に別のテニスコートが見えた。
常総学院高校のテニスコートだ。
昼前のためか、まだ部活は行われていない。


常総学院高校テニスコートの先の三差路を右折すると、道の両側には田んぼが広がる。


右側の国道6号方面を見たところ。


こちらは左側、学園方面になる。
回りに家などは全く見当らない。昔の故郷を思い起こさせる風景である。
土浦にもまだこのようなところが残っていたのか、と妙に感心したりする。


田んぼを過ぎると、西根町1区という住所表示が。
家がポツポツと見えて来た。


西根町1区表示の先を右折すると、西根一区公民館があった。
案内地図によると確かこの辺りに地蔵菩薩像がある筈なのだが・・・


公民館敷地内の火の見櫓の下に、地蔵菩薩像らしき石が。


地蔵菩薩像だ。
危うく見落とすところだった。


西根一区公民館の正面に小さな祠があった。


中を覗いてみると・・・
千手不動明王? 初めて見る像が祀られていた。
地図を見ても、この像のことは何も紹介されていない。
信心深い御仁が個人で祀っているのかもしれない。


西根一区公民館の先は大きな構えの農家が続く。


堂々たる構えの薬医門は、まるで武家屋敷か本陣のようである。


案内によると
この付近の農家は屋敷の回りに背の高い生垣を巡らしている。
その理由は火災時の類焼を防ぐために植えられたもので、シラカシが多い、とのこと。
しかし、シラカシの木の塀に囲まれた家はあまり見掛けなかった。


代りに、植木が素晴らしく立派に刈り込まれている農家が目立った。


西根二区公民館の先に、薬師堂がある。
生い茂った木々に隠れるように参道入口があった。


参道は杉の林になっており、昼間でも薄暗い。
あまり一人では行きたくない場所だ。


参道の突き当りに、正面に今にも朽ち果てそうな薬師堂があった。


中を覗いてみると・・・
両脇に白いタスキを袈裟がけにした複数の立像と、


真ん中に薬師如来と思しき座像が祀られていた。


薬師堂を後にして道路を進むと、道路脇に道祖神があった。
実は、ここで道を一筋間違えていたのだが、気付かなかった。


地図に「筑波山がよく見える」とあるが、この辺りだろうか。


カメラに納めた時には何の像か分からなかったが、どうも大日如来像のようだ。


しばらく道なりに進むが、西根鹿島神社のスギ・ヒノキの参道が一向に現れない。
突然、鹿島神社の参道を示す標識が現れた。『???』
たまたま、角の住宅に老婦人がいたので訊ねると、この直ぐ先に鹿島神社があると教えてくれた。
ここで、ようやく自分が道を間違っていることに気が付いた。


教えられたとおり、住宅前の道を数百m進んだところに「西根鹿島神社」があった。
鳥居の向かい側に探していたスギ・ヒノキの参道があった。
参道を歩くのは後回しにして、先に「鹿島神社」を見て回ることにした。


思っていたよりも立派な拝殿である。
江戸時代後期の建築と推定されている。
案内によると、創建は応永二年(1395)、阿見町竹来の阿見神社の祭神を勧請したと伝えられている、とのこと。


本殿形式は平入りの三間社流造りだそうだが、本殿保護の覆屋のため見えない。


鹿島神社はいくつかの神様が合祀されている。
拝殿の右側に鎮座しているのは雷神社。


拝殿の左側には愛宕神社が鎮座している。
神社の裏手に回ると、金刀比羅大権現神社も祀られていた。


鹿島神社の境内を一回りし、あらためて参道を歩いてみることにした。
神社から参道を進んで行くと、先ほどお参りした、薬師堂へ辿り着いた。
薬師堂から鹿島神社には細い道があり、道に鹿島神社と示されていたが、
これは初めての人はちょっと気が付かないのではないか。


最初は農道のように見え、鳥居もないので神社の参道とは分からない。


案内標識から150mほど進んだ頃から両側に杉林が現れ、何となく”参道”を思わせる雰囲気になる。


杉林になった辺りから参道は一直線になり、やがてヒノキも目に付くようになった。
スギ・ヒノキの樹齢はさほど古くはない、比較的若い木である。


参道を進んで行くと、正面につい先ほどお参りした鹿島神社の鳥居が見えて来た。


もう一度鹿島神社の境内を一回りしてみた。
神社裏手には大きな木が植えられていた。
これは、イヌザクラの木。樹高は、約23m


続いてエノキの木。樹高は、約22m


これはウラジロの木。樹高は、約23m


神社の表側には、ムクノキの木があった。樹高は、約20mだ。
紹介した木はいずれも土浦市指定の名木・古木となっている。
しかし、どの木も樹齢は書かれていなかったので、樹齢は不明である。


鹿島神社を後にして、地図に従って進むと、
自然石に「馬頭観世音」と刻まれた碑があった。
江戸時代末期の安政三年(1856)頃に作られたものとの案内があった。


旧水戸街道の中村宿水戸側の入口
東小学校が見える。
一昨年(2011年)の9月に「旧水戸街道を歩く」で歩いたことがあるため、ある意味では懐かしい。


東小学校の校門


地図には、東小学校の近くに本陣があったと紹介されているが、
標識などはどこにも見当たらない。


これが、本陣跡か?


それともこちらの家だろうか?


構えからすると、この家かもしれない。
旧水戸街道を何度か行ったり来たりして探すが、結局本陣跡は分からずじまいだった。


本陣跡を探すのは諦めて、先へ進もう。
国道6号との合流地点の原の前交差点近く。



たくさんのお地蔵様や石仏が並べられている。
案内地図には「観音堂の石仏群」と紹介されている。
六地蔵立像は宝暦七年(1757)に造られたものだそうだ。
その昔、中村宿の外れに観音堂があったと伝えられているが、今は何も残っていない。


馬頭観音、聖観音、子安観音、青面金剛などの石仏群。


道祖神像?


観音堂跡辺りからお墓越しに筑波山が見えた。


国道6号との合流地点の原の前交差点


県南病院の先を右折する。
焼き肉屋の看板が目印である。
(残念ながら店は閉店されていた)


住宅地の中を進む。
芝桜が美しい。


住宅地と言っても、宅地の前はご覧のような未開拓地である。


西根三区公民館前を通過。


見覚えのある風景が見えてきた。
一段高い建物は土浦公設市場前交差点の関鉄つくばビルだ。


正面は、県道201号線だ。


後はゴールの乙戸沼公園を目指すだけだ。
お腹も空いてきたので、ラーメンでも食べて行くことにしよう。


「健康ウォーキング同好会」例会の下見として「西根の里」から「水戸街道中村宿」を歩いたが、
一部を除いて車は少なく歩き易い道であった。
道端の馬頭観世音像や地蔵菩薩像、さらに薬師堂、鹿島神社、観音堂石仏群など見所も多い。
地元の歴史に触れる数少ない場所でもある、と思われる。
来年度のウォーキング候補地の一つとして入れておきたい場所であることを報告しておこう。

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コメント
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