ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

魚料理に大満足 五浦海岸散策忘年会

2012年12月21日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年12月21日(金)~22日(土)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」有志で、「忘年ウォーキング」と称して一泊旅行に出かけた。
これまで一泊忘年会は他県に出掛けていたが、たまには県内も、ということで行く先を北茨城市の五浦海岸にした。

参加者は会長をはじめ、合計6名であるが、1名は用事のため、車には間に合わず電車で追いかける形になり、
茨城県最北の駅、大津港駅で合流することにした。
9時45分に拙宅を出発し、土浦市内で乗り合わせた5名で常磐高速道を走った。
友部SAで最初の休憩。
友部SAは平日ということもあって空いていた。


時間があるため、時速90Kmそこそこのノロノロ運転で走る。
次の休憩地、中郷SAには11時55分に到着した。ここでもゆっくりと休憩を摂る。


12時ちょっと過ぎに北茨城ICで常磐高速を降り、国道6号を北上。
大津港駅で合流する予定のMさんから、『時刻表どおり水戸駅を出発した』との連絡メールが入った。
既に昼食は済ませたとのこと。
12時20分、我々もそろそろ昼にしよう。
うまい具合に大津漁港近くの国道6号沿いに魚料理屋「松野屋」を見つけた。


『何にしようかな?!』メニューを見ていると、
限定30食の”日替わり定食”(892円)が6個残っていると言う。迷わず”日替わり定食”を注文した。
10分ほどで出てきた”日替わり定食”は、
刺し身、ポテトサラダ付豚のしょうが焼き、しらすおろし、あさり味噌汁、お新香、オレンジ、
ご飯もボリュームたっぷりである。


『これはお得じゃねえのっ』
たまたま6個残っていたのは幸運だったと言うべきだろう。


食後にコーヒーも付いてこの値段(892円)は間違いなくお得だと思う。


「松野屋」の目の前に同名の海産物直売店があった。
ちょっと覗いていくことにした。


『いやぁ、いろんな魚があるねぇ』


『今は買うわけにいかないんで、帰りに寄ることにするかっ』


待ち合わせまでまだ少し時間があったので、茨城県天心記念五浦美術館へ向った。


「再興院展 時代を拓く作家たち」(12月1日~1月14日)が開催中だった。


入館料は500円だが、70歳以上は無料になっている。
結局、2名が500円を払って入館、足早に館内を見て回った。


14時10分、電車のMさんと無事大津港駅で合流。
早速、この日の宿泊先の旅館「長浜荘」へ。


旅館「長浜荘」は、先ほど見学した「茨城県天心記念五浦美術館」のすぐ隣にあった。
今は休館中?の日帰り入浴施設「天心の湯」の裏になる。
東日本大震災の影響で壊れた個所の修理がまだ終わっていないのか、鉄パイプの足組みが見える。


道路沿いには大きな看板があるので、見落とすことはない。
後で聞いた話だが、この看板の真ん中あたりまで津波が来たそうである。
すぐ隣の「天心の湯」も軒下まで浸かったそうだ。


「長浜荘」の駐車場に車を停めて、14時30分、元気に”忘年ウォーキング”のスタートだ。


五浦海岸沿いの道を進むと、五浦観光ホテルの別館「大観荘」を過ぎた辺りに「黄門の井戸」があった。
元禄年間、徳川光圀公が領内巡視のおりこの地を訪れた際、喉の渇きをおぼえ、
井戸はないかと供のものが捜し回り、畔の脇に古井戸を発見した。
しかし、井戸は底深く飲むことは出来ず、光圀公が井戸を覗き見たときに、杖が井戸の渕にあたり、
水がコンコンと湧き出でて、難なく飲むことができた。
その後この井戸は「黄門の井戸」と呼ばれ、涼味溢れる水を永く土地の民に与えたと云われている。
(説明板より)


「黄門の井戸」の隣に「岡倉天心の墓地」があった。
『へぇ~こんなところに岡倉天心の墓地があったんだぁ』
何度かこの地を訪れているが、「岡倉天心の墓地」があるとは知らなかった。
車だったので、見落としてしまっていたのだ。


岡倉天心の墓地
この墓は日本美術院の主宰者岡倉天心の遺骨が、天心の辞世とされている和文と英詩に盛り込まれた意志に沿い、
天心没年の大正二年(1913)、東京都染井霊園の墓から日本近代美術黎明の地五浦に分骨・埋葬されたものであり、
歴史的、文化的に価値の高い史跡である。(案内板抜粋)
染井墓地と同じ土饅頭型の簡素な丸い墓である。


五浦六角堂
入園料は300円だが、『ちょうど復興支援映画「天心」撮影中のため、六角堂を観れないので、無料です』とのこと。
『まぁ、六角堂は対岸の五浦岬公園から観れるそうだから只なら入ってみようっ』
ここでも得した気分だ。


天心記念館
入口を入ると岡倉天心の胸像が迎えてくれる。


五浦で釣りを楽しんだと云われる岡倉天心像


”ちらりと見えれば良い”と半ば諦めていたが、映画撮影は「天心邸」で行っている最中のため、
六角堂は観ることができるとのこと。『ラッキーっ! ついてるねぇ』
完全に復元された六角堂


この日の海は穏やかだった。
六角堂から観た景色(左側)
五浦観光ホテル「本館大観荘」


六角堂から観た景色(右側)
五浦岬公園辺り。


正面の岩の上には石灯篭も復元されていた。


映画の撮影は、ちょうど竹中直人主演の岡倉天心が天心邸から出て来るところが撮影されていた。
ちらりと見えた”竹中天心”は、竿を持ち、毛皮を羽織り、天心記念館で見た”天心”そっくりだった。
あいにく撮影はできなかったのが残念である。
映画「天心」は、天心生誕150年、没後100年に当る2013年に全国一般公開される。


対岸の五浦岬公園展望台から観た六角堂
ここから観る六角堂は、全体が眺められるので”一番良い”とのこと。


「天心」の撮影はまだ続いていた。


五浦岬公園方面へ進む。
少し上りの道だが、ちょうど良い腹ごなしになる。


五浦岬公園
六角堂の対岸にある小さな公園だ。
公園内からの展望は望めないそうだ。


五浦岬公園の前に灯台(大津岬灯台)が建っていた。


崖稲荷神社
小さなお稲荷さんである。


岬公園から15分ほど進むと、大津漁港が見えてきた。


大津漁港
写真中央の漁協付近に人影は見えない。
しかし、我々が訪れた時にはあちこちで復興に向けての整地の最中だった。
翌日、旅館「長浜荘」のご主人に震災直後の大津漁港の写真を見せて貰った。
漁港舟上げ付近の家や建物は殆ど流されてしまい、がれきに覆われた状態になっていた。
津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられた感じだ。


津之神社
海のすぐ傍に建っているが、どうやら津波の影響はなかったようである。
震災のお見舞いになるかどうか分からないが、お参りして行こう。


大津港を後に、旅館「長浜荘」に向かった。


この辺りは高台になるので、津波ではなく、地震の影響で倒壊した跡地を整地したものと思われる。


大津港の一番高い場所付近(天心小道)を進む。


16時ちょうど、旅館に到着し、ひと風呂浴びて部屋でくつろぐ。
夕食まで少し時間があったので、Tさん持参の鹿児島土産を肴に軽く一杯。
皆さん少し顔が赤らんでいる。


18時15分、夕食の準備ができ、忘年会開始である。
ずらりと並べられた魚料理に圧倒される。
『いやぁ、これ凄い料理だねぇ』


夕食メニューは、
あんこうの胆、生牡蠣、蛸ともずく酢、みる貝、あんこう酢味噌、ウニ・甘海老・つぶ貝などなど、
海の幸満載である。


さらに
40Cmを超える平目の刺し身


たらば蟹


あんこう鍋


ソイの煮物もある。


『一年間お疲れさんでしたぁ~』
『かんぱぁいっ』
この一年間実施した行事に始まり、社会の出来事などの話で大いに盛り上がった。


『そろそろあんこう鍋出来たようだねっ』
『いやぁ、もうお腹いっぱいで食べれねぇよぉ』
と言いつつも、何とか腹に納めた。


しかし、食べきれないほどの量に降参である。
旅館の主人・女将には申し訳ないことにかなり残してしまった。
会長は部屋に戻って胃薬を飲む始末だ。
それでも二次会は、持参の焼酎をちびちびやりながら、夜遅くまで話し込んだ。



2012年12月22日(土)
この日は予報どおり朝から雨である。
朝食は、8時の予定が少し早くなり、7時35分に女将から声が掛かった。


昨夜あれほどたくさん食べにも関わらず、皆さんご飯をお代りするから不思議である。
昨夜は量は多かったが、脂ものはなかったため消化が早いのだろう。


昨夜残したソイと蟹も出てきた。
さすがに蟹を残しては申し訳ないので、無理してでも食べてしまおう!
これで一泊二食10,000円(飲み物別・消費税別)だから、安い!!


雨のため、当初計画していた「平潟港往復ウォーキング」は車に変更である。
平潟漁港


9時を少し過ぎたところだったが、ちょうどタラが水揚げされていた。
船底の水槽から網ですくい上げ・・・


樽に入れて漁協に運んでいるところ。


水揚げされたばかりのまるまる太ったタラ。
これから、セリが行われるのだろうか?


まだ時間が早いので小名浜港へ向かうことにした。
9時50分、小名浜の「いわき・ら・ら・ミュウ」に到着。


大震災で大きな影響を受けたが、見事に復活、リニューアルしていた。


海産物売り場には威正の良い声が響く。


『ここで、お土産を買うことにしようっ!!』
『ありがとうございますっ』


皆さんそれぞれお好みの海産物を買った。
リニューアルされた「いわき・ら・ら・ミュウ」店内でコーヒーとカフェボールを味わった後、帰路についた。
安くて、美味しくて、さらに近い県内での一泊忘年会も捨てたものではない、と思った。
2012年最後の行事は、記憶に残る忘年会になった。


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コメント
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