ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日光街道を歩く 第7回 石橋宿~宇都宮宿

2013年05月22日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く
2013年5月22日(水)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の”街道歩き”を望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第7回目となるこの日は、石橋宿(JR東北線石橋駅)から宇都宮宿(JR東北線宇都宮駅)までの約16.5Kmを歩いた。
5月15日(水)を予定していたが、足を痛めてしまい、めに大事をとって1週間延期してこの日となった。

水戸線友部駅で小山行き電車を待つ。


水戸線車内
この日の参加者は9名だ。
15日に実施した場合は、参加者は11-12名になったと思う。
延期したために逆に都合が悪くなって、参加できなくなった人もいるので、大変申し訳ないと思っている。


水戸線終点の小山駅で東北線に乗り換える。


東北線車内
通勤ラッシュも終わり、車内は空いていた。


9時25分、出発地の石橋駅に到着し、駅前広場へ。
先月、小山駅から石橋駅まで歩いたので、記憶に新しい。


石橋駅前でUさんの指導によるストレッチで準備運動。
2時間半も電車を乗り継いだので、十分に身体をほぐすことが重要だ。


9時45分、奥州街道との分岐点、宇都宮宿目指して、いざ出発!!


先ずは石橋山開雲寺で旅の安全を祈願していこう。
開雲寺は、真言宗智山派の寺院で、宝亀十二年(781)に恵雲律師により、開山されたと伝えられている。


金剛力士像2対を配した山門を入る。


本堂前に左右6体づつ並んだ羅漢像の表情が豊かで面白い。


江戸時代に入って、将軍家の日光参詣の休憩所となり、寺紋に葵を使用している。
葵紋入りの湯釜、家光直筆の書状などが残っている。
本尊阿弥陀如来座像(県指定有形文化財)や三体地蔵尊が安置されている、とのこと。


国道4号線を進む。


この日は、殆ど国道4号線を歩くことになり、街道歩きとしては、やや退屈な道である。
また、立寄り所が道の左右に点在しているので、車の交通量が多い道をいちいち横断するのは大変だ。
場合によっては、割愛することもあるだろう。


コンビニがあったので、お昼の弁当を買って行くことにした。
いつもはかみさんが弁当を作ってくれるのだが、この日は早朝から出掛けてしまって、
コンビニ弁当で我慢するしかない。


上三川町(かみのかわまち)の西の外れを通過。
直ぐにまた下野市に入ることになる。
この日は気温が29℃近くになるそうで、朝から暑い。
特に女性陣は直接太陽に当らないようにと暑さ対策には気を遣っている。


下野警察署の先に、「本陣」の兜武者が廃墟となって残っていた。
ラーメンやそばを商売していたらしいが、見るも無残な姿である。
何で出来ていたのか気になって触ってみたら、堅めの発砲スチロールだった。
処分に困ってそのままになっている、ようだ。


星宮神社に到着


星宮神社は、鞘堂新田村の鎮守とされている。
祭神は、磐裂神(いわさくのかみ)、根裂神(ねさくのかみ)、經津主命(ふつぬしのかみ)だそうである。
Webの情報によると、この神社近くに鞘堂地蔵尊があることになっているのだが、見落としてしまったようだ。


再び下野市に入った。
前方に見えるのは北関東自動車道である。


北関東自動車道を通過。


宇都宮まで11Kmの表示
まだ1/3ほどしか歩いていない。


宇都宮市に入った、と言っても宇都宮市は広い。
まだほんの南の端に辿り着いたばかりであり、先は長い。


陸上自衛隊宇都宮駐屯地
石橋駅を出発した時から上空を飛ぶヘリコプターが気になっていたが、自衛隊の訓練飛行だったようだ。


少し前から電柱にお菓子屋の看板が現れるようになった。
奥さんや娘さんに土産物は欠かしたことがないUさん。
「銘菓かち栗」が気になってしょうがない。


”この日の土産に”と、目の前に停まった車に店の場所を訊ねている。近くに店があるらしいのだが・・・
しかし、店までやや距離があるとのことで、仕方なく諦めた様子・・・
『宇都宮に行けば何かあるよねっ』


雀宮宿本陣小倉家跡。
現在は西松屋の敷地になっており、駐車場入口に「雀宮本陣跡」の石碑が立てられている。


雀宮本陣の国道4号を隔てた斜め向かいに、黒い屋敷門と立派な屋敷が脇本陣だった芦谷家がある。


門は堅く閉ざされていたので中には入れないのかと思ったが、黒い板塀の脇から中へ入れるようになっていた。


主屋の玄関は重厚な造りになっており、格式の高さが伺える。
主屋には玄関の式台、上段の間が残されているという。


11時43分、雀宮神社に到着。


社伝によると、長徳元年(995)藤原実方が陸奥守として赴任途中休憩したこの地で、
後を追ってきた妻の綾女が病死した。
遺言で持っていた宝珠を埋め、産土神として祀ったのが神社の始まり、とある。


その後、赴任地の陸奥で実方がなくなると、その霊魂が雀となってこの地に飛来したので
綾女と実方を合祀し雀宮と称した、そうである。


時計は11時45分を少し回っていた。
この先弁当を広げられる場所を思いつかないため、ここで弁当にしよう。


12時40分、自衛隊航空学校前バス停を通過
自衛隊航空学校は、航空科隊員に対する教育訓練を主要任務としている。ヘリコプターが多い訳だ。
本校は三重県伊勢市の明野駐屯地にあり、宇都宮校(北宇都宮駐屯地)は、分校になっている。
分校は他にも霞ヶ浦校(霞ヶ浦駐屯地)がある。


道路の反対側に寿鶴薬師堂(すずやくしどう)らしき建物が見えた。
横断歩道も見当たらないし、面倒なので、写真だけにしておいた。
ちょっと派手だが、薬師如来でも安置して祀っているのだろうか?


菅原神社
菅原道真翁を祀る神社。


”学問の神様””天神様”と呼び親しまれ、全国各地に「菅原神社」「天神様」と呼ばれる神社が建立されている。


一里交差点
「東京街道」は、宇都宮市の池上町交差点以南の国道119号および国道4号の通称らしい。
全員でキョロキョロしながら気を配って進んだのだが、江曽島一里塚跡を見落としてしまった。


これからはバラの季節である。
大輪のバラが美しく咲いていた。気持ちを和らげてくれる。


ここからは東京街道の標識から日光街道の標識に変わった。
日光まで31Kmの表示に『もうそんなに来たかっ』と喜んだのは束の間・・・


次の表示では、日光の社寺まで41Kmとなっていた。
『31Kmは少し近過ぎると思ったよ』


JR日光線の線路を跨ぐ。
この先が目的地の日光なのだと思うと、少しばかり元気が出てきた。


不動尊


旧奥州街道と奥州街道との分岐点にあり、宇都宮に入る目印となっていた。


不動明王(大聖不動)は高さ50cmの石像で宇都宮朝綱の建立といわれる。


東武日光線を通過


蒲生君平勅旌碑(がもうくんぺいちょくせいひ


蒲生君平は学者・尊王家として知られ、1808年に天皇陵について考証した山陵志を著わした。
明治天皇の命により宇都宮藩知事の戸田忠友奉行が1869年に蒲生君平の遺功を追賞したもの。


新町のケヤキ
樹齢は推定800年というから凄い。
江戸時代から宇都宮城下の入口に立っており、旅人の目印となっていた。


樹高は43mあるそうだ。
見上げるとその大きさ(高さ)が分かる。
栃木県指定天然記念物。


幹の太さは7.9mもある。
『でっかいわぁ』
これほどの大木はそうはお目にかかれるものではない。


戦前まではこのようなケヤキが3本あったが、一番大きなこの木を残して供木したため、
現在はこの木だけが残っている。
この後1,000年、1,500年と残って欲しいものである。


台陽寺(たいようじ)の子安地蔵尊


台陽寺の門を入ると・・・


右手に地蔵堂が建てられている。


六地蔵
六道輪廻とは、生命は六種の世界(地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天上)に生まれ変わり、
それを繰り返す、という考え。
六体の地蔵菩薩が人を救い導くと考えられている。


慈母観音像
「ほほ笑みを 浮かべし慈母の御姿に 信徒の幸を祈りつつ はげみて止まん 禅の道」


本堂にお参りして、


戊辰戦争で戦死した宇都宮藩士の墓の前の休憩所で一休み。


熱木不動尊


康平二年(1059)宇都宮宗円が多気山頂上に陣を張ったとき、
戦勝を祈願して彫った三体の不動の一つだという。
中は公民館になっていた。不動尊と公民館が仲良く共用されているのは珍しい。


一向寺
宇都宮景綱を開基として、建治二年(1276)に創建された。
この寺の阿弥陀如来坐像は、汗かき阿弥陀といわれ、宇都宮家に凶変がある時は仏体に汗が流れるといわれた。
応永十二年(1405)に造られたとされ、国の重要文化財に指定されている。


材木町通り
前方に追分の裁判所前交差点が見えてきた。


14時53分、裁判所前交差点に到着。
この先右手の清住町通りが日光街道と奥州街道の分岐点に当る追分である。
日光街道歩きは、ここでいったんゴールであるが、宇都宮駅まで歩くことにする。


宇都宮駅までまだ約2Kmほどある。
先週痛めた足がまた痛くなってきたがここは自分の足で歩くしかない。


伝馬町本陣跡
江戸時代、この辺りに200坪ほどの大きな本陣があった。
東北地方の大名の参勤交代のときや、将軍の日光東照宮参詣の際の供者の宿舎として使われた、とある。


二荒山神社だ。
ここは寄らずに通り過ぎるわけにはいくまい。


宇都宮宿まで無事歩き終えた報告をしていこう。


田川を渡ると宇都宮駅はもう直ぐだ。


15時35分、宇都宮駅に到着した。


宇都宮まで来たからには名物の餃子を食べねばなるまい。
駅前には何軒かの餃子屋があったが、駅東口の餃子屋へ行ってみることに。


「宇都宮餃子館」へ、と言っても周りはみな同じ「宇都宮餃子館」となっている。


『今日は、大変お疲れ様でしたぁ』
『かんぱ~いっ』
歩き終えた後の一杯は格別だ。


餃子(12種食べ比べ)は、なかなか美味しかった。
まだいくらでも食べられるが、そうもいかない。
名残惜しかったが、宇都宮餃子館を後にして宇都宮駅に向かった。



この日の宇都宮宿で「日光街道」(千住宿から日光東照宮までの約140Km)の約75%(106Km)を歩いたことになる。
残りはあと約34Kmとなった。
次回からは国道4号線と別れ、本格的な「日光街道」になる筈だ。
最後まで皆さんと一緒に、楽しく元気に歩き、ゴールの日光東照宮を目指したい。


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