ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

桑の実がいっぱい 渡良瀬遊水地散策

2013年06月01日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年6月1日(土)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第9回(2013年第21回)、「渡良瀬遊水地散策」ウォーキングに参加した。


渡良瀬遊水地を選んだ理由は、昨年実施したアンケートで、行ってみたい場所として複数の要望が寄せられたことから、
今年度のコースとして企画したものである。
車で遠征することも検討したが、片道1時間半以上はかかることから、運転者への負担を考え、
安全な電車でということになった。
電車は、常磐線北千住で東武線に乗り換える経路を選択した。

荒川沖駅で電車を待つ。


北千住から東武日光線直通のスカイツリーライン(快速)に乗り替える。
この電車はボックス席で車両の両側にしかドアがないのが特徴となっている。
土曜日ということで、混雑が予想されたが、全員無事座ることができた。


9時10分、北千住からわずか3つの停車で目的地の板倉東洋大前駅に到着。


駅前で、早速いつもの準備運動をして・・・


9時28分、渡良瀬遊水地目指して出発だ!


駅前の小さな水路に架かる「出逢いの橋」を渡り、サンセットヒルズへ。


「わたらせ自然館」を右に曲がると・・・


綺麗に整備された渡良瀬遊水地への歩道があった。


紹介が遅れたが、この日の先導役は当会で唯一の経験者であるOさんだ。
2011年、2012年の「水ウォーク」で渡良瀬遊水地ウォーキングに参加しているのが、何とも心強い。


歩道脇に植えられた真っ白い蕎麦の花が美しい。


出発して約20分弱、堤防を越えると渡良瀬遊水地が見えてきた。


谷田川に架かる「想い出橋」を渡る。
ここから先は自動車・オートバイは中には入れない。


谷田川がゆったりと流れる。


「想い出橋」を渡ると、遊水地である。


谷中湖(北ブロック)だ。
渡良瀬遊水地の貯水場(谷中湖)は、足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ無害化することを目的に
渡良瀬川下流に作られた遊水池である。
平成24年(2012)7月3日、ラムサール条約に登録されている。
これでも全体の1/3程度しか見えていないのだが、『いやぁ広いねぇ』


湖岸沿いの道路は広くて気持ちが良い。
遊水地内部の面積は約33km²(10万坪)もある。
ゴルフ場も複数存在する、そうだ。


ここは道いっぱいに広がって歩きたいところだが・・・


時々自転車が猛スピードで通り抜けるので端っこを歩かないと危険である。


群馬県と栃木県の境界を、栃木県に入った、と思ったら・・・


100mほど先にまた境界があり、再び群馬県に戻ってしまった。
遊水地の領域は、栃木県・群馬県・埼玉県・茨城県の4県にまたがる。
詳細は分からないが、この辺りはややこしい境界線となっているようだ。


道の駅「きたかわべ」(埼玉県)が見えてきた。


屋上展望台から渡良瀬遊水地全体を見てみよう、ということで、道の駅「きたかわべ」へ向かう。
車で直行したFさんが合流するために待っているはずだ。
この日の参加者は合計20名となる。


『あそこに見えるのが中の島だねっ』


遊水地の堤防沿いを走る(栃木)県道9号線は交通量が多い。
国道並の交通量だ。


全体を見渡すにはやや高さが足りない、というより、渡良瀬遊水地が広すぎる、ということである。


この日の参加者20名が揃ったところで、谷中湖の中の島を目指す。


坂道を下って行くと正面に中の島が見えてきた。


谷田川に架かる下宮橋を渡る。


両側に谷中湖、左側が北ブロック、右側が南ブロックである。


釣り人の殆どが岸から離れた場所に釣り座を構えて釣りをしている。
このスタイルが渡良瀬遊水地では一般的なのだろう。
Wikipediaによると、渡良瀬湧水地では、生息魚種は33種生息する、とのこと。
しかし、在来種は20種程度と少なく大半はコイ科、とのこと。
意外にも、ボラやスズキが海から遡上したまま定着している、そうだから驚きである。


『あっ何か釣れてるよっ』
竿がしなっている。大物のようだ。


この日はカヌー競技の各種予選会が行われるようだ。


湖面でカヌーを漕ぐ人も見える。

最後の練習に余念がない。


中の島から谷中村史跡保存ゾーンへ向かう。


湖面にいくつかの浮島が浮いていた。
景観向上や生態系の多様化を促進するため、ヨシ・ガマ・マコモ等を植栽した人工の浮島である。
新たに魚や鳥などの休息や繁殖の場を作り出したり、水質改善効果が期待できる、とのことである。


女性陣が何か見つけたようだ。
『美味しいわねぇ』『懐かしいわぁ』


桑の実がびっしりとなっていた。


路面には足の踏み場もないほど桑の実が落ちていた。


北橋を渡ったところが谷中村史跡保存ゾーンになっている。
かつて谷中村があったところである。


広大な芝生の広場に木々が植えられて、公園になっている。


ところどころにラクウショウ(落羽松)の木が植えられていた。
説明板によると、ラクウショウは、米大陸の東南部からメキシコに分布する落葉の高木で、
湿潤地における生育に適しており、長期間の水没に耐えることができる。
沼沢地に生育するので、別名ヌマスギとも呼ばれる、とのこと。


調節池を流れる与良川に架かる鎌立橋(かまたてばし)を渡る。


広場のあちこちに桑の大木があり、桑の実がなっている。
かつての谷中村で養蚕が盛んだったことが想像される。


しかし、桑の木がこんな大木になるとは想像できなかった。
標識が無かったら桑の木だと気が付かなかったかもしれない。


旧谷中村役場跡の周辺には広大な葦原が広がる。
貯水池以外のほぼ渡良瀬遊水地全域が葦原になっている。


少し時間は早いが、旧谷中村役場跡で、弁当にしよう。
木陰の下で食べるおにぎりは美味しい。


適当にベンチや


「大野孫衛門屋敷跡」に建つ東屋もある。
直射日光を浴びながらの弁当も覚悟していたので、これは助かる。


弁当の後、Oさんの案内で雷電神社跡・延命院跡へ行ってみることにした。


焼け焦げた大木がポツンと立っていた。
僅かばかりの葉っぱが残っているのが痛々しい。
最初は、雷にでも打たれたか?と思ったが、野焼きの際に、燃やしてしまったのだと気が付いた。
毎年3月にヨシズ生産農家らがヨシ焼き(野焼き)を行っているのだ。


雷電神社跡
雷電神社を示す碑が立っているのみである。


延命院跡にも、今は建物はない。
鐘があるだけだ。


この「鐘」は、現在の赤麻寺から借りているとの案内があった。
火事のときに鳴らす”半鐘”のような音が響いた。
”鎮魂の鐘”といったところだろうか。


旧谷中村の墓地は、雑草に埋もれるようにひっそりと佇んでいた。
谷中村合同慰霊碑は、堤防の外側にあるそうだ。


旧谷中村の墓地を後にして子供広場ゾーンへ。


レンタサイクルが繁盛しているようだ。
遊水地内は広いので、レンタサイクルで巡るのが便利である。
レンタサイクルはここ谷中湖北以外にも3か所ある、とのこと。
今度かみさんと来た時にはレンタサイクルを利用しようと思う。


レンタサイクル屋を横目で見ながら北へ向かう。


変わった建物が建っていた。
「渡良瀬遊水地ウォッチングタワー」だ。


なかなか良い眺めである。
『日光の男体山はどこぉ』


『よく見えるけど霞んでるのよねぇ』


ウォッチングタワーから北水門を望む。


ウォッチングタワーを背に記念撮影だ。


後ろに見えているのは北水門。


ここにも展望台たあったが、ウォッチングタワーから観たばかりだし、ここはパスしよう。


ゴールの板倉東洋大前駅を目指す。


緑が茂って美しい。


爽やかな風が吹き渡り、気持ちが良い。


渡良瀬遊水地の外周堤防に出た。
右は県道9号線


少し歩き疲れたが、まだまだ元気いっぱいである。


「決壊の跡」の碑
この堤防が、昭和22年(1947)9 月のカスリーン台風で決壊したことを後世に伝えようと立てたものと思われる。
しかし、この堤防が決壊したとはとても信じられないのが実感である。


東小学校近くまで戻ったところで、最後の休憩だ。


ややお疲れの様子。
万歩計は既に18,000歩近くを示していた。


朝方通った遊歩道を板倉東洋大前駅を目指す。
『もう直ぐよねっ』
『もう直ぐですよっ』


板倉東洋大前駅が見えてきた。


14時ちょうど、板倉東洋大前駅に到着。
早速、整理体操をして・・・


『はいっ 今日も大変お疲れ様でしたぁ』


初めての渡良瀬遊水地ウォーキングだったが、緑に溢れた湖岸は爽快で気持ちが良かった。
梅雨入り後にも関わらず、湿度が低い好天に恵まれたのは幸運だったと言える。
文中でも触れたが、かみさんを誘ってレンタサイクルで走っても良いかなと思った。


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