ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

武蔵野の景色を味わう 平林寺と野火止用水

2017年11月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年11月10日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第23回(2017年第39回)、「平林寺と野火止用水」ウォーキングに参加した。

8時45分、日暮里駅で池袋方面の山手線を待っているところ。


既に通勤時間帯は過ぎていると思われるが、山手線はかなり混んでいた。
全員池袋まで立ったままの状態だ。


西武池袋線の準急電車は、空いていた。


この日の参加者22名全員が同じ車両にゆったりと座れた。


9時45分、清瀬駅に到着。


清瀬駅南口の地図や聞き込みで平林寺への道を確認するなどして、
多少の時間はかかったが、


9時59分、平林寺を目指して出発!
清瀬駅前南口の通りを東へ。


新小金井街道に出てた。
そこを横断すると、


平林寺方面5.25Kmの案内表示があった。


表示に従って、「こばとの森幼稚園」の裏を通って進む。


野火止橋に出た。
平林寺方面5Kmとある。


道路沿いに用水路があり、水が流れていた。
この日の野火止用水ウォーキングの始まりである。


野火止用水に沿って遊歩道が整備されていた。
『水は思った以上に綺麗だねっ』


小さな鯉の姿も


水道道路
埼玉県新座市南西部から北東部までを貫く市道のこと。
朝霞浄水場と東村山浄水場間を結ぶ水道管が道路下に
埋設されていることから、「水道道路」と呼ばれるようになった。
新座市新堀・西堀地区で野火止用水と併走している。


遊歩道を平林寺方面へ


10時15分、西武池袋線の踏切を横断し、


遊歩道を進むと、途中で遊歩道は暗渠になった。


しばらく暗渠の上を歩く。


暗渠部分を抜けると、再び野火止用水が現れた。


野火止用水の直ぐ隣は、住宅地になっている。


埼玉県指定史跡 野火止用水 と刻まれた碑があった。
良く見ると、碑には野火止用水の歴史や役割などが刻まれている。


野火止用水は、立川市を起点とし、新座市の平林寺を経て
志木市の新河岸川に至る全長約24kmの用水路である。
開削の歴史は古く、承応4年(1655)、徳川幕府老中の
松平伊豆守信綱によって開削された用水路で、「伊豆殿掘」
とも呼ばれている。


川越城主松平伊豆守信綱は、新田開発に入植した人々の生活水を確保するため、
玉川上水から分水することを許され、小平市から野火止台地を経て、
新河岸川(志木市)に至る全長24Kmに及ぶ用水路を開削した。
この付近の新田開発に入植した人々は、屋敷の近くに用水を引水した。
八軒の家が点在していたことから、この水路を”八軒回し堀”と呼んでいた。
現在、回し堀の大部分が遊歩道として整備されている。


三度(みたび)暗渠部分を歩く。


10時27分、平林寺まで4Kmの地点を通過。


『この遊歩道は歩き易くて良いねぇ』


遊歩道を進む。


御成橋通りを過ぎて、


さらに遊歩道を進むと・・・


10時47分、赤い鳥居が立つ小さな広場があった。


ここで小休止して行こう。


『けっこう汗かいたなぁ』


馬喰橋通りの交差点の脇に


道祖神のような石像を祀った小さな祠があった。
かつての歴史が偲ばれる。


10時56分、史蹟公園に到着した。
野火止用水が本流(左)と平林寺堀(右)に分かれている。


本田緑道方面の案内表示があった。


本田緑道方面を目指すことにした。


『遊歩道がなくなっちゃったねぇ』
遊歩道はなくなったが、車もあまり通らなくなったので、
その分安全に歩けるので一安心。


11時5分、500mほど進むと、本田緑道桜並木の表示板があった。


野火止用水と並行して桜並木が続いている。


木々に囲まれた農家が一軒だけ立っていた。
実にのどかな風景だ。


緑に包まれた林の中を野火止用水に沿って進む


芝生でグランドゴルフに興じる人達


林の中を進む。
遊歩道はいつの間にか砂利道に変わっていた。


11時13分、平林寺まで1.35Kmの地点を通過。


新座市総合体育館を左手に見ながら進むと、


野火止用水史跡と刻まれた石碑があった。


本田緑道の突き当りは関越自動車道になっていた。
案内表示に従って右に曲がる。


野火止用水は、関越道に架けられた橋の上を向う側へ真っ直ぐに流れていた。


関越道への信号を渡り、


関越道を横断する。


関越道を渡ると、左手に史蹟 平林寺堀と書かれた標識があった。


平林寺堀の流れは緩やかで、水の量は少ない。
遊歩道も細くなっている。


平林寺堀の周囲は緑の森が広がる。


平林寺堀に沿って進む。


平林寺堀の突き当りを標識に従って右へ進む。


道路を300mほど進むと、


平林寺前交差点に出た。


平林寺前交差点を左に進むと、半僧門の先に平林寺の総門があった。


平林寺は専門の道場をもつ関東の代表的な禅寺である。
正式名称は「金鳳山 平林禅寺」といい、臨済宗妙心寺派の
別格本山である。


入山料500円を払って境内へ。
境内案内図に『広いんだね~っ』
平林寺は、武蔵野の面影を残す13万坪の境内を有している、とのこと。
約1時間、自由に見学することにした。


最初のうちは揃って進む。


境内のあちこちで真っ赤な紅葉が。


山門
築350年の風格を湛える平林寺のシンボルとされている。
凌霄閣(りょうしょうかく)と書かれた扁額が架かっていた。
霄(空)を凌ぐ、空よりも遥かに高い志の意で、
厳しい修行をやり抜く心構えを表している。


金剛力士像
明治から昭和にかけて、日本の電力事業の基礎を築いた、
実業家松永安左エ門の寄進、とのこと。


山門を潜ると、高野槙の大木が目に入った。
樹齢は500年とある。
『こんな立派な高野槙は初めてだわっ』


仏殿
端正かつ威厳ある佇まい。
本尊は釈迦如来坐像で、脇侍は迦葉尊者と阿難尊者。


『お賽銭、お賽銭はどこにしまったかなっ』


本尊(釈迦如来坐像)にお参り。


真っ赤なもみじの紅葉が美しい。
『いやぁ 見事に紅葉してるねぇ』


中門越しに本堂を望む。
中門を取り囲む緑と真っ赤なもみじのコントラストが印象的である。


片割れ地蔵
もとは一対だった地蔵の片方を平林寺に祀ったと云われている。


放生池(ほうじょういけ


『鯉が凄くたくさんいるねぇ』


『みんな集まって来ちゃったみたいだなぁ』


境内を順路に従って歩いてみる。


平和観音像


順路に従って、雑木林の中を進む。


何かに見入っているのは・・・


島原の乱供養塔だ。
寛永十四年~十五年(1637~1638)にかけて肥後国天草の農民が、
キリシタン信者と結合して起こした大反乱を、大河内松平家の祖である
松平伊豆守信綱が収めたことに由来する「島原の乱」の供養塔です。
この戦いによって亡くなった人たちの霊をなぐさめるためと、先祖の
松平伊豆守信綱の足跡を知らしめるために、三河国吉田藩松平伊豆守家の
家臣である大嶋佐源太が、文久元年(1861)に大河内松平家の菩提寺である
平林寺に建立したものです、と紹介されている。


卵塔(らんとう
修行半ばにして亡くなった禅僧の卵塔(墓)が整然と並んでいる。


平林寺堀に架かる橋を渡る。


平林寺堀には水は流れていなかった。
『完全に干上がっちゃってるよっ』


松平信綱の重臣安松金右衛門(左)と小畠助左衛門(右)の墓
玉川上水の開削工事は幕府老中で川越藩主の信綱が総奉行を務め、
玉川兄弟が請け負って進められたが、2度も失敗するなど困難を極めた。
信綱は家臣の安松金右衛門に設計の見直しをさせ承応二年(1653)に
ようやく完成。
また金右衛門は玉川上水から分水して野火止め地域に水を引く野火止用水の
開発も担当、小畠助左衛門は当時の川越藩の家老で工事を支援した。


川越城主松平信綱公一族の墓所
大小様々な五輪塔がずらりと並んでいた。


『いやぁ 凄い数の五輪塔だね~っ』
『一族全員の墓なんだろうねっ』


松平信綱公一族の墓所の先には、広大な雑木林が広がっていた。
もみじが紅葉していた。


広場で食事をしているようだが・・・
『境内での飲食は禁止とWebに書かれていたんだけどなぁ』
(後で境内での弁当はOKということが分かった)


弁当を食べているのを横目に見ながら林の中を進む。


武蔵野の面影を残す雑木林が続く。


野火止塚(九十九塚)があった。
街道で見る一里塚よりも径も高さも大きい。


解説板によると、
和名抄に見る火田狩猟(野に火を放ち獲物を追い出す狩猟)の野火を
見張ったものか、焼畑耕法による火勢を見張ったものか定かではないが、
いずれにしても野火の見張台との説が有力とのこと。


野火止塚(九十九塚)の先を右に曲がり、出口へ向かう。


松平信綱公一族の墓所だ。
『さっき見た墓所がここまで続いているんだぁ』
『さすがにこれは広いわ』
大河内松平家の墓所は3000坪もあるそうだ。


出口へ向かうと、茅葺屋根が緑色の苔に覆われた古い小屋があった。
『いやぁ 趣があって良いんじゃないっ』


陽の光に黄金色の紅葉が映えて美しい。


境内で子供たちが固まって食事中だった。
総門の入山受付の人に境内での食事の可否について確認すると、
『奥の広場であれば、弁当は良いですよ』とのこと。
それでは、お言葉に甘えて、我々もこの平林寺境内で弁当にしよう。
粋な計らいに感謝である。


半僧坊感応殿の前を通り、


再び境内奥の広場へ向かった。


広場で弁当タイムである。
時計は12時30分を回ったところなので、ベストのタイミングだ。


『ここで弁当を食べられて良かったよねっ』


『天気は良いし、今日は最高だねっ』


広場のパノラマ写真
先ほど弁当を広げていた人は、まだ食事中だった。


食事が終わり、後はゴールのJR新座駅を目指すだけである。


山門を潜り、


総門へ向かう。


13時10分、平林寺を後にする。


平林寺総門前の道路を新座市役所方面へ。


睡足軒の森を通過
平林寺の睡足軒や坐禅堂を改修したもので、古民家の睡足軒は
茶道・華道・俳句などの日本文化を楽しむサークルなどに利用される。
園庭散策は無料となっている。


13時18分、新座市役所前を通過し、新座市役所前交差点を左折。


野火止公園方面へ。


山下橋の所で右折すると、


野火止用水が流れていた。
『野火止用水の本流だねっ』


野火止用水に沿って進む。


300mほど進むと、13時38分、野火止公園があった。
ゴールの新座駅まで1.0Km、ここで最後の休憩を摂ることに。


皆さん、やや疲れた様子。


跨線橋を通って、


国道254号を横断する。
新座駅方面を望む。


国道254号を渡り、


最初の十字路を左折すると右手に「ふるさと新座館」が。
地元の野菜を直売しているようだ。


「ふるさと新座館」前の遊歩道を進む。


『これを真っ直ぐ行けば新座駅に着くんだよねっ』


遊歩道を進む。


新座駅まで250mの地点を通過。


正面に新座駅が見えて来た。


13時58分、ゴールのJR武蔵野線新座駅に到着。


14時2分発の電車は定刻にやって来た。
『グッドタイミングだったねっ』


14時46分、新松戸駅に到着
『ここまで来るとほっとするわねっ』
この後、常磐線各駅停車で柏まで行き、快速電車に乗り換え帰途についた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

当会としては、初めての野火止用水と平林寺の散策となった。
野火止用水に沿った遊歩道は、天気も良く気持ち良く歩くことが出来た。

平林寺の境内は、その広さに圧倒された。
また、落ち着いた佇まいの山門や仏殿に感動を覚えた。
また別の季節に歩いてみたい場所である。

この日の万歩計は、18,000歩を超えていた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 逆回りもまた良し 初の宝篋... | トップ | 素晴らしい景色に感激 大山... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「健康ウォーキングの会」」カテゴリの最新記事