ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

遠出はときわ路パスに限る 勿来海岸から勿来の関

2021年10月23日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2021年10月23日(土)

隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和3年度(2021年度)第4回、令和3年(2021年)第7回、「勿来海岸から勿来の関
ウォーキングに参加した。

勿来の関に最も近い勿来駅は、茨城県最北の大津港駅の次の駅になる。
通常の往復運賃は4,620円(片道2,310円)だが、おとくな切符「ときわ路パス」(2,180円)
を利用することにより、一駅乗り越し(+190円)することで、運賃はほぼ半額となる。
「ときわ路パス」は土日しか利用できないことから、この日に実施することにした次第。

荒川沖駅の発車時刻は8時00分(水戸行)だが、7時40分頃から参加者が荒川沖駅改札口に
次々に集まってきた。その数18名。
電車での例会は昨年10月24日以来ちょうど1年ぶりのことで、楽しみにされていたのだろう。
既に皆さん「ときわ路パス」は購入済だった。


土曜日の電車はそれほど混んではいない。


土浦駅から乗車した人と併せ、この日の参加者は24名となった。
1シート占有可能な状態が嬉しい。
勿来駅まで約2時間半、快適な旅になりそうだ。


9時ちょうどに水戸駅に到着。
9時9分発のいわき行に乗り換えるため、5番線から3番線へ移動。


いわき行に乗車すると、


車内は空いていた。
『やっぱり遠出は土曜日に限るよねっ』


10時23分、時刻表通り勿来駅に到着した。


大津港から一駅乗り越し(190円)のため、清算をしているところ。
自動精算機が設置されていないため、駅員が一人ひとり手作業で処理している。


『今帰りの切符を買ってた方が良いんじゃないっ?』
ということで、全員帰りの切符(大津港まで190円)を購入した。


勿来駅


駅正面には勿来の関ではあまりにも有名な、源義家の銅像が設置されていた。


歌碑には、「吹く風を 勿来の関と 思えども 道もせに散る 山桜かな」と刻まれている。


TK会長からのこの日実施に至ったいきさつとコロナ感染防止対策の心構えがあり、


10時43分、先ずは勿来海岸目指して出発だ!


渡線橋で国道6号を跨ぎ、


勿来海岸を目指す。


しばらく住宅街を進むと、


海岸沿いの堤防に出ることが出来た。


海岸沿いの径は、”いわき七浜海道”と名付けられている。


勿来海水浴場方面を目指す。


右手に見えるのは、「太平洋健康センター 勿来温泉関の湯」の建物だ。
『目の前に太平洋が見えるって良いよねぇ』
『一度泊まってみたいもんだねっ』


「勿来温泉関の湯」辺りから、堤防越しに勿来海岸が見えるようになって来た。


『海岸を歩いてみたいねっ』


ということで、堤防を越えて海岸へ出てみることに・・・


『風もそれほど強くないし、歩き易いんじゃないっ!』


『それにしてもきれいな砂浜だねぇ ゴミ一つ落ちてないよっ』


『いやぁ ほんとに気持ちが良いねぇ~』


勿来海水浴場方面を目指す。


勿来海岸


後方のGはかなり後ろの方だ。
『追い着くまでにはちょっと時間がかかりそうだねっ』
少しペースを緩めることにしよう。


『そろそろ国道に出ても良いころかなっ?』


はるか前方に二つ岩と小さな赤い鳥居が見えてきた。
『岩は一つのように見えるけどねっ』


国道6号を進む。


11時49分、勿来の関跡三叉路交差点に到着した。
『ん???』 国道6号を渡る横断歩道が見当たらない!


交差点辺りから海岸に目をやると、二つ岩と赤い鳥居を直ぐ近くに同時に見ることが出来た。
かつては、岩は二つあったそうだが・・・浸食が進み、ひび割れが目立ち崩落の危険が出て、
海水浴客の安全を保つことが困難になったそうで、
平成12年に岩は取り崩されて、炭素繊維のモルタルで同じ形状に復元した擬岩に置き換えられた、とのこと。
左の高い岩が擬岩で、右の低い岩が本当の岩、とのこと。


交差点の少し先に階段があった。
『トンネルがあるわよっ』
『そう来なくっちゃ』 横断歩道がないという問題は解決である。


階段を下り、トンネルを潜ると・・・


国道6号の反対側に抜けることが出来た。
トンネルを抜けて、勿来の関架道橋の下を潜り、


道なりに進む。


”勿来の関まで1000m”の標識が。


標識の50mほど先を右に曲がると坂道になるが、そのまま坂道を進む。


『いやぁ けっこうきつい坂道だよなっ』


坂道を上ること約10分の12時14分、勿来の関跡入口に到着した。
『いやぁ やっと着いた~っ』


勿来の関跡には源義家の像と奥州勿来関跡の標柱が建っていた。


その前で記念撮影をしておこう。


勿来関跡入口の門を潜って”詩歌の古道”へ。


勿来関
勿来の関は、もと菊多(いわき市南部の古名)剗と呼ばれ、今を去る千五百有余年前に設置されたと云われ、
白河関・念珠ヶ関と並んで奥州三古関の一つとして名高い関所である。
これを「勿来」すなわち「来るなかれ」と呼んだのは平安中期ごろからであり、北方の蝦夷の南下を
せきとめるためであったと言われている。
又平安初期の弘仁二年、いわき地方の駅路(官道)の廃止にともなう通行止めを監視する関とする説もある。
平安時代も終わりに近い後三年の役のとき陸奥守源義家が、その平定のため奥州に下向する途中ここにさしかかる。
折しも盛りの山桜が春の山風に舞いながら路上に散りしいていた。
行く春を惜しむかのように武将の鉄衣に舞いかかる桜の花に、さすがの義家も今はただあまりの美しさに
駒をとどめ、吹く風を 勿来の関と 思えども 道もせに散る 山桜かな と詠じたのが勅撰の
千載和歌集に載せられ、勿来関の名を今の世に伝えている。  いわき市


勿来関の碑 ご案内
”詩歌の古道”に建てられた勿来関を詠んだ歌人たちの石碑の配置図が示されている。


奥州の宮
関東の宮とともに二体の石造りとして祀られたお宮と伝えられている。


関東の宮
関東と奥州(東北)の国境の守り神として祀られたお宮と呼ばれている。


みちのくの 勿来へ入らむ 山がひに 
  梅干しふゝむ あれとあがつま
   茂吉
陸奥の勿来の関に行く山間の道で梅干しを口に含む私と私の妻  斎藤茂吉


山桜 われも日本の 武士にして    永野修身
山桜よ、私も源義家と同じ日本の武士であるのだから


桜木の 石にもなりて くちぬなを
  関のこなたに とゝめけるかも
   海上比佐子          
桜の木の化石になっても、その名は廃れることなく ここ勿来関にとどめることだよ。


九面(ここつら)や 潮満ちくれば 道もなし   
  ここを勿来の 関といふらん
    飛鳥井宗勝
九浦(ここつうら)は、満潮になると道がなくなってしまう。
道を閉ざすここを勿来関と言うのだろうよ。  飛鳥井雅宣(難波宗勝)


石畳の”詩歌の古道”はまだ続いているが、女性陣の姿が見えない。
皆さん実に足が速い。


勿来關冠題詩碑


東路は なこその関も あるものを
  いかでか春の 越えて来つらん
    源 師賢
春は東から来るというけれど、東路には「来るな」という勿来関があるのに、春はどうやって
来るのだろうか。


なこそとは 誰かは云いし いわねとも 
  心にすうる 関とこそあれ
    和泉式部
来ないでなんて誰が言ったというの。 いいえ誰も言っていないわ、
あなたが勿来関みたいな心の隔てを作って、私に会いに来ないだけでしょう。


みるめ刈る 海女の往来の 湊路に 
  勿来関を われすえなくに
   小野小町
海松布刈る海人が往来する湊路に「勿来(来ないで)」なんていう関は据えてないのに、
見る目(会う機会)離れてるじゃない。(最近会いに来てくれないのね)


間もなく”詩歌の古道”も終わりに近づくころだが・・・


なこそ世に なこその関は 行きかふと 
  人もとがめず 名のみなりけり
  源 信明詠む
名前こそ「来るな」などという勿来関だが、往来する人をとがめたりしない。
なんだ、名前だけの関だったのだ。 源 信明(みなもとのさねあきら)


風流の はしめやおくの 田植うた   はせを(芭蕉)
俳句のはじまりだったんだ、奥州の田植え歌は。


”詩歌の古道”の標識(こっちが入口か?)があった。
進行方向は勿来関文学歴史館となっている。


”詩歌の古道”の最後(最初?)には源義家の歌碑がある。
吹風を なこその関と 思へとも 
  道もせに散る 山桜かな
   源義家
花を散らし吹く風は「来るな」という勿来関には来ないと思っていたが、
道いっぱいに散る山桜だなあ


12時32分、源義家の歌碑の先に勿来関文学歴史館があった。
ここで見学希望者を募ってみたところ、4割近くの人が希望しないという結果に。
6割の人は、せっかくなので見学して行こうということになった。
一般入館料は330円(20名以上団体割引は280円)だったが、6割の入館者ということで、
団体割引は効かないため、各自入館料を払っての入館となった。
全員が入館する場合は、一人280円になるため、80円は会費で負担しようと思っていたが、
思惑は見事に外れてしまった。
入館をパスする人は、この先の吹風殿でも見学しながらしばらく待ってもらうことにした。


12時40分、入館希望者は先ずは体温測定だ。
入館前に体温測定をして、平熱であれば入館料を払う手順となっている。
入館者名簿は、代表者として1枚にまとめて提出した。


勿来関文学歴史館は、勿来県立自然公園内の勿来関跡や勿来を詠んだ源義家など多くの歌人に
係る資料が展示されている。
駕籠乗りや影絵などの体験メニューもある、と紹介されている。
順路に従って最初に2階へ。
田部君子展が行われていた。
資料によると、昭和前期に彗星のごとく現れた、薄命の歌人の生涯を紹介するもの、とある。
田部君子の短歌の創作は、十六歳から二十二歳までのわずか七年間だった、そうである。
(詳細省略)


田部君子 略年譜と写真
写真は藤田女学校と満十八歳の藤田女学校制服姿の田部君子


見学風景(1)


見学風景(2)


こちらは映像で観ることになっているが・・・
複数の画面には何も映っていない、どうやら故障中らしい・・・


大型スクリーンには源義家の詠んだ歌が映し出されていた。


緩い下りのスロープを下の階(1階)へ。


壁には陸前浜街道の宿場の配置図や


浜街道の当時の景色などを描いた絵などが展示されていた。


なこその関を詠んだ和歌129選


1階に下りると、江戸時代の庶民の模型住居や暮らしの様子などが展示されていた。
模型(1)


模型(2)


模型(3)


模型(4)


模型(5)


模型(6)


ざっと以上のようなものが展示されていたが・・・評価は皆さんにお任せすることにしよう。
勿来関文学歴史館を出て皆さんの待つ吹風殿方面へ急いだ。


非入館者の皆さんは勿来関文学歴史館を出て直ぐ近くの小公園にいた。
『すみませ~ん、大変お待たせしちゃいましたぁ~!!』


時間も相当過ぎていた(12時58分)ので、この小公園で弁当タイムにすることにした。
何名かは既に弁当を済ませていた。
弁当タイム(1)


弁当タイム(2)


弁当タイム(3)


弁当の後は、吹風殿正面の駐車場奥にあるという展望台を観て帰ることにした。
展望台からは勿来の海が一望できる、と紹介されていたからである。
右手に吹風殿を眺めながら展望台へ向かった。
吹風殿は帰りに立ち寄ることにしている。


展望台を探し出すのに少し時間を要したが、駐車場の奥の方に展望台への登り口があった。


『いやぁ 草ぼうぼうだね~っ』
殆ど人が歩いたような形跡が伺えない。


13時37分、坂道を上ること約3分、展望台の東屋に到着した。


『いやぁ これじゃぁ何も観えないねぇ』
草や木が生い茂っていて見晴らしはすこぶる良くない。


東屋のテーブルの上に上がって背伸びして観てみると・・・


何とか海岸風景を観ることが出来た。
『周りの余分な木々は切った方が良いのにねっ』


13時41分、一応勿来の海を一望したことで、直ぐに引き返すことにした。


『ドロボウ(ひっつき虫)がいっぱいくっ付いちゃったわねっ』


13時44分、勿来の関公園体験学習施設である吹風殿に到着
吹風殿は、勿来の関が歌枕に詠まれた「平安時代の歌人の住まいとその庭園」に触れながら、
日本古来の文化に親しむ交流空間です。
平安時代の雰囲気を味わい体験していただく憩いの場、歴史・自然に触れ合う総合学習の場、
野点・歌会・伝統芸能などの発表の場としてご利用いただけます。と紹介されている。


吹風殿の庭園風景が素晴らしい。


平安時代の代表的建築様式である寝殿造の建物も見事である。


吹風殿全景


体験学習施設


13時49分、吹風殿を出て、


ゴールの勿来駅を目指す。


勿来駅へ向かう。


弓掛の松
切断された松の古木の下部が残されている。


弓掛の松の由来
源義家公がこの地で休息をとった時に、一本の松に弓を掛け、隣の松に鞍を掛けたと言い伝えられ、
弓掛の松、鞍掛の松と一対をなし、長い年月その威容を誇っていたが、遂に枯死し、
平成九年(一九九七)十二月四日下部を残し切断する。
明治四十三年当地を訪れた徳富蘆花は「八幡太郎弓かけの松、鞍かけの松、など言ふ老大な
赤松黒松が十四、五本太平洋の風に吹かれて、翠の梢に颯々の音を立てている。
五六百年の物ではない」と記している。
(「熊の足跡」勿来より)


弓掛の松の直ぐ近くに赤松の大木が聳えていた。
弓掛の松二世ということだろうか?


13時58分、勿来の関跡入口前を通過


勿来駅へ向かう。


14時ちょうど、勿来駅まで1.7Kmの地点を通過。
『14時台の電車は間に合わないので、次は15時32分だったよねっ』
駅までの距離を考えると、時間は十分過ぎるほどだ。


黙々と勿来駅を目指す。


14時05分、勿来駅まで1.4Kmの地点を通過。
『距離が表示されてると安心するよねっ』


しばらくすると、開けた場所に出た。
勿来駅は近いようだ。


桜並木に沿って進む。


14時21分、勿来駅まであと300mの地点を通過。
『もう直ぐだねっ』


14時26分、勿来駅の裏側に出た。


渡線橋を上り、


左側に下ると・・・


14時30分、勿来駅に到着した。
『いやぁ やっと着いた~っ』


駅舎内の案内表示を見ると・・・
14時37分発の特急ひたち18号の案内が・・・
『勿来駅に特急が止まるということ?』
駅員によると、次の停車駅は水戸で、水戸を過ぎると終点上野まで止まらない、とのこと。
一方、普通列車は、15時32分となっている。まだ1時間近くある。


『ん???』 KKさんが特急券を買い求めているようだが・・・
特急に乗って帰ることにした、とのこと。
水戸駅で普通に乗り換えれば、少しは早く着きそうだと。


KKさんとは、ここでお別れすることに。
『今日は大変お疲れ様でしたぁ それではお気を付けて~』
この後直ぐに特急ひたち18号が到着し、KKさんは車上の人となった。


次の普通列車まで少し時間があるので、いつものメンバーで近くのコンビニへ向かった。


勿来駅から5分ほどでコンビニに到着。


『今日はお疲れさまでしたぁ』


『かんぱ~いっ』
この日の缶ビールが美味かったことは言うまでもない。


15時24分、勿来駅に戻った。


女性陣の皆さんはずっとここで待っていたのだろう。
『お疲れさまです!!』


15時28分、ホームで電車を待つことにした。


ホームには源義家朝臣の歌の看板が・・・
『さすが勿来駅の周りはこの歌だらけだねっ』


15時33分、ほぼ定刻通りに水戸行電車が到着した。
『水戸駅で乗り換えだねっ』


帰りの電車も空いていた。

土浦駅、荒川沖駅に着く頃には辺りはすっかり暗闇に包まれていた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

約1年ぶりの電車での例会「勿来海岸から勿来の関」が無事終わって一安堵である。
この日は予想を超える24名が参加してくれたことに先ず驚かされた。
勿来海岸はゴミ一つ落ちていなくて、その素晴らしくきれいな景色に感動すら覚えた。

勿来関文学歴史館には全員入館するものと思っていたので、4割の人が入館をパスし、
入館者と非入館者に分かれてしまったのは想定外だった。
現地で希望者を募るというやり方は、反省すべき点だと思っている。
今後の施設見学等の参考にしたい。

この日の万歩計は、15,000歩を超えていた。

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