ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

まるで競歩 額田城跡と曲がり屋を訪ねる

2014年05月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年5月10日(土)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第5回(2014年第15回)、「額田城址と曲り屋を訪ねる」ウォーキングに参加した。


この日は水郡線・ディーゼル列車を乗り継いで古社寺や萱葺き屋敷の風景を楽しむ、
というもので初めての企画である。
「茨城歴史探訪ウォーキング」(メイツ出版)を参考にした。
水郡線額田駅をスタートし、3度も乗り継ぐため、「ときわ路パス」が利用できる土曜日の実施とした。

この日のウオーキングマップ(その1)
この日のコースマップは1枚で表すのと縮小し過ぎるため、2枚にしている。
先ず水郡線額田駅をスタートし、鈴木家住宅を訪ね、次に額田城址を目指す。
時間があれば阿弥陀寺に寄り、額田駅に戻る。
次は額田駅から上菅谷駅へ行き、那珂市曲がり屋を訪ね、宮の池公園で昼食。
不動院に立寄って上菅谷駅に戻る。


この日のウオーキングマップ(その2)
最後は上菅谷駅から再び水郡線に乗り、後台駅で下車し、清水寺を目指す。
清水寺参拝後は後台駅へ戻り、帰路に就くという、全長約9Kmのコースである。


荒川沖駅7時5分発の電車を待っているところ。


常磐線車内
この日の参加者は、荒川沖駅から15名、土浦駅から5名の合計20名となった。


仲良し3人組
『今日は楽しみにしてるわよ~っ』


水戸駅で水郡線のディーゼルカーに乗り換える。


水郡線車内も土曜日のためか、比較的空いていた。


ホームの反対側に停まっている列車は、水郡線全線開通80周年の記念企画として、
5月から運転されている「水郡スターライン」である。
車体を星形の蓄光シールで装飾したラッピング車両で、夜間は車体の星形が光って見えるという。
7月21日まで、水郡線水戸~郡山間および水戸~常陸太田間を走る定期列車として運用される、そうだ。


8時45分、3分遅れて額田駅に到着


駅前の地図でコースを確認。
『今日はこの辺りを歩くんだねっ』


駅前の広場で準備体操をして、


8時53分、出発!


先頭はOさん、女性陣に囲まれてご機嫌である。
県道62号線を鈴木家住宅を目指す。


後方を務めるのは、会長のIさん。
『のんびりと後ろを歩くのが楽で良いよっ』


麦の穂が風になびいている。
のどかな風景である。


9時3分、最初の国道349号線を通過
額田城跡は、もう一度国道349号線を渡らなければならない。


さらに県道62号線を10分ほど進むと・・・


この日最初の訪問地「鈴木家住宅」の看板があった。


鈴木家住宅
江戸中期の建築で、当時就藩した藩主の瑞竜山墓参の昼食場となっていた、鈴木市十郎宅であった。
鈴木市十郎は、水戸藩時代庄屋を務め、とくに徳川光圀の娘を迎えたほどの旧家と云う。


この家のお婆さんが『上がって!』としきりに奨めるので、家に上がらせてもらう。
お婆さんは一生懸命に説明してくれた。
徳川光圀公が西山荘への往復の途中に立ち寄り、宿泊にも用いたとも云われている、そうだ。


鈴木家住宅の平面構成は8畳敷きの2室からなる。
奥の間は平書院造りに改修し、御殿風の造りになっている。
『この書院に水戸様(徳川光圀公)が宿泊していた』とのこと。


書院造りの間から庭を見ると・・・


光圀公が植えたと伝えられる2本のモチノキ(樹高10m、推定樹齢300年)があった。
那珂市指定の天然記念物となっている。


お婆さんはまだまだ話し足りなかった様子だったが、時間の都合上先を急がなければならない。
厚く礼を述べて鈴木家を後にした。
『ありがとうございましたぁ』


2度目の国道349号線を通過して額田城跡への入口を探したが、なかなか見つからない。
県道62号線には額田城跡を示す案内板はなく、道を探すのに一苦労。


細い道があったので進んで行くと、案内標識が現れた。
県道にも設置して欲しい標識である。
右側は堀跡と思われる。


二の丸と本丸の間に設けられた空堀を渡る。
かつては、ここに橋が架けられていたと思われる。


これは二の丸と本丸の間に設けられた堀跡だ。
当時はもっと深く、簡単には渡れないように水を湛えていたものと思う。


本丸はもう直ぐのようだが、額田城跡は想像していたより、広い。


堀跡は杉林となっている。
堀の杉は自然に生えたものだろう。


案内板で確認中。


額田城跡の説明が紹介されている。
額田城は、建長年間(1249~1256)佐竹氏5代義重の次男義直が鎌倉初期に築城し、
額田氏を名乗るようになったものと云われている。
10代義亮の時、佐竹氏宗家と対立し、応永31年(1424)佐竹13代義人に攻められ落城し、額田氏は亡んだ。 
その後、義人の家臣小野崎氏が城主となり、以後七代善宣に照通に異心ありとし、攻められ、落城した。
照通は陸奥へ亡命し、以後廃城となった。
城の歴史は17代、約340年続いた。


額田城跡の案内図


案内図によると、空堀に沿って歩いてきたところは二の丸で、この案内板の前も二の丸である。


空堀を通り、


本丸へ。


この辺り一帯が本丸ということだろう。
『しかし、ここの本丸はもの凄く広いねぇ』


数百m四方に渡って杉の木が林立している。
案内によると本丸跡面積は16,000㎡というから4,800坪にも及ぶ。
「100名城巡り」でこれまで全国のいろんな城を見て来たが、これほど広い本丸は初めてである。


本丸の中の本丸を探しているうちに、数人を残して皆さんは先へ行ってしまった。
皆さん、天守閣や石垣などの遺構もない城跡には興味はないのだろう。


説明によると、
内部に四方約60m、高さ約1mの主殿跡と思われる遺構がある、とのことだが、
これがその主殿跡なのだろうか。


この時点で時刻は9時53分、上り列車は10時27分である。
ここでゆっくりと過ごしている時間はない。阿弥陀寺への立寄りは断念せざるを得ない。
先行する仲間の後を追って額田駅へ急ぐことにした。


額田城跡の道は堀であったり、土塁であったりするが、道案内がまったくないため、
元の県道に出るのに一苦労。
先行する皆さんはどの道を進んだのだろうか?


携帯電話で連絡を取りながら、兎に角先行する皆さんを追いかける。
1つ目の国道349号線を過ぎ、2度目の国道349号線の信号のところでようやく皆さんに追いついた。


時計は10時15分、列車まであと12分しかない。
兎に角全員駆け足にも似た急ぎ足で額田駅へ向かう。
『今日はウォーキングじゃなくて、競歩みたいねっ』


10時20分、何とか額田駅に到着。
全員が駅に到着したのは、10時23分であった。
『10時27分の列車に間に合って良かったねっ』


ほどなく上りの列車が来た。


10時38分、上菅谷駅に到着


上菅谷駅は真新しかったが、駅前のお手洗いは旧いままだった。
この秋に新しくなるそうだ。


10時50分、曲がり屋目指して上菅谷駅を出発!


水郡線の踏切を渡り、


300mほど進むと、左手に大きな池(一の関ため池親水公園)が現れた。
池の向こうに那珂市役所の建物が見える。


池に沿って進むと・・・


11時ちょうど、那珂市曲がり屋に到着した。
江戸時代末期に那珂市戸崎地内に建てられた茅葺の民家を解体保存し、平成10年から「一の関ため池親水公園」内
への移設工事を開始し、平成11年に復元が終了した。


厩(うまや
「曲がり屋」とは、土間と厩が突出し、住居部分と馬小屋・物置が一体となった居宅形式で、
寒さの厳しかった東北地方と茨城県の一部に見られる民家である。
厩には、かつては馬がいたが、今は農作業の道具を展示していた。


囲炉裏


かまど
萱や柱を煙で燻すことで、虫がつくのを防ぐため、かまどでは毎日、火を燃やしている、とのこと。


曲がり屋全景


奥の縁側で少し休憩していこう。


裏から見た曲がり屋
どっしりとした萱葺き屋根が頭の高さに迫っている。


那珂市市役所


那珂市市役所前を進み、


右に折れて水郡線の陸橋を渡る。


陸橋を渡る頃には時計は11時22分を差していた。
そろそろお腹が空いてくる頃だ。


陸橋から右手を見ると、目の前に上菅谷駅が見える。
前方は水戸方面である。


11時29分、宮の池公園に到着。


公園内の適当な場所を見つけよう・・・


目の前には大きなグラウンドが広がる。
ここなら眺めも悪くない。


『ここで弁当にしましょうっ』


こちらは東屋で弁当だ。


昼食後、宮の池近くの不動院へ向かう。


宮の池
東西に外周500mほどの大きな池が2つ並んでおり、春は桜の名所としてたくさんの人が訪れる、とのこと。


12時11分、不動院本堂に到着
不動院は、王朝の昔から900年の法灯を伝えてきた古刹で、延宝3年(1675)水戸光圀公の命により再興され、
現在の山号、寺号に改められた。


安産や子育て、病難除け、金運などに御利益があるとされている。
不動堂にお参りを済ませる。


弘法大師像


次の上り列車の発車時刻は12時22分である。
あと8分しかない。急ぎ上菅谷駅へ向かう。


12時16分、上菅谷駅に到着。
今度も何とかぎりぎりで間に合った。


12時22分発の上り列車で再び水郡線で後台へ
上菅谷駅ホームは、この時間は上りと下りが同じになっており、両方の人でホームはいっぱいになった。


半数の人が下り列車で行っってしまったため、上りはほぼ我々だけとなった。
ほどなく上り列車がやってきた。


12時33分、後台駅で下車。


後台駅周辺は学校が多いためだろう、駅の駐輪場には自転車がいっぱいだ。
『物凄い数の自転車だねぇ』


12時34分、後台駅から2Km先の清水寺(しみずでら)を目指す。


のんびりとした田園風景の中、清水寺に向かう。


県立那珂高校の校舎が見える。


12時49分、県立那珂高校の入口を通過


左手には茨城女子短期大学、


右手には那珂市立五台小学校、小学校の裏には水戸農業高校と学校が多い。
この辺りは後台という地名で、駅は後台だが、小学校は五台と名前が混在している。
かつてこの周辺には那珂郡の「五台村」があり、その五台村が後に那珂町に合併されてからは、
五台村という名の代わりに後台という別の名前が使われるようになった、そうである。
今でも、周辺では旧村名を使う施設もある、とのこと。


清水寺までもう少しだ。


清水洞の上公園の看板


13時6分、清水寺に到着。
後台駅からちょうど30分を要したことになる。
清水寺は、元禄十年(1697)に、徳川光圀公が明の僧心越禅師のために、京都・清水寺を模して建立したと云われる。
本尊は、心越禅師が明の杭州永福寺より持参した白衣観音で、「清水の観音様」として世人の信仰が深いものだったが、
大正十年(1921)1月、火災で消失してしまった。
現在の御尊像は聖観世音菩薩となっている。


清水寺の大杉
樹高30m、根回り9.47m、樹幹回り5.2m、推定樹齢500年
那珂市の天然記念物に指定されている。


清水洞の上公園
豊富な湧水がある池や山林が広がる。
天然湧水を活かした公園には池や遊歩道があり、四季折々の風景を楽しみながら散策できる。
この日は後台駅13時56分発の列車に乗らなければならない。
ゆっくりと見て行きたいが、時間がない。


止むなく後台駅へ戻ることにする。


後台駅へ向かう。


後台駅へ向かう。


前方に後台駅が見えて来た。


13時46分、後台駅に到着。
列車の到着まで残り10分、何とかセーフだ。


『いやぁ今日は少々歩き疲れたねぇ』


『発車時刻過ぎてるのにまだ来ないのかしらねぇ』


14時ちょうど、4分ほど遅れて水戸行き列車がやって来た。


水戸から常磐線に乗り継ぎ、土浦駅で降りる人を見送る。
『それじゃぁ お先にっ』
『今日はお疲れ様でしたぁ』

この日の万歩計は既に20,000歩を越えていた。

初めて列車を乗り継いでのウォーキングであったが、列車の本数が少ないため、時間に縛られて、
ゆっくりと訪問地の景色や歴史を楽しむということは出来なかった。
列車の時刻を気にするあまり、一部の区間ではまるで競歩のようなウォーキングとなった。
水郡線に3度も乗り換えるというのは、ちょっと欲張りすぎたかもしれない。
もう少し余裕のあるウォーキングにすべきだった。

県道62号線に額田城址への道順が示されていなかったのは、残念であった。
額田城址は予想以上に広く、空堀や土塁など見どころもあることから、
那珂市に今後の改善点として取り上げていただければと思っている。

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