ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

旧甲州街道を歩く 第十二回 石和宿から韮崎宿(2日目)

2017年05月22日 | ウマさんの「旧甲州街道」を歩く
2017年5月22日(月)

「甲州街道を歩く」第十二回(1日目)は、石和宿(JR石和温泉駅)から
韮崎宿(JR韮崎駅)までを歩いた。
2日目のこの日は、甲府宿から韮崎宿(JR韮崎駅)までを歩いた。

2日目の朝、朝食をしっかりといただく。
ビジネスホテルとは思えないほど、メニューは充実していた。


各自部屋で朝の連続TVドラマ「ひよっこ」を見終わり、
8時34分、出発だ!


甲府駅南口から伸びる平和通りを跨ぐ歩道橋が見えて来た。


相生歩道橋を渡り、国道52号(韮崎)方面へ。


国道52号をしばらく進むと、


荒川橋がある。


荒川


荒川橋を渡る。


荒川の直ぐ隣には貢川(くがわ)が並行して流れている。


貢川橋を渡ると国道5号は二つに分かれていた。
どちらも国道52号だが、


旧甲州街道は、右の道になる。


貢川橋西詰から350mほど進むと、左に大きく曲がる所に
上石田のサイカチの木があった。


この地は貢川の河川近くであったが、河川は整備され今のような市街地となった。
サイカチは川岸の湿ったところに生える木で、この場所に本樹があるのは、
昔の自然の一部を残したものである。


また、大小そろって生えていることから、地元の人々は「夫婦サイカチ」
と呼んで親しんでいるが、両樹とも雌木である。
樹齢は両樹とも約300年と推定される。
甲府市指定有形文化財・天然記念物である。
(甲府市教育委員会)


旧甲州街道(国道52号)を甲斐・韮崎方面へ。


貢川交番前交差点を横断。


韮崎まで12Kmの標識
『まだ先は長いわねっ』


旧甲州街道を韮崎を目指して進む。


この日の昼食は、道中の食事処で食べられる保証はないことから、
コンビニで弁当を買って行くことにする。


9時42分、県立美術館前を通過。
ミレーの「落穂拾い」、「種をまく人」などを所蔵していることで知られる。
この前を通る国道52号は美術館通りと呼ばれている。


旧甲州街道を進む。


9時52分、中央自動車道の手前で甲斐市に入った。


『今日も暑くなりそうだねっ』
この日甲府市の予想最高気温は30度になるらしい。
昨日は32度だったので、いくぶんましだが・・・


旧甲州街道は、竜王新町交差点で国道52号と分岐する。
竜王新町交差点を右に曲がり、少し進むと、
ビルの真ん前に竜王新町下宿道祖神場があった。
道祖神のご神体は、直径45Cmのまん丸い石である。


江戸時代、村人の互助的な集会協議実行の場所として、
地域発展の基点となった「寄合場」である。
村の道路・河川・農産・慶弔交際又は、盆・正月・祭り・相撲大会など
すべての事がここで民主的に協議された。
往時50坪の地積であったが、大部分が道路用地となったので、
この由緒ある地積を保存すべく、昭和8年大蔵省から払い下げ、
10人の共有地となっている、とのこと。


10時15分、称念寺に到着


称念寺本堂
浄土宗の寺院で山号は必得山


ご本尊は、阿弥陀如来像である。
市指定有形文化財の紙本著色仏涅槃図(しほんちゃくしょくぶつねはんず
を所蔵されている。説明によると、
仏涅槃図とは、釈迦の入滅の情景を描いた絵画です。
一般的には、釈迦の足に触れるのが大迦葉あるいは
毘舎離城の老女であるのに対し、この称念寺本は
俗人の翁となっています。(甲斐市教育委員会)


称念寺には「くり抜き石枠井戸」がある。
この井戸は、江戸時代には称念寺が信州往還(甲州街道)に面しており、
ここを往来する人々が赤坂台を通過する際に休憩したことから
古くから『お休み井戸』とも呼ばれていた。
この井戸の石枠の規模は高さ61㎝、幅92㎝、内径65㎝の正四角形で、
四隅は角を削ってある。
市指定有形民俗文化財になっている。


本堂左手奥に石造六地蔵尊がある。
銘文は見られないが、江戸時代初期の作とされている。
もとは寛永年間(1624~1644)に赤坂諏訪神社付近に創建された
地蔵院の本尊であったと伝えられている。
市指定有形民俗文化財になっている。


称念寺でお茶タイムにしよう。
『どうぞっ』 『いやぁ ありがとう、いただきま~すっ』


中央本線の踏切を渡る。


右側には竜王駅が見える。


左側は韮崎方面だ。


線路を渡って少し進むと、すこしばかり急な上りの坂道になる。
赤坂だ。


坂の途中で後ろを振り返ると富士山が見えるとのことだったが、
あいにくの曇り天気で霞んでしまって富士山は見えなかった。
『晴れてればばっちりと見えたんだろうけどねっ』


坂の途中に供養塔が建てられている。
供養塔は、高さ4.3m、幅1.12m、厚さ0.38mの大きさ。
建立年代は、安政年間(1854~59)で、表面を平坦に加工した
巨大な自然石で造られている。
阿弥陀如来の名を称える「南無阿弥陀仏」を六号名号と呼び、
この塔は六号名号を本尊として、供養のために建立されたものであり、
念仏講中による信仰的な表現である。
市指定有形民俗文化財


10時45分、赤坂を上り切った辺りの諏訪神社に到着


境内には御柱が立てられていた。
柱には”竜王新町諏訪神社秋期御柱大祭 平成28年10月30日”とある。
『次の御柱大祭は7年後なんだろうねっ?』


諏訪神社の拝殿に参拝!


その右隣に赤坂稲荷大明神がある。
ここにも一応参拝!


諏訪神社を後にして、韮崎を目指す。


赤坂台総合公園の入口交差点には「クリーンエネルギーセンター」があり、
展示室には水力発電・太陽電池・風力発電などのクリーンなエネルギー
に関する体験型の装置があるとのこと。


龍王源水
龍王源水は、竜王地域の人々が日常飲用している水道水の原水である。
釜無川近くの水源の地下100mの深井戸から汲み上げた水で、
地中のカルシウムやマグネシウムのミネラル分が豊富に溶け込んで
中程度の軟水になっている、そうである。


旧甲州道中下今井宿辺り


T字路に道標があった。
”右市川 左甲府”と刻まれた文字が読める。


道標を右に曲がると、蔵屋敷の門を構えた家が現れた。
歴史を感じさせる構えで当時の面影が偲ばれる。
この下今井宿には本陣はなく、商人が利用した「宿」だったという。


『大きくて立派な家だねぇ』
門の両側が蔵になっている家は初めてだ。


天真山自性院の参道
石畳は、明和二年(1765)の建造で、
甲斐市指定有形民俗文化財になっている。


参道にある赤い印のついた石は、
水戸光圀公が諸国漫遊で甲州街道より信濃方面に出向いた際、
自性院に立ち寄り、けつまづいた石、だそうだ。
『水戸の人はこのこと知ってるのかねぇ』


自性院は、一度しかない人生をどう生きていくかを静かに考える寺、
静かにお参りしましょう。
と門の前に書かれていた。


本堂の前に地球の反対側を示す標識があった。
赤い矢印の先がアルゼンチン共和国バンバ市、だそうだ。
ここが地球のまんなかです、ともあるが・・・


自性院は、曹洞宗のお寺として、元亀元年(1570)に
関刹界翁禅師が開山した。
本尊は、弘法大師の作と伝えられている。


『みんな元気甲斐っ!』
ピンコロ地蔵が微笑みかける。
ピンピンコロリといきたいものだ。


一息入れた後、自性院を後にする。


旧甲州道中沿いには旧い蔵をよく見かける。
なまこ壁の蔵が多い。


中部横断道を過ぎ、


煉瓦のトンネルで、中央本線を潜り、


線路に沿って右に曲がり、塩崎駅へ向かう。
『塩崎駅で弁当にしましょうっ』という訳である。


中央本線・塩崎駅の200mほど手前に”泣き石”がある。
天正十年(1582)3月2日、高遠城が落城すると武田勝頼一行は、
完成したばかりの新府韮崎城に自ら火を放ち、岩殿城に向けて
落ちのびて行った。
その途中、勝頼婦人はこの地で、燃える新府韮崎城を振り返り、
涙を流したという言伝えがある。
高さ約3.8m、巾約2.7m、奥行約3.7mで中央部から水が流れていたが、
鉄道の開通により水脈が断たれてしまった。


線路沿いに進むと・・・


12時8分、塩崎駅に到着
駅舎は工事中だった。
『どっか弁当に適当な場所はないかな~っ』


駅ホームに小さな待合室があったので、ここで弁当に。


待合室だけでは入りきれないので、ホームのベンチも
利用させてもらった。(写真は反対側のホーム)
これまでいろんな所で弁当を食べたが、駅のホームは初めてだ。
ホームに無断で入って弁当を食べるなど、許される行為ではないが、
ここは大目に見ていただきたい。


弁当も終わり、12時40分、韮崎駅を目指して街道を進む。


三界萬霊塔
三界萬霊塔とは、この世のあらゆる生命あるものの霊を宿らせ、
供養することが目的に建立され、三界萬霊牌を祀っているということは、
我が家の先祖だけでなく、すべての精霊に供養することの大切さを教える
ものだそうである。


三界とは我々が生まれ変り、死に変わりするこの世界のことで、
欲界・色界・無色界の3種の世界があり、
欲界というのは、食欲・性欲・睡眠欲などの欲望の世界で、
色界は欲望が無くなった世界。
無色界は、形のあるものから離れた純粋な世界を指す、とのこと。
萬霊とは、欲界・色界・無色界などのそれらすべてを指す、そうだ。


塩崎の蔵屋敷
歴史を感じさせる。


塩崎の蔵屋敷
なまこ壁が印象的だ。


右手に双葉西小学校を見ながら進むと、


船形神社の石鳥居があった。
明神鳥居といわれる形式だが、高さは2.53mと低い。
室町時代前期の応永四年建造で、県指定有形文化財になっている。


宇津谷バス停を通過し、


田畑交差点を右折して中央本線方面に向かって行くと、
道が二つに分かれていた。


分岐点に二十三夜塔が2基立っていた。


二十三夜塔を左折すると下りの坂道が続いていた。


道なりに旧い家並みの中を進む。


坂道を下ると県道6号に出た。
先ほどの田畑交差点を真っ直ぐに進むと、
ここで合流することが後で分かった。


県道6号を進み、塩川橋を渡る。


塩川
塩川橋の右手を走っているのは中央本線だ。


塩川橋を渡り切ると、13時18分、韮崎市に入った。


塩川橋西詰信号を右に折れて線路沿いに進む。


道端の黄色い花がきれいだ。


13時30分、法務局韮崎出張所の建物の陰で一休みしていこう。


『さすがに疲れちゃったわねっ』


目の前を特急「かいじ」が通過していった。


13時40分、韮崎警察署前を通過


本町3町目辺りを通過


鰍沢(かじかざわ)横丁
身延への道との追分である。
ここから「みのぶ道」駿信往還ともいい、峡北地方や諏訪・佐久地方の
江戸城納めの年貢米を馬背に積んで、鰍沢河岸(幕末には船山河岸)まで
通行する道筋である。
沿道には駄菓子屋・馬方茶屋などが軒を並べて賑ったが、明治36年(1903)
国鉄中央線が開通して荷物輸送経路も一変し、往時の活況は消えた。


韮崎小学校バス停辺りを通過


本町三差路を右折して県道27号を進む。


中央本線の陸橋を潜って右折すると、


14時3分、この日のゴール韮崎駅に到着した。


韮崎は、平成28年度(2016年)のノーベル医学・生理学賞を受賞した
大村智博士のふるさとだったのだ。
TVで紹介されていたのを思い出した。


韮崎駅のホームから平和観音像が見えた。
高さは、16.6mだそうだ。
『スマートな観音様だねっ』


韮崎駅14時6分発の普通電車で甲府へ向かう。


『旨い具合に電車があって良かったねっ』


甲府から特急「かいじ号」に乗り換え新宿へ。
『かんぱ~いっ』
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「旧甲州街道を歩く」第十二回1日目(石和宿~甲府宿)、
および2日目(甲府宿~韮崎宿)を無事歩き終えた。
30度を超える真夏日の中だったが、心配された熱中症にもならず、
無事歩き終えたことに一安堵である。

塩崎駅のホームで弁当を食べたのが印象に残る。
この日も特にハプニングと言われるようなことは無かったが、
次は、どんなハプニングが待っているのか、
今から次回の「旧甲州街道を歩く」が楽しみである。

旧甲州街道を歩く 第十二回 石和宿から韮崎宿(1日目)

この日の万歩計は、23,000歩を超えていた。

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