ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

始めと終りは平沢官衙遺跡 つくば北条歴史探訪

2016年01月15日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年1月15日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第27回(2016年第2回)、「つくば北条歴史探訪」ウォーキングに参加した。
訪問地は、メイツ出版の「茨城 歴史探訪ウォーキング」を参考にした。

この日第一集合場所の乙戸沼公園には10名が集まった。
9時ちょうど、車4台でスタート地点の筑波総合体育館に向かい、


乙戸沼公園から35分ほどで筑波総合体育館に到着。
既に大勢の人が体育館脇に集まっていた。


直行したのは18名、第一集合場所の乙戸沼公園のほぼ倍の人数である。
この日の参加者は28名となった。
今年初めての参加の人も何名かいたが、前回の「東海七福神巡り」などの話に夢中である。


こちらは今日のコースに関しての話し?


会長の掛け声で準備体操開始
『膝の屈伸~っ』


『大きく深呼吸をして~っ』


10時2分、出発!


Oさんを先頭に、先ずは平沢官衙遺跡を目指す。


北条大池の周りを進む。


大池越しに筑波山が見えるが、山頂付近はあいにく雲がかかっている。


大池の周りにぐるりと植えられたソメイヨシノは約250本。
春は桜の名所としてたくさんの人が訪れる。
また、夏の終り頃から蓮の花が池いっぱいに咲き、目を楽しませてくれる。
『ここの桜はきれいなんだよね~っ』


北条大池を約半周し、


10時10分、平沢官衙遺跡に到着した。


平沢官衙遺跡
いまから1000年以上前の奈良・平安時代の筑波郡の役所跡。
昭和50年の調査で重要な史跡であることが判明し、昭和55年国指定史跡に指定された。
当時の税(稲や麻布など)を収蔵した高床倉庫を3棟復元し、古代空間を再現している。
3棟並んでいる倉の中心にあるのが特徴ある造りの「土壁双倉」(つちかべならびくら)である。


平沢官衙遺跡は、平成9年度(1997)から6年をかけ、往時の姿が復元された。
正倉(高床式倉庫)などが実物大で復元されている。


高床校倉(あぜくら)
郡衙正倉では中規模以下の倉に多い。
主に麻布などを保管した。
復元に際しては、東大寺や唐招提寺に現存する奈良時代の校倉を参考にしている。


校倉内部の説明


高床土壁双倉(つちかべならびくら)
史跡のほぼ中央にある最大級の建物の高床土壁双倉は、床面積125m²を超す大型倉庫である。


高床板倉
古代の文献では、郡衙正倉はこの板倉がもっとも多くなっている。
稲などを保管した。


板倉内部の説明


平沢官衙遺跡を観終わったところで、係の方が遺跡について説明してくれた。
平沢官衙は、奈良時代から平安時代にかけて造営された常陸国筑波郡の郡衙(役所)の一部で、
その重要性から国の史跡となっている。
”つくばの正倉院の復元”と謳われている、とのこと。


郡衙には、郡衙政庁(役人が執務する場所)、正倉(租税として集められた稲・麻布などの保管倉庫)、
館(宿泊・饗応の役割)、厨(食事を作る場所)などの建物があるが、平沢官衙跡はこの中の
正倉部分のみと云われている。
発掘調査では遺跡は全部で53棟発見されたそうで、全て正倉(倉庫)だったとのこと。
このため、平沢官衙は、”郡衙”とは云わず、”官衙”と呼ぶことにした、そうだ。


10時28分、係の方に礼を述べ、平沢官衙遺跡を後にした。


平沢官衙遺跡


宝篋山の電波塔が見える。


北条の町へ。
道は整備されているが、殆ど車は通らない。
住宅地用として整備されたが、平沢官衙遺跡が発見されたため、
宅地として使えなくなった、との噂も・・・


賑やかな3人娘?である。


筑波山の山頂は相変わらず雲に覆われている。


「つくばワイナリー」の看板の先に見えるのがワイナリーの建物だろうか?
「TWIN PEAKS」ワイン(赤・白・ロセ)を製造販売(ネット通販)している、とのこと。


ぶどう畑
作り始めてまだ3年なので、総生産数は年数百本だそうだ。
つくばにワイナリーがあるとは知らなかった。
「TWIN PEAKS」を一度味わってみたいものである。


北条の町へ
後方は「つくばワイナリー」と筑波山


10時43分、北条市街地を東西に抜ける県道138号に出た。


北条の市街地を西へ進む。


「市の神」が道端にひっそりと置かれていた。
市の取引の無事や幸福を与えると信じられている市の守護神。
祭神は、エビスガミ・オオクニヌシノミコト・ヒコホホデミノミコト・
コトシロヌシノカミ・イチキシマヒメノミコトなどとされる。
神体は円形の自然石が多く、その他、石製、木製の六角柱1本のものもある。
(コトバンクより)


県道138号を歩くこと約200m、八坂神社に到着した。


八坂神社


八坂神社に参拝を済ませる。


神社の脇に五輪塔があった。
この五輪塔には経筒が納められていて、天文六年(1537)の造立と判明。
県内で造立年時が知られる二番目に古いもの。
五輪塔は高さ約2m、上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪と呼ばれ、空輪・風輪が大きく、
火輪の軒の出が小さいのが特徴。
『随分丸くなってるねぇ それだけ古いってことなんだよねっ』


北条の町を進む。


国登録有形文化財の旧矢中邸(矢中の杜)を覗きこむが奥の方は樹木に遮られて見えない。
旧矢中邸は、建材研究者である矢中龍次郎氏によって、昭和13(1938)年から28(1953)年まで、
約15年をかけて建設された。
約770坪の広大な敷地内に本館(居住棟)・別館(迎賓棟)などの建造物が現存し、
その周囲には庭園が広がっている、とのこと。


蔵造りの宮本家
江戸時代末期に建てられたという敷地内の建物は、8棟全てが国の登録有形文化財になっている、という。
商家として栄えた宮本家住宅の「店蔵」と、米蔵だった「宮清大蔵コンサートホール」が見学できる、
とのことだったが、あいにく留守だったため、入るのは諦めた。


また、市の神があった。
北条市街地にいくつか点在するようだ。


10時53分、筑波山への参詣道の起点「つくば道道標」前を通過。
「つくば道道標」は、筑波山神社まで一里(約4Km)の北条仲町に建てられている。
『ここから筑波山神社にお参りに行くんだねっ』


田村家店蔵
大正時代に建てられた元呉服店の店蔵。
大正初期の建築で、二階が2棟に分かれているモダンな設計が特徴だ。


現在、地区の情報発信・交流拠点「北条ふれあい館」として、地元の商店などでつくる
北条街づくり振興会のメンバーが交代で店番をしており、見所などを案内する、とのこと。


店蔵内部には、手づくりブローチやコースター、まほうタワシなどの小物が売られていた。


北条市街地
この辺りが平成24年5月6日12時35分頃に発生した竜巻により、被害があったところだそうだ。
『今はまったく跡片も残ってないよね~っ』


宝安寺・鹿島神社への案内に従って県道138号を右折する。


道を突き当たった所が宝安寺だが、訪問する場所として紹介されていないので、ここはパス。


宝安寺の隣に鹿島神社への参道があったが、ここも通過である。


11時ちょうど、鹿島神社前を過ぎて直ぐの所の毘沙門天種子板碑に到着。
案内板には、
板碑は、毘沙門天のお姿そのものを彫ったものではなく、その種子(密教で仏や菩薩を標示する
古代インドの文字)を彫出し、上部に毘沙門天の持物の宝塔を刻するものである。
板状自然石の前面、下部に大きく毘沙門天の種子「ベイシラマンダヤ」を幅の広い字体で彫り、
形象化した文字は流麗で巧みで、上部には宝塔を薄肉彫りするという、板碑として類例のない傑作である。
高さ170Cm、幅82Cmで鎌倉時代製作と考えられている。(概略)


続いて11時3分、日向(ひゅうが)廃寺跡に到着。
平安時代末期から鎌倉時代にかけての寺院跡で、建物跡は中央堂を中心に東西に
回廊を持つ阿弥陀堂建築で全国的にも珍しい寺院跡である。
この地に常陸大掾氏(だいじょうし)が居住して、文化が栄えていたことを物語っている。
(常陸大掾氏:古代末期~中世の常陸国の豪族。桓武天皇の曾孫高望の子国香が常陸大掾に
任官して,土着したと伝わる。)


廃寺跡で休憩だ。


しばしのお茶タイムを楽しむ。
『日向ぼっこしておやつしてると気持ちが良いわよねっ』


廃寺跡を後にして次の目的地へ


細い道を進むと・・・


熊野神社への参道らしき道があった。
参道にしては細いが、正面には鳥居が見える。


鳥居を潜ると・・・


鳥居の先には、狭く急な石段があり・・・


石段を登り切ったところに小さな祠が見える。
これがあの天下に名だたる熊野神社なのか?


半信半疑でいったん元の道へ戻ったところ、10mほど先に熊野神社の案内があった。


こちらの参道も細いが、先ほどの参道よりはましである。
しかし、勾配は急で石段の数も多い。
『こっちが熊野神社の正式な参道みたいだねっ』


かなり急で段数も多いが、ここは石段を上るしかない。
この日一番の登りで、足に堪える。


ようやく熊野神社に到着した。
至徳元年(1381)、後小松天皇の勅願で創建された神社とのことだが、明らかではない、とのこと。


流造りの本殿は江戸後期の建築。
参道入口にある石鳥居は寛永十三年(1636)に建てられたもので、つくば市内で最も古い、そうだ。


社殿背後の宝塔は花崗岩の巨石から作り出されたもの、とのこと。


熊野神社からの眺望
『いやぁ これはなかなか素晴らしい眺めだねぇ』


熊野神社の別当寺であった全宗寺の墓地が広がる。


次の目的地無量院を目指す。


熊野神社のすぐ隣に熊野神社の別当寺であった熊野山阿弥陀院全宗寺がある。
応永二年(1385)の開創。
真言宗豊山派の寺院で本尊は波切不動尊。
最後の北条城主・北条治高の家臣、蜷川全宗が天正年間(1573~91年)に再興し全宗寺と改めた。


不動堂の前に半鐘があった。
不動堂前に半鐘とは珍しい。


不動堂前の六地蔵尊が印象的である。


全宗寺の仏堂


無量院入口近くの道端に蝋燭立てのようなものがあった。
蝋燭が3本立てられているが、火が付けられた形跡はない。
火を灯すと蝋燭立てそのものが燃えてしまうからか。
何時、どんな目的で使われるのだろうか?


無量院入口前に稲荷堂と、


天神堂(天満宮)が祀られている。
雨乞いの神として信仰厚く、昭和の初期まで雨乞いが行われていた、そうだ


11時40分、無量院に到着。
本尊阿弥陀如来立像の文字が印象深い。


無量院
時宗の寺院で梅松山光明寺と称する。
建久四年(1194)の開創で、開基は多気太郎義幹。
当時は天台宗だったが、呑海上人が布教の折、この寺を訪れ、多気太郎を供養するとともに寺を時宗に改めた。
嘉歴年間(1326~29年)現在地に移転。


現本堂は平成16年(2004)に完成した。


ご本尊の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代の作。
金色に輝いている。


無量院の裏に多層塔がある。
多層塔記念誌には、
この塔の正面下段には、延文六年(1361)四月二十二日と刻まれている。
中久木家の家伝によれば、中久木家は小田筑前守を祖とし、興国二年(1341)七代治久は、
足利尊氏の家臣高師冬と戦い、二十年後小田一族の供養のため下大島の地にこの塔を建立。
下って十六代氏治の時世に中久木の姓を名乗ったが、天正初期小田落城に際し、中久木一族は、
小田氏と多賀氏に分れて抗争したと伝えられている。(以下略)


無量院からの景色を眺めながら小田・北条の歴史を偲んだ。


無量院を後にして、この日最後の訪問地、多気太郎義幹の墓へ。


用水路(裏堀?)に沿って進み、


多気太郎義幹の墓へ向かう。


鎌倉時代前期のこの地の豪族多気太郎義幹の墓の案内に見入る。
多気太郎義幹は、桓武平氏の流れを汲み、桓武天皇の子葛原親王より数えて十一代に当たる。
三代高望王より平氏を称し、四代良望は常陸大掾に任ぜられ、平国香と名乗る。
六代維幹は水守より多気城(現北条城山)に移り初代城主となるが、直系子孫は常陸平氏の本家とされる。
維幹より六代目の城主が多気太郎義幹である。
名君の誉れ高く、領民のため無量院裏池及び現在町内を流れる通称裏堀を開削し、
水利に多大な貢献を果している。(以下略)


多気太郎義幹の墓は、鎌倉時代初期に作られたと云われている。
大きい五輪塔が多気太郎義幹の墓で、周りの小さい塔は家臣たちのもの。


多気太郎義幹の墓でこの日の歴史探訪は全て終了。
後はりんりんロード経由で筑波総合体育館へ向かうだけだ。


『今日はけっこう見所があったねぇ』


山頂にかかっていた雲もなくなり、筑波山がはっきりと見える。


りんりんロードを逸れ、筑波東中学校方面へ。


筑波東中学校横を通り、


宝篋山を正面に見ながらの筑波総合体育館を目指す。
『のどかな景色だけど素敵だね~っ』


『今日は全然寒くなかったし、ほんと気持ちが良かった~っ』


田んぼに囲まれた道を筑波総合体育館を目指す。
『ゴールは近いねっ』


筑波総合体育館が見えて来た。


12時34分、ゴールの筑波総合体育館に到着


『今日は大変お疲れさまでしたぁ』
通常であればここで解散となるところだが、『記念撮影がまだ終ってないねっ』との声が・・・
この日のタイトルに相応しい場所としては、やはり平沢官衙遺跡をおいて他にない。
ということで、再び平沢官衙遺跡へ向かった。


平沢官衙遺跡をバックに記念撮影
記念撮影も終わり、ここで解散となった
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


今回は、「つくば北条の歴史探訪」ということで、平沢官衙遺跡を皮切りに北条市街地の歴史を観て回った。
「茨城 歴史探訪ウォーキング」を参考にして訪問したが、それ以外にも見所はたくさんあった。
機会があれば次は別の場所を訪問してみたい。

この日の万歩計は、10,000歩を少し超えていた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「東海七福神巡り」で今年も... | トップ | 『可愛いっ』の連発 柏原池... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「健康ウォーキングの会」」カテゴリの最新記事