ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

初の水戸芸術館展望タワー 千波湖・偕楽園散策

2016年07月01日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年7月1日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28度第13回(2016年第24回)、「千波湖・偕楽園散策(水戸)」ウォーキングに参加した。


荒川沖駅8時ちょうど発の勝田行を待つ。


最初はバラバラだったが、土浦駅を過ぎると、車内が空いてきてまとまって座れるようになった。


9時2分、この日の出発地水戸駅に到着


この日のコース説明と今後予定されている例会(7月15日「牛久シャトーでランチ」、
9月16日「奥の細道バスハイク」)の参加再確認などをして、9時18分、出発!
参加者は、33名だ。


駅北口の黄門様と助さん格さん像に見送られ、


水戸駅を後にする。
『行ってくっからねっ』


最初の訪問地、義公生誕の地(水戸黄門神社)がある三の丸二丁目へ。


9時25分、黄門様で親しまれている水戸藩2代藩主徳川光圀公生誕の地に到着。
生誕の地は、今は水戸黄門神社となっている。


水戸黄門神社に参拝
水戸の生んだ不朽の傑人「水戸黄門光圀」(義公)は、初代水戸藩主頼房(徳川家康の第11子)の第3子で、
寛永五年(1628)6月10日、家老三木仁兵衛之次の邸に生まれた。


三の丸二丁目交差点近くに水戸黄門様の像があった。
水戸黄門神社への入口だった。
このような像があったとは知らなかった。


いったん駅前まで戻り、次の目的地弘道館へ向かう。


国道50号の銀杏坂交差点を右折して、坂道を上ると、正面に三の丸小学校があった。
三の丸小学校の門は、冠木門である。
『小学校の門としては珍しいねぇ』


三の丸小学校の塀に沿って弘道館へ。


三の丸小学校の先が弘道館になっている。


9時41分、弘道館正門に到着
弘道館は、水戸徳川家9代藩主徳川斉昭が、天保十二年(1841)水戸藩の学校として創建し、
当時としては珍しい医学や天文学なども教えた。
15代将軍・慶喜もここで5歳から英才教育を受け、大政奉還時に彼が謹慎した至善堂も残されている。
弘道館正門は、本瓦葺きの四脚門で、藩主が来館する際など正式の場合のみ開門した。
学生や諸役人は通用門から出入りした。
時間の都合上、この日は中の見学はパスすることに。


弘道館公園内の梅園を通って鹿島神社へ向かう。


孔子廟前を過ぎると、


弘道館鹿島神社の鳥居がある。


御手洗で手を洗い清め鹿島神社に参拝。


鹿島神社の境内には、八角型の堂宇“八卦堂”が建っている。
弘道館を創建した徳川斉昭公の弘道館の教育基本方針を刻んだ、高さ約3.1m 幅1.9mの石碑
「弘道館記碑」が納められている。


要石歌碑
斉昭の自詠自筆で「行末も ふみなたがへそ 蜻島(あきつしま) 大和の道ぞ要なりける」とあり、
その大意は「日本古来の人倫の大道は、永久に変らないものであり、
日本人はこの道を踏み違いするということがあってはならない」との意。
歌意と鹿島神宮の「要石」になぞらえて「要石歌碑」という名がつけられた。
この歌詞の書は、弘道館の至善堂御座の間の床の間に飾られている。


三の丸庁舎を左手に見ながら水戸市立博物館へ。


『変わった建物だねぇ 教会のようには見えないし』
後で調べたら、水戸市水道低区配水塔と分かった。
下市地区へ良質な水道水を市民に供給するため、昭和7年(1932)に造られたそうだが、
平成11年度をもってその役割を終えた、とある。
昭和60年(1985)には近代水道百選にも選ばれている、とのこと。


水戸東武館は、創設以来の「文武不岐」の精神のもとに、日本の伝統文化である
剣道・なぎなた道・居合道の修練を重ね、これを正しく後世に伝承するための
修練に努める道場である。
特に、少年剣道の基礎、基本の習得に重点を置き、生涯を通して実践できる能力を養う、とのこと。


気象台前の交差点を左折する。


水戸市立博物館の正面の階段は、閉じられていた。


次に目指す水戸芸術館のタワーが見えてきた。
水戸地方で地震があったりすると、必ずと言っていいほどこのタワーの映像が流される。


10時16分、水戸芸術館に到着


水戸芸術館は、水戸市制100周年(1989年4月1日)を記念して建てられ、
音楽・演劇・美術の文化発信地となっている。


高さ100mのタワーは展望台(200円)にもなっている。
TVではよく見るが、タワーに上れるとは知らなかった。
せっかくなので、上ってみることにした。


エレベータ前のタワーの模型と写真


エレベータ前にある券売機は1台しかなく、まとめて買うことができないため、
大きなタイムロスとなった。
また、展望台へはエレベータを使うことになるが、定員は10名で、あまり速度が速くないため、
全員が上るまでに、かなりの時間を要した。


展望室の高さは86.4m、定員19名となっているため、全員揃って見れる広さはない。


先に上った人は、後からの人のために、直ぐに下りることが求められる。
団体の場合、ゆっくりと見ている余裕はない。
高さや大きさが異なる丸い窓がランダムにある。


地上86mの展望室からの眺望(1)
千波湖方面を望む。


地上86mの展望室からの眺望(2)
目の前の高層ビルは、マンション(レーベンハイム五軒町レジデンス)だ。


展望台で思わぬ時間を要してしまった。
10時53分、水戸芸術館を後にする。先を急ごう。


『展望台に上ったってことが話のタネになるのよねっ』


水戸市内泉町付近、


大工町交差点を渡り、次の目的地信願寺を目指す。


『紫陽花がきれいだねっ』


水戸市内大工町を抜けると、


11時13分、信願寺に到着した。
変わった形をした門柱が印象的である。


信願寺は、浄土真宗本願寺派で、
本尊は、鎌倉期の作の銅造阿弥陀如来立像。県の文化財に指定されている。。
創建は貞永元年(1232)、親鸞聖人の弟子の1人唯信房(ゆいしんぼう)が開山
したのが始まりと伝えられている。
信願寺は、親鸞二十四輩第23番寺として信仰を集めている、とのこと。
東日本大震災の影響で、本堂の屋根瓦は全て取り外されたままになっていた。


本堂の前に恵信尼公と子息・信蓮房を連れた親鸞の等身銅像があった。


境内の藤棚の下で一休み。


好文亭表門通りを通り、


好文亭の表門へ。


11時28分、好文亭表門に到着
好文亭表門は、天保十三年(1842)の偕楽園創設時に設けられた門で、園の正門に相当する。
昭和二十年(1945)の戦災を免れ、建設当初の姿を今に伝える貴重な門である。


小さな一の木戸門を抜けると、


見事な竹林があった。
『いやぁ これは実に素晴らしいっ』


竹林と杉木立の中は、ひんやりとして涼しい。


玉砂利を踏みしめながら杉林の中を進み、


吐玉泉(とぎょくせん)へ。


杉の大木が見えてきた。


太郎杉だ。
推定樹齢は、800年とのこと。
かつて、太郎杉の周囲には杉の巨木があり、大きい順に名前が付けられていた。
五郎杉まであったようだが、現在あるのは太郎杉だけ、だそうである。


11時34分、直系2mの大理石から清水が湧き出る吐玉泉に到着
『あら~っ 冷たくて気持ちが良いねっ』


好文亭の前を通って偕楽園東門へ向かうことにした。


両側を熊笹に囲まれている七曲り坂を上る。


熊笹の坂道を上って行くと、


右手に好文亭の2階がちらりと見えた。


熊笹の道を過ぎ、杉林の道を進み、


好文亭中門を潜ると・・・


好文亭入口があった。
好文亭の名前の由来は、晋の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、
梅の異名を「好文木」といったことから命名されたと云われている。
二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、全体を総称して好文亭と呼んでいる、とのこと。


好文亭は、皆さん一度は訪れているので、時間の都合もあり、
兼六園、後楽園と並ぶ日本3名園のひとつと名高い偕楽園の中を通り、東門へ向かうことにした。
偕楽園は、徳川斉昭が自ら構想し、天保十二年(1841)から造園。
100種3,000本の梅の名所となっている。


偕楽園の東門を抜け、


土産物店の先を左に曲がると、常盤神社があった。
左回りで1回、右回りで1回、最後に左回りでもう1回の計3回茅の輪を潜り、


11時56分、常盤神社に参拝を済ませる。
常盤神社は、水戸藩2代藩主徳川光圀、9代藩主徳川斉昭を祀っている。


記念撮影?
『くたびれちゃったから座ってるだけなのっ』
そう言えば時刻は既に12時近いし、お腹もかなり空いてきた。


常盤神社境内に、東湖神社があった。
藤田東湖は、徳川斉昭の藩政改革を推進した中心人物で、斉昭が実権を握った後は海防を担当した。


常盤神社を後にする。
最後に東照宮に立ち寄って水戸駅に向かうことにした。


東照宮を目指す。


偕楽園駅(臨時駅)を過ぎて、県道342号を潜り、


線路脇の近道らしき道を進む。
『ここを真っ直ぐ進めば早いんじゃないの?』


道は続いているように見えたが・・・


マンションの駐車場で行き止りだった。
マンションの中を通り抜けようとしたが、ドアがロックされており、
中を通り抜けることは出来なかった。残念!


ここは仕方なく県道342号のところまで引き返すことに。
『急がば回れってことだよなっ』


高台の住宅街を通り、


東照宮を目指した。


備前町の紀州堀緑地の先の信号に出た。
この道を進めば東照宮に行けそうだ。


右手に常磐線を見ながら進むと、


千波大橋が見えてきた。


東照宮は間もなくだ。


県道50号から小さな路地を入って行くと東照宮山車庫が現れた。
山車庫の後ろの小高い所が目指す東照宮のようだ。


12時42分、東照宮に到着した。


お腹が空いて力が入らなかったところだが、
最後の力を振り絞って62段の石段を上ると、


東照宮の社殿があった。
元和七年(1621)水戸藩初代藩主頼房が徳川家康を祀る神社として、
日光東照宮の様式を取り入れ、創建した。
旧国宝だった社殿は、昭和20年の戦災で焼失し、昭和37年に現在の社殿が再建された。
今日では徳川頼房も祀られている、そうである。


家康の愛刀、備前一文字派則包(のりかね)の太刀(国の重要文化財)が奉納されている、とのこと。


東照宮を後にして水戸駅へ。


間もなくゴールの水戸駅だ。


水戸駅前交差点を渡ると、


水戸駅だ。


12時58分、水戸駅北口に到着


この日は、ここで解散ということに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『また来週お会いしましょうっ!』


我々は、駅ビルExel 6Fのレストラン街へ。
とんかつ「和幸」で食事をしていくことに。


先ずは生ビールで『かんぱ~いっ』


こちらも『かんぱ~いっ』
『お疲れさまでしたぁ』


真夏を思わせる中、三の丸の水戸黄門神社を皮切りに、弘道館・鹿島神社・水戸芸術館・信願寺・
偕楽園・東照宮と市内を散策した。
芸術館のタワー展望台に初めて上ったのが、印象深い。
駅前の東照宮も初めてである。
これまで例会で何度か水戸を訪れているが、まだまだ知らない場所が多そうだ。
これからも、まだ訪れていない場所を求めて、水戸駅周辺のウォーキングを企画してみたい。

この日の万歩計は、16,000歩を少し超えていた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旧甲州街道を歩く 第三回 ... | トップ | 「たつのこ山」からの眺めが... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「健康ウォーキングの会」」カテゴリの最新記事