ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

富士山がばっちり 十国峠から岩戸山ハイキング

2016年11月18日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年11月18日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28年度第25回(2016年第36回)、「十国峠から岩戸山」ハイキングに参加した。
今回の「十国峠から岩戸山」ハイキングは、当会としては初めての企画である。


早朝の6時20分、土浦三中公民館前でバスの到着を待っているところ。


6時22分にバスが到着し乗り込むが、2名が不参加と判明。
1名は突然の発熱でダウン、もう1名は、目覚ましの設定を誤ったために
集合時刻に間に合わなかったとのこと。


結局この日の参加者は、26名となった。


いつもの朝食弁当を食べ終わる頃、


6時52分、守谷SAに到着
最初の休憩を摂り、守谷SAを7時5分に出発したが・・・


首都高手前で渋滞に巻き込まれた。
この渋滞は、何時ものことらしいが・・・
この日は、外環道・東北道・圏央道へと迂回するわけにもいかないので
首都高を抜けるまで我慢するしかない。


首都高6号堤通り付近ではいったんスムースになったものの・・・


神田橋辺りでは再び渋滞である。


9時前にようやく渋滞の首都高を抜けることが出来た。
海老名SAで2度目の休憩を摂り、バスは東名・小田原厚木道路を走り、


箱根峠を越え、10時25分、十国峠レストハウス前に到着した。
三中公民館を出発して4時間を要したことになる。


10時35分発のケーブルカーに乗り込み、


山頂に向かう。
通常片道360円のところ、9名以上の団体割引きで330円だ。


下りのケーブルカーとすれ違う。


約3分で山頂駅に到着し、早速記念撮影である。
十国峠の名前は、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・相模・武蔵・上総・下総・安房の
十の国がここから見渡せたことに由来する。
しかし、十国どころか富士山も雲に隠れて全く見えない。残念!


記念撮影を終わり、三脚をしまい込んだ直後、突然富士山が姿を現し始めた。
『あらぁ~ 富士山が頭を出した~っ』 『うれしいっ 最高っ』
周りから歓声が上がる。


記念撮影を”もう一回”とも思ったが、諦めた。
この距離で富士山がはっきりと映るかは分からないからだ。
記念写真は、これで我慢してもらおう。
せめてもの写真と思い撮ったのが、この一枚。
こうやって見ると、やはり富士山の雄姿はちょっと小さい。


これから向かう岩戸山の後方に真鶴半島が見える。


めいめい個人で富士山などをバックに記念撮影を済ませ、
10時52分、Oさんを先頭に岩戸山を目指して出発!


お願い地蔵
平成18年「十国峠ケーブルカー開業50周年」を記念し、また、この地を訪れた人の
「旅の安全と交通災害ゼロ」を祈願して、平成19年にこの地蔵を建立した、とのこと。


岩戸山を目指す。


十国峠ケーブルカー山頂駅の建物を後にして、


草原のような景色の中を進む。


富士山と十国峠ケーブルカー山頂駅


源実朝の歌碑
実朝は、箱根権現に参詣するため、この道を何度も歩いた、そうだ。


右大臣実朝の歌碑
「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」


岩戸山を目指す。
しばらく簡易舗装の下りの道が続く。


東光寺への途中、所々に石仏が見られる。


石仏


日金の伝三仙人塚
この奥50mに日金山・東光寺の開祖創を伝える松葉仙人・木生仙人・金地仙人を供養する
宝篋印塔の三基が建つ三仙人塚がある、とのこと。


その分岐点を過ぎて下ると、


11時7分、日金山東光寺に到着した。
東光寺は、3世紀の開山と伝わる古刹で、本尊の延命地蔵は江戸時代前期の作と伝わる。


日金山東光寺の由来
応神天皇二年(271)伊豆山の浜辺に、光る不思議な鏡が現れた。
鏡は波間を飛び交っていたが、やがて、西の峰にとんで行った。
その様子は日輪のようで、峰は火を吹き上げているように見えたので、
日が峰と呼ばれ、やがて日金山と呼ぶようになった。
同四年(273)松葉仙人が、この光る不思議な鏡を崇め、
小さな祠を建てて祀ったのが、開山と伝えられている。


本堂の写真を撮っていると、鐘の音が・・・
Mさんが撞き終わった後だった。
またも先を越されてしまった。


東光寺を後にして、岩戸山を目指す。


笹が茂る細い山道を進む。


道が分岐しており、右に「石仏の道」が続く。
日金山東光寺から麓まで40町(約2.7Km)の間に1町毎に石仏が置かれている。


左湯河原温泉、右熱海伊豆山と刻まれている。
右の石仏の道を進む。


末代上人宝篋印塔
伊豆走湯山の住僧末代上人(富士上人)は富士山に数百回登って修行し、
山頂に大日寺を建立、富士山の山岳信仰を定着させた人だそうだ。
この宝篋印塔は、伊豆山神社の別当坊「般若院」の第九代住職周道が
末代上人一千年遠忌として建立したものだそうだ。


さらに細い道を進むと、


11時19分、「石仏の道」分岐に出た。
草原のようでススキがきれいだ。


分岐点に石仏があった。
三十五町目と刻まれている。


ここを左に分岐して岩戸山へ向かう。


道標に従って進む。


樹木の隙間から見える雪を被った富士山が美しい。


分岐から22分、”岩戸山山頂近道”の標識があった。


上りは岩戸山近道の方から、戻る時は、右の方から戻って来ることにしよう。


近道は急な上りはあったが、それほどきつくはない。


11時47分、近道の表示から5分ほどで岩戸山山頂(734m)に到着した。


眼下には熱海港が見える。
あいにく後方は雑木が生い茂っていて富士山は見えない。


山頂はとても狭く、ベンチと一つのテーブルがあるだけだった。
ここで、26名揃って弁当は狭すぎる。


11時52分、岩戸山山頂での弁当は我慢して、分岐したススキヶ原まで戻ることにした。
戻りは、上って来た道とは反対の方角を選択した。


反対側の道は、近道よりちょっとだけ遠回りだろうと思っていたのが大間違いだった。
最初は、道もはっきりとしていたのだが・・・


そのうち生い茂った草で足元は全く見えない状態になってしまった。
しかも丸太の階段になっているので、踏み外しそうになる。
次第に先頭Gと最後尾Gは次第に離れてしまい、
互いに大声を出して確認しながらの下山となった。


最近人が歩いたというような形跡は感じられなかった。
『階段を踏み外しそうで怖いわねっ』


道標があった。
日金山東光寺・姫が沢公園方面を指していたので間違いではなさそうだ。


細い笹竹に囲まれた道が続く。


『今どの辺を歩いてるんだろうねっ』


ようやく視界が開けたが、どっちの方角に向かっているのか分からない。


12時9分、一休みしている先頭Gに追い着いた。
何となく見覚えのある場所のようだが・・・


『いぇ~いっ やっと着いた~っ』


12時13分、少し遅れて後続G全員が到着した。
左岩戸山近道とあることから、先ほど上ってきた分岐点である。
近道は5分とかからなかったが、こちらの道は、20分もかかったことになる。
『近道を戻れば良かったんだねっ』 後の祭である。


あらためて、分岐点のススキヶ原を目指した。


途中、木々の隙間から富士山を眺めながら、


さきほど歩いた細い道を戻る。


『もう直ぐ分岐点だよねっ』


12時31分、分岐点に到着した。


『ようやく弁当が食べられるのよねっ』


弁当に適した場所を求めて、もう少し先へ。


三十四町目の石仏を過ぎ、


『この辺で良いんじゃないのっ』


初島と熱海の港が見える場所があった。
『ここで弁当にしようっ!』


『天気も良いし、最高だねっ』


ハイキングコースを塞ぐような形で弁当にしたが、
幸いなことに誰一人通る人はいなかった。


この日の弁当は、鶏の照り焼きだ。
なかなか好評だった。


弁当も終わり、後はゴールの来宮駅を目指すだけである。


13時5分、下山開始


ところどころに段差があるので、注意が必要である。


波静かな相模湾を見ながらのハイキングは、爽快である。
『初島が見えるねっ』


石仏とxx町目と刻まれた石が歩く距離の目安になる。
『ところでここは何丁目っ?』


気温はそれほど高くはないが、急な下りの連続に、けっこう汗をかく。


13時16分、三十町目を通過


『ここは二十八町目だねっ』


石仏や石の他に、町目の中ほどに板の道標もある。


13時32分、二十一町目を通過


二十町目を過ぎた辺りから道は雑木林の中へ。


林の中を15分ほど下ると、


13時50分、舗装された道路に出た時は、十三町目になっていた。


道路を左方向へ進むと、


右方向へ分岐していた。


舗装道路の端に石仏の道らしき細い道があった。
どちらを選択するか迷った。


近くにいた地元の人に来宮駅への道を訊ねると、どちらも行けるとのこと。


ここはやはりハイキングコースを進むべきと判断し、石仏の道を進むことにした。
時刻は間もなく14時になろうとしていた。


この道で良かったのだろうかと思っていた矢先、石仏の道の標識が現れた。
標識を見て何故かほっとした。


来宮駅を目指す。


七町目の石仏
『ところで、一町目はどこになるんだろうねっ?』
『来宮駅まで続いてるのかねぇ?』


『次は六町目だねっ』


さらに下ると、笹良ヶ台の団地に出た。
『ここを下って行けば来宮駅には着けるんじゃないのっ』
急坂の道路を進むと、


団地内の道路の端に四町目の標識があった。
『この道で間違いなかったってことだよねっ』


まだまだ下りの道は続く。


石仏の道の終点(起点)を示す看板があった。
『ここが終点ってことなのっ?』
『来宮駅までまだ大分あるみたいだねっ』


ここから先は石仏も石もないことになるが、このまま下って行くしかない。
そのうち来宮駅に着くだろう。


高級そうな旅館がちらほら・・・
『何となく高そうねっ』


14時31分、第一小学校前を通過。


湯気が立ち上っている。源泉のようだ。
『家のすぐ傍に源泉があるなんて羨ましいねぇ』


線路の手前左側に来宮神社の鳥居があった。
せっかくだから来宮神社に参拝して帰ることにしよう。
来宮駅で待機しているバスの運転手さんにその旨を伝え、


御手洗で手を洗い清め、


拝殿に参拝しようとしたまさにその時、携帯電話がなった。
会員の一人が体調が優れず途中で動けなくなった、とのこと。
まだ最後のGが到着していなかったことに気が付かなかったのは迂闊だった。


来宮駅で待機していたバスに連絡して、来宮神社へ迎えに来てもらうことにした。
5分ほどでバスは到着したが、駐車場が狭く、切り返しが出来ずに難儀させてしまった。
少し上の駐車場入口でUターンして、無事全員が乗り込んだ時には拍手が起きた。
『さすがプロだねっ』


バスは、熱海市内を抜けると、熱海ビーチライン・真鶴ブルーラインを快適に走った。
『海岸線を走るのってロマンチックねっ』


西湘バイパスから小田原城を右手に見ながら、小田原厚木道路へ。


16寺19分、海老名SAではゆったりと休憩を摂った。


東名を走る頃には後ろの席はかなり盛り上がっていた。
後ほど同席させてもらうことにしよう。


18時54分、守谷SAに到着


バスの中は、この日の出来事を思い返すかのように満足の笑顔に満ちていた。


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


初の「十国峠から岩戸山」ハイキングだったが、天気に恵まれ、秋の一日を楽しんだ。
記念撮影の直後だったが、山頂に雪を被った富士山の雄姿を見ることができ、
この日最大の目的が達せられたのは幸運だったと言える。

ゴールが突如来宮駅から来宮神社に変わり、運転手さんもびっくりしたと思うが、
快く対応していただき感謝している。
紙面を通じてお礼を申し上げたい。

往復に要する時間が気になるところだが、箱根・熱海・伊豆方面の見どころは多い。
今後も季節に応じて、適切な場所を企画していきたいと思っている。

この日の万歩計は、18,000歩を少し超えていた。

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