ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

出だしからハプニング 新宿山ノ手七福神巡り

2017年01月06日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年1月6日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28年度第30回(2017年第1回)、「新宿山ノ手七福神巡り」ウォーキングに参加した。

荒川沖駅7時59分発の電車を待つ。
当初は荒川沖駅8時19分発としていたが、8時19分発は10両編成のため、
座れる確率の高い電車にしようということで、7時59分発(15両編成)に
繰り上げた次第。


秋葉原駅で総武線に乗り換え、


9時26分、スタート地点の飯田橋駅に到着
西口を出ると目に入ったのは、複合施設「飯田橋グラン・ブルーム」だ。
1~3階には商業ゾーンの「飯田橋サクラテラス」があり、飲食を中心に
物販・サービス店舗など、25店舗が出店している、そうだ。


『さぁ、新年の出発!!』と歩きだそうとしたが、念のためにと
点呼を取ったところ、S子さんの姿が見えない。
上野駅で充分なトイレタイムを取ったばかりだし、トイレの可能性は低い。


携帯電話の番号を知らされていなかったため、S子さんを探しに駅へ。
まさかとは思ったが、念のため駅のホームへ行ってみると、
一人の女性が駅員に何かを訊ねている様子が。S子さんだった。
聞けば、飯田橋駅で降り損なって次の市ヶ谷駅まで行ってしまい、
折り返して来たとのこと。
『ご心配掛けちゃってごめんなさいっ』
『いやぁ 見つかって本当に良かったねっ』
一時はどうなるかと思ったが、一件落着である。


この日の参加者は、この時点で37名。
9時53分、あらためて出発の運びとなった。
早稲田通りを右に曲がって、中央線・総武線を跨ぐ。


外堀通りの神楽坂下交差点を横断し、


早稲田通りの「神楽坂」を真っ直ぐに進む。
「坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡の御旅所で神楽を奏したから、
津久戸明神が移って来た時この坂で神楽を奏したから、
赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。」
Mさんによると、この神楽坂商店街は、午前中は手前方向に、
午後は逆方向への一方通行になるそうだ。
午前と午後で逆方向の一方通行とは珍しい。


10時1分、最初の七福神、鎮護山善国寺に到着。


善国寺には毘沙門天が祀られている。


毘沙門は多聞と訳し、多くの人々の願いを聞いて叶えさせると云う。
また天の四方を守護する四天王の随一に数えられている。
(ピンボケで失礼)


善国寺の狛犬は、”狛虎”だそう。
古くからインドで信仰されてきた財宝の神「毘沙門天」は、
寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に誕生し、「寅毘沙」と呼ばれることから、
”狛虎”が本堂の左右に配されている。
”虎”に見えなくもないか・・・
この時、もう一人別のS子さんから、『追いかけてるから』との連絡が入った。


善国寺を後にして、大黒天を祀っている次の七福神、大乗山経王寺へ。


早稲田通りを進み、神楽坂上交差点を左に曲がると、大久保通りとなる。


都営大江戸線「牛込神楽坂駅」を過ぎ、さらに大久保通りを進む。
時折、強いビル風に帽子を飛ばされそうになりながらも・・・


市谷甲良町辺りを通過。


市谷柳町交差点を渡ると・・・


10時32分、この日二番目の七福神、大黒天を祀る大乗山経王寺に到着した。
何と、経王寺の直前でNさんとばったり。
変更になった電車の時刻を聞き漏らしていたらしく、一足先に到着して
待っていたそうだ。
『良かった良かった』
これで、参加者は38名となった。


先ずは経王寺本堂にお参り。
経王寺は、日蓮宗の寺院である。


大黒天を祀っているお堂へ。
大黒天は、貧しき人・難民の救済をかって出た心やさしい神様。
全身の色が黒く大きな福徳を授けるので、大黒天と呼ばれている。
経王寺の大黒さまは、慶長三年(1598)現在地に安置され、
度重なる火災にも焼けずに残ったので「火伏の大黒天」と呼ばれ、
霊験も多く大願成就のご利益があると、庶民の信仰を集めた、とのこと。
お堂内の秘仏「開運火防大黒天」ご本尊は、撮影禁止となっているが、
2月6日・4月7日・6月6日・8月5日・10が圧4日・12月3日に御開帳とのこと。


お堂の前に大黒天像が置かれていた。
写真で見る秘仏「開運火防大黒天」御本尊とは体系や表情が異なる。
お参りしている最中に、『後を追う』と連絡のあったS子さんが合流した。
この日の参加者は、39名となった。
今年度(H28年度)最高を記録した。


次の七福神、厳島神社の辨財天を目指した。
大久保通りの若松町交差点を左に曲がり、


都営大江戸線若松河田町駅を通過する頃には、


”厳島神社抜弁天”の案内立札を見掛けるようになった。
厳島神社は近そうだ。
”抜弁天”は、苦難を切り抜く弁天様という意味らしい。


11時ちょうど、2本の通りに挟まれた三角地帯にある厳島神社「辨財天」に到着。


辨財天は、神道では古事記に出てくる神で、七福神唯一の女性である。
市杵島媛命と言い水の神様でもある。
田畑の農作物にとって、最も重要な水を供給するので、
五穀豊穣の守り神と云われている。
女性であるため、江戸時代は、富貴の神として庶民の人気を高めた。


厳島神社での御朱印の受付はお正月七日まで。
それ以降は近くの西向天神社でいただく、とのこと。
今日は1月6日だが、西向天神社はどんな神社なのだろうか?
案内図にも紹介されており、厳島神社からも近いので寄って行くことに。


西向天神社へ行く途中に、寿老人を祀っている法善寺があった。
11時17分、春時山法善寺に到着


寿老人にお参り。
寿老人は、福禄寿と似た者同士で、老人星の化身である。
不老不死の霊薬を所持していることから、長寿の神として親しまれている。


法善寺の陽だまりで一休み。
『ちょっとばかり疲れちゃってよぉ』


飴とお茶を補給して、元気回復だ。


細い路地を進み、


西向天神社へ。


11時24分、西向天神社に到着


境内では梅(紅白)が咲いていた。
『都内って梅が咲くの早いのね~っ』
それだけ温かいということなのだろう。


七福神とは直接関係はないが、西向天神社へも一応参拝を済ませた。


西向天神社を後にして、


次の七福神、福禄寿を祀っている大久保山永福寺へ向かう。


都道302号を潜って右へ曲がると、


久左衛門坂がある。
この坂は、徳川家康の江戸入府以前から大久保に居住していた
島田家の草創久左衛門が新しく開いた坂道であったため、
こう呼ばれるようになったという。


11時36分、久左衛門坂を上った所に福禄寿を祀っている
大久保山永福寺があった。
永福寺は、曹洞宗の寺院で、ご本尊は釈迦如来。


本堂隣に鎮座する2体の永福寺如来像が目を引く。


永福寺からは、銭湯「東宝湯」の煙突がよく見える。


福禄寿堂前には長い行列が出来ていた。


ようやく福禄寿堂にたどり着いた。


福禄寿
南極星の化身で、短身・長頭の姿をしている。
年令も数千年を越すほど保持していると云われていることから、
長寿の神として親しまれている。


行列が途絶える気配はない。
次から次へと参拝者が訪れる。


永福寺を後にして、


次の七福神、恵比寿神が合祀されている稲荷鬼王神社へ向かう。


都道302号を東新宿方面へ。


道路沿いのビルが次第に高層になってきた。
副都心に近づいているという実感が湧いてくる。


東新宿交差点
明治通りを横断して少し進んで左に折れた所に、


12時1分、恵比寿神を合祀している稲荷鬼王神社に到着。
古くから、大久保村(現在の新宿区大久保辺り)の氏神であった稲荷神と、
熊野(和歌山県)から勧請されていた鬼王権現を合祀して創建された神社である。
日本で唯一「鬼王」の名を持った神社だ。


稲荷鬼王神社の拝殿


正月らしく、各家庭の自慢の雑煮が写真展示されていた。
どの地方の雑煮なのかの説明があれば、より興味が湧くと思うのだが・・・


恵比寿神社と書かれた鳥居の先に、


恵比寿神は祀られていた。
恵比寿神は、日本古来の神様。
大国主命の子息、事代主命(コトシロヌシノミコト)が恵比寿神であると云われ、
古来より福を表す「鯛」と、福を釣るという「釣り竿」を手に持っており、
海の守護と商売繁昌の神様として、親しまれている。


稲荷鬼王神社を後にして、最後の七福神布袋尊が祀られている太宗寺を目指し、
いったん東新宿交差点へ戻る。


東新宿交差点を右に曲がり、明治通りを進む。


この日の先導役のOさん、今年の10月には傘寿を迎えるが、
益々元気である。
『今年も先導役、よろしくお願いしま~す』


新宿六丁目交差点を渡る。


道が二つに分かれている。
左へ進むと、新宿五町目東交差点だ。


新宿五町目東交差点を左折し、靖国通りを進む。


靖国通りの新宿一町目北交差点を新宿御苑方面へ渡って進むと、


12時32分、布袋尊を祀っている霞関山太宗寺に到着した。
江戸六地蔵が迎えてくれた。
旧甲州街道歩きで、2015年3月22日(日)に訪れて以来だ。
太宗寺は、慶長年間(1956頃)に僧太宗が開いた草庵で、
のち信州高遠藩主内藤家の菩提寺として発展した。
江戸六地蔵
江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに
地蔵菩薩に祈願したところ、無事平癒したことから、京都の六地蔵に倣って
宝永三年(1706)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に
地蔵菩薩をそれぞれ一躯ずつ造立したと伝えられている。
江戸の六地蔵は、ここ太宗寺(甲州街道)の他に、品川寺(東海道)
・東禅寺(奥州街道)・霊巌寺(水戸街道)・永代寺(千葉街道)
・真性寺(中山道)がある。


閻魔堂
江戸時代より、「内藤新宿のお閻魔さん」として庶民の信仰を集め、
かつては藪入り(1月と7月の16日に商家の奉公人が休暇をもらい家に帰ること)に
閻魔大王の縁日が出て賑わった。


閻魔像は、文化十一年(1814)に安置されたとされ、製作もその頃と推察される。
しかし、数度の火災による度重なる補修を受けたため、当初の部分は頭部を
残すだけとなった、とのこと。
閻魔像の左には、閻魔大王に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服を剥ぎ取り、
罪の軽重を計ったとされている、奪衣婆(だつえば)像があるが、
金網越しに奪衣婆の顔半分を見るのが精いっぱいで、撮るのはちょっと難しい。


布袋尊像にこの日の七福神最後のお参りを済ませる。


お堂の中に布袋尊像が見える。
布袋尊は、中国出身の禅僧で実在した人物。
つねに布の袋を背負い、この中に福財が入っていたと云われている。
笑顔を浮かべた円満な容姿をしており、庶民に親しまれている。


お参りの様子


これまで参拝してきた寺社境内は、纏って撮影するにはちょっと狭過ぎたが、
ここ太宗寺の境内は他の参拝者の邪魔にならない程度に広かった。
後ろの景色はさておき、記念の一枚を撮ることができ一安心。


新宿山ノ手七福神全てのお参りが終わり、新宿駅南口へ。


新宿四丁目交差点を横断し、


左手にバスタ新宿を見ると、新宿駅南口は目の前だ。


13時4分、新宿駅南口ルミネ前に到着
この日は、ここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『今年も楽しく元気に歩きましょうっ』
『それでは、お気を付けてぇ』


気の合った男性陣5名は、ルミネ7Fのレストラン街へ。
いろんな店があって迷ったが、和食メニューのある「寅福」へ。
『お疲れさまぁ』 『かんぱ~いっ』 『今年もよろしく~っ』


食事が終わって直ぐに帰るのは、少しもったいないし、時間も早いので、
明治神宮へ参拝して帰ることにした。
原宿駅に降り立ったのは5名。


神宮橋を渡ると、


明治神宮の大鳥居がある。


細かい砂利が敷かれた南参道を進む。
外国人(欧米人)の姿も多い。


酒樽がずらり。


ワインの樽も並んでいる。
『これみんな奉納されたんだろうねっ』


明神鳥居
檜造の明神鳥居としては、日本一の大きさだそうだ。
高さ12m、柱間9.1m、柱の径1.2m、笠木の長さ17mとのこと。
『いやぁ これはでっかいねぇ』


提灯が並んでいる。
『暗くなって灯りが灯ったら壮観だろうねっ』


三の鳥居の先に


南神門があったが、掃き清めている最中のようで、南神門は通れない、
脇の門から中へ入ることに。


広場の両脇には大勢の人が静かに並んでいた。
並ばされていたと言った方が良いだろう、


何かを待っているようだ。
大相撲協会の参拝の後に、3横綱の奉納土俵入りがあるとの
アナウンスが聞こえてきた。
3時20分頃からとのことである。


いま14時30分を少し回ったところ、奉納土俵入りまでまだ50分近くある。


奉納土俵入りを見るか見ないかどちらにせよ、参拝だけは済ませよう。
拝殿の前には大勢の人が整然と並んでいた。


賽銭箱は、小銭ばっかりで、お札は一枚もなかった。
やはり景気はあまり良くないのかも・・・


参拝が終わって、拝殿を見たところ。
時計は14時41分を差していた。


奉納の土俵入りまでたっぷり40分はある。
せっかくのチャンスだが、40分も待つのは大変だ。
残念だが、帰ることにしよう。
『家に帰ってTVでも見れるしねっ』
ということで、東神門を潜り、


原宿駅を目指すことに。


お帰りの鳥居を潜り、


今更おみくじなどには興味がない歳である。


原宿駅を目指す。


明治神宮文化館を通り抜け、


原宿駅へ向かう。


14時58分、原宿駅に到着
この後、山手線・常磐線を乗り継いで家路に就いた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

平成29年の第1回目は、いきなりのハプニングで始まった。
いざ出発という段階になって、S子さんの姿が見えなくなった時は、
正直言って、頭が真っ白になった。
それだけに、飯田橋駅のホームでS子さんを見つけた時は、
心底『良かったぁ』と思った。

七福神巡りの後、明治神宮への参拝は全く予想していなかった。
何時参拝したのかはっきりと覚えていないが、約30年ぶり?の
明治神宮参拝で、今年のウォーキングを頑張ろうとあらためて
心に誓った次第である。
ただ、3横綱の奉納土俵入を見らずに帰ったのは、
今思えばちょっぴりもったいなかったと感じている。

この日の万歩計は、19,000歩を少し超えていた。
このうち約4,000歩は明治神宮参拝のものである。

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