ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

予習無しを悔やむ 名護屋城陣跡巡り

2017年06月19日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2017年6月19日(月)

名護屋城の見学も終わり、昼食の後、名護屋城周辺に点在する
陣跡を見て回ることにした。
名護屋には、豊臣秀吉が天下に号令をかけ、160もの大名が集ったといわれ、
それぞれが丘陵を利用した陣屋を建てていたと考えられている。
現在は130余の陣跡が確認されており、地元自治体とも協力しながら
保存・整備を行っている、とのこと。

名護屋城陣跡については、特に事前の予習もしていなかった。
現地へ行けば何らかの情報が得られるだろうという
甘い気持ちがあったのは事実である。


名護屋城跡を後にして、かみさん達が待つ近くの道の駅「桃山天下市」へ。


レストラン「桃山亭 海舟」で昼食を摂った。


注文したのは、にぎり寿司定食。
食事の後、近くの陣跡を回ることにしよう。


昼食後、先ず向かったのが、前田家の陣跡である。
道の駅「桃山天下市」の駐車場の隅に入口があった。


薄暗い森の中を5分ほど進むと、広場があった。
前田利家の陣跡である。


前田利家の陣跡は名護屋城の南方約300mに位置し、
広さ10万㎡に及ぶ最大級の広さを誇る。


前田陣の規模の大きさや立派さは陣屋の中でも群を抜いている。
前田利家は徳川家康とともに、文禄二年(1593)5月に
名護屋を訪れた明の使節の接待役を務めており、
豊臣政権の外交施設としての格式の高さも現れていると考えられている、
とある。


利家の居館があった「館部」とされる曲輪への大手虎口


大手虎口は高さ5.5mの石垣からなる内桝形となっている。
その規模や石垣・石段の立派さは、名護屋城と比べても
見劣りしない格式を持っている。


木下延俊の陣跡は、名護屋城博物館の裏にあるため、
100名城のスタンプを押した博物館管理室で


木下延俊陣跡の見取り図をもらい、陣跡へ向かった。
木下延俊陣屋は、名護屋城の大手口前面に構えられており、
最も城に近い、とのこと。
名護屋城博物館南に隣接する丘陵が、木下延俊の陣跡になっている。
木下延俊は、豊臣秀吉の正室おね(北政所・高台院)の甥にあたる。


博物館右手から裏へ回り、階段を上って行くと、


陣跡の木製の園路があった。
見えている遺構は全て本物であり、貴重な遺構を保護するために、
園路上から見学し、地面には降りないようにとの注意書きが。
陣跡(石塁)


陣跡(石敷)


陣跡(玉砂利)


陣跡(石塁)


陣跡の木製の園路


陣跡(飛石)


陣跡(矢の跡と飛石)


陣跡の先は、交流の森公園に続いていた。


交流の森公園の先に小さなお堂があり、


お堂の前に金助・吾助の墓があった。
江戸時代の中ごろ、唐津領は天候不順による凶作が続いた。
名護屋村でも田畑の作物は枯れはて、村人は木の実や葛の根、
ヒジキ(海藻)などを食べて飢えをしのいでいた。
しかし、このような不作の年にも藩は容赦なく年貢の取り立てを通告。
村では庄屋を中心に毎晩のように寄り合いを開き、このままでは飢え死に
するばかり、村の窮状を藩主に訴えて年貢を減らしてもらおうという
事になったが、後の咎めを恐れて誰一人これを引き受ける者がいない。
そのような時、金助・吾助の2人の若者が、自分達には身寄りもなく
後の心配もないので、この役目は私達に任せてくださいと申し出た。
金助と吾助は、藩主が領内の巡視で佐志村に赴く事を知り、直訴を決行。
幸い願書は、藩主の目に留まり、年貢米100石が減免された。
しかし、当時直訴は天下のご法度。
これを破った2人は捕えられ、西の浜で処刑された。
「墓は、方広山の西に葬ってほしい」という2人の遺言どおりに建てられ、
そこには、竜泉寺大和尚が持ち帰った遺髪が葬られていると伝えられている。


金助・吾助の墓の前は、旧唐津街道(太閤道)になっており、


その先(左側)は、名護屋城跡の大手口に続いていた。


大して当てもなく車を走らせると、木下延俊と古田織部陣跡の
説明板を見つけた。
古田織部は、文禄の役(1592~1593)では名護屋に駐屯し、
慶長の役(1597~1598)では渡海していた武将である。


木下延俊の陣跡は既に見た後なので、田んぼの中の一本道を
古田織部の陣跡へ。


古田織部の陣跡は、名護屋城から南へ約500mの位置にある。
古田織部は、千利休の高弟で、高山右近・細川忠興・蒲生氏郷などと
「利休七哲」に数えられており、茶人として名高い。


古田織部の陣跡の曲輪


古田織部の陣跡から名護屋城方面を望む。
古田織部は、江戸幕府の二代将軍徳川秀忠の茶道指南も務めた。
特異な意匠で知られる織部焼(茶器)や織部灯籠の創始者でもある。


古田織部の陣跡を後にして、車を走らせると、
加藤清正・福島正則・小早川隆景陣跡の説明板があった。


左から加藤清正・福島正則・小早川隆景の陣跡を望む。


加藤清正陣跡
幼少より秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは福島正則らとともに、
七本槍の一人として活躍。
文禄の役では、朝鮮国の都漢城(現ソウル)に達したが、
慶長の役では、蔚山城を取り囲まれて落城寸前にまで攻められた。
矢印の方へ車を走らせたが、福島正則陣跡の標識が立つ場所に出た。
途中、加藤清正陣跡と特定されるような場所は、見当たらなかった。


福島正則陣跡
福島正則の母は、豊臣秀吉の伯母と云われており、幼少より秀吉に仕え、
賤ヶ岳の戦いでは七本槍の一人として活躍。
文禄の役では渡海している。
名護屋に構えた陣屋は4haほどで広大である。
矢印の方へ車を走らせたが、途中、福島正則陣跡と特定されるような場所は、
見当たらなかった。
加藤清正陣跡、福島正則陣跡は標識で示された付近一帯が、陣跡なのだろう。


加藤清正陣跡、福島正則陣跡からさほど離れていない場所に
細川忠興陣跡の標識が立っていた。
標識に従って右側の径を進んでみると・・・


陣跡と思しき一帯は、みかん畑になっていた。


津軽為信・片桐且元・木村重孝の陣跡の説明板を見つけた。


津軽為信・片桐且元・木村重孝の陣跡を望む。


道路脇に伊達政宗の陣跡を示す標識がポツンと立っていた。


標識の脇の急斜面を上ってみると、陣跡らしき石垣跡などがあったが、
雑木や藪に覆われてこれ以上進むことは出来ない。
止むを得ず引き返した。

時間の都合上、これ以上陣跡を探し回る余裕もないため、
かみさん達が熱望していた焼き物の里伊万里へ向かうことにした。

陣跡の地図なども持ち合わせないまま名護屋城周辺を車で走ったが、
数ある陣跡のうち、名護屋城周辺のいくつかの陣跡しか回れなかったのは、
当然と言うべきだろう。
大した予習もせず、地理不案内の者にとって、名護屋城陣跡を回るには
充分な予習、それにガイドが必要だと痛切に感じた次第である。

日本100名城巡り No.87 名護屋城” へ戻る。

ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士登山トレーニング 薬王院コース(4回目)

2016年08月19日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2016年8月19日(金)

富士登山自主トレーニングとして、筑波山薬王院コースに三度挑戦した。
8月7日、約1ヶ月ぶりで薬王院コースに挑戦した際に、太腿の筋肉痛で思うように歩けず、
皆さんには大きな迷惑をかけている。
この状態で約半月後に迫った富士登山本番を迎えるのは、ちょっと厳しいと思った次第である。

この日のコースは、前回(8月11日)と同じく、薬王院の駐車場をスタートし、薬王院コースを上り、
女体山(877m)に参拝して、薬王院コースを下るというものである。
この日は、「健康ウォーキング同好会」のNさんも一緒だ。

9時30分、薬王院駐車場に到着。
待ち合わせをしていたNさんが、間違えて別の駐車場へ行ってしまったようだ。
携帯で連絡を採ろうとしたが、通信状態が悪くて思うように繋がらない。
念のため筑紫湖駐車場へ戻ったりしてみるが、なかなか会うことが出来ずに少々あせった。
筑紫湖駐車場付近で、何とか携帯が繋がり、無事合流することに成功。


9時55分、準備を整えて出発!


9時57分、薬王院仁王門(楼門)前に到着


仁王門は、県の文化財に指定されている。
Nさんは、薬王院は初めてとのことで、仁王門の偉容に圧倒されたようだ。


仁王門を潜って


急な石段を上ると、目の前に本堂が構える。
椎尾山薬王院は、延暦元年(782)最仙上人の開基による天台宗の寺院である。


県内三塔の一つに数えられている三重塔も県の文化財に指定されている。


本殿(瑠璃殿)にこの日の無事を祈願して、登山口へ向かう。


10時4分、薬王院ルートの登山口に到着


筑波山頂まで2,960mだ、頑張ろう!
先頭は、自分が務める。


杉の林とシダの群生地を過ぎ、


標高250m、筑波山頂まで2,560mの地点を通過。


緩やかな山道が続く。


かなり急な丸太の階段を上ると、


10時37分、筑波高原キャンプ場へ続く舗装道路に出た。
登山口から33分が経過していた。
ここまで休憩なしで、まずまずのペースである。


水分補給のため、しばし休憩。


10時44分、今度はNさんを先頭に筑波山山頂を目指して、出発!
山頂まで1,622mと表示されている。


舗装道路を過ぎた辺りは、普通の山道だが・・・


次第に上りの勾配がきつくなり、丸太の階段が始まった。


しばらく丸太の階段を上ると、丸太の間隔が短くなり、一段と急坂になって来た。


薬王院コースの最大の難所「心臓破りの階段」だ。


太腿が次第に痛くなってきたが、ここが頑張りどころだ。


直登だった階段が終わり、ジグザグの階段に変わる。


この後ジグザグの階段が続くが、もうひと踏ん張りだ。
たまに下ってくる人とすれ違う。


11時14分、丸太の階段がいったん途切れる辺り(標高630m、山頂まで1,092m)を通過。


丸太の階段は、この後もさらに続く。
この辺りはかなり呼吸が苦しくなる場所だ。


標高670m、山頂まで942mの地点を通過し、11時21分、ようやく平坦な場所に出た。
『いやぁ このコースは厳しいねぇ』
Nさんもかなり堪えたようである。


一息入れた後、杉林を抜け、


緩い丸太の坂道を進む。


11時35分、自然研究路の分岐点を通過。
御幸ヶ原まで残り0.5Kmである。


自然研究路の分岐点を過ぎると、緑に包まれた緩やかな石段の道になる。


木々の間から加波山・燕山・丸山の筑波連山がはっきりと見える。
昨日の雨で視界が良くなっている。


最後のやや急な石段を上り、


熊笹に覆われた道を進むと、


11時47分、御幸ヶ原に到着した。
薬王院登山口から1時間43分かかったことになる。
この日は、平日のためか、人出は少なかった。


ケーブルカー山頂駅の茶屋とコマ展望台も人はまばらである。


『今日はかなりはっきりと見えるねぇ』


御幸ヶ原からの眺望(真壁方面)


御幸ヶ原からの眺望(筑波連山)


昼食には、まだ少し時間があるので、女体山神社へ参拝することにした。


女体山側から見た男体山
人影は少ない。


女体山へ


セキレイ茶屋を通過


セキレイ茶屋の前にセキレイ石がある。
”この石の上に鶺鴒が留まり、男女の道を教えたと云われている”とある。
日本書紀には、日本神話の国産みの伝承の一つとして、イザナギとイザナミが性交の仕方が分からなかったところに
セキレイが現れ、セキレイが尾を上下に振る動作を見て性交の仕方を知ったという内容の異伝に関する記述がある。
(Wikipediaより)


ガマ石を通過、


続いてアンテナ鉄塔を通過し、


12時9分、女体山神社(877m)に到着
脚の筋肉痛は少しあったが、前々回ほどではなく、何とか登頂することができた。
無事登頂出来たことに感謝の気持ちを込めて、参拝!


女体山山頂(877m)はそれほど混んではいなかった。


女体山頂から見たつつじヶ丘駅周辺の景色


筑波山麓の景色


男体山(871m)を望む。


絶景に見入るNさん。


女体山から下山し、再び御幸ヶ原へ。


御幸ヶ原を見下ろす石段脇に腰を下し、昼食を摂ろうとしたその時、小学生の団体がやって来た。
引率の人も入れてその数50名は下らない。


目の前で、弁当タイムが始まった。


石段の手前右側は、自分たちより先に弁当を食べていた人たちだが、
向い側は、たった今到着したばかりの一団だ。
どうやらボーイスカウトの子供たちと引率の先生のようである。


石段は子供たちに占領されてしまった。こんな状態である。
この石段は、大きな木が直射日光を遮ってくれるので、人気の場所なのである。


子供たちに囲まれながらも何とか食事も終わったので、後は下山するだけである。


13時3分、下山開始!
下りはNさんが先頭を務める。


熊笹に覆われた道を薬王院を目指す。


コンクリートの階段を下り、


13時12分、自然研究路分岐点を通過
薬王院まで2.5Kmと表示されている。


緩やかな丸太の階段を下り、


杉林の道を過ぎると、


丸太の急な階段が始まった。


下りの階段は、段差があって歩き難いが、


Nさんは、一気に丸太の階段を下る。
遅れまいと後を追うのが精いっぱいである。


舗装道路が見えてきた。


13時37分、舗装道路に出た。


御幸ヶ原からここまで34分かかった。
前々回より3分ほど早い。


13時44分、一息入れた後、薬王院を目指す。
Nさんの後を追うのはしんどいので、今度は自分が先頭を務めることにした。


15分ほど山道を下り、14時ちょうど、薬王院まで500mの地点を通過


シダが生い茂る杉林を抜け、


14時6分、登山口に到着した。
御幸ヶ原からここまで1時間3分かかったことになる。
まずまずのペースだと思う。


14時8分、薬王院薬師本堂に到着


振り返ると、男体山の山頂が見えた。
『またおいで』と言ってるようだった。


無事登山が出来たことに感謝の念を込めて、梵鐘を一撞きし、


仁王門の前を通って、薬王院を後にした。
Nさんとは、再度の挑戦を約束し、帰路に就いた。


富士山自主トレーニングが終わった。
心配していた太腿の筋肉痛は若干あったが、何とか無事に下山することが出来て一安心している。
この調子ならば、あと1-2回トレーニングすれば、皆さんにそれほど迷惑をかけなくて済むのではないか・・・
念願の富士登山に向けて、可能な限りトレーニングを積み、富士山登頂を果したい。

この日の万歩計は、15,000歩を超えていた。


ウマさんの気ままなウォーキングの目次”へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士登山トレーニング 薬王院コース(3回目)

2016年08月11日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2016年8月11日(木)

この日は、富士登山自主トレーニングとして、筑波山薬王院コースに挑戦した。
4日前の8月7日、約1ヶ月ぶりで薬王院コースに挑戦した際に、太腿の筋肉痛で思うように歩けず、
皆さんには迷惑をかけたことから、
このままの状態で1か月後に富士登山本番を迎えるのは、かなり厳しいと思ったのが理由である。

薬王院の駐車場をスタートし、薬王院コースを上り、男体山(871m)に参拝して、
薬王院コースを下るというものである。

9時16分、薬王院駐車場に到着。
駐車場には他に車は1台しか停まっていなかった。
山の日なので、もう少し多いかと思ったが・・・


この日は1人なので、直ぐに出発だ。


9時18分、薬王院の仁王門前に到着


仁王門(楼門)の前に、樹齢500年と云われる椎の大木がある。
この椎は、寺のシンボルとなっている。
椎尾山薬王院の山号に相応しい。


仁王門の横には、大きな草履と下駄が奉納されている。
この反対側にも同じものがある。


仁王門を潜って


急な石段を上ると、


目の前に本堂が構える。
椎尾山薬王院は、延暦元年(782)最仙上人の開基による天台宗の寺院である。
楼門・薬師堂・三重塔などの伽藍が樹林の中に配置されている。
本尊の薬師瑠璃光如来は鎌倉時代の作で、県内三塔の一つに数えられている三重塔とともに、
県の文化財に指定されている。


県内三塔の一つに数えられている三重塔


本堂を後にして、首なし六地蔵の前を通り、登山口へ向かう。


9時27分、薬王院ルートの登山口に到着


案内標識には、筑波山頂まで2,960mと表示されている。
登山口の歩道案内板には、2,300mと書かれているが、どちらが正しいのだろうか?


登山開始しようとしたところ、目の前にニョロニョロと動くものが!
何と”マムシ”である。
縁起が良いのか悪いのか? 運は天に任せるしかない。


上り始めて直ぐに、若い女性2人が駆け足のようなスピードで追越して行った。


その姿はみるみる小さくなっていった。
自分は、マイペースで上ることにしよう。


杉の林とシダの群生地を過ぎ、小さな板張りの橋を通過。


緩やかな山道が続く。


次第に上りの勾配がきつくなり、丸太の階段になってきた。


かなり急な丸太の階段を上ると、


9時58分、筑波高原キャンプ場へ続く舗装道路に出た。
登山口からちょうど30分が経過していた。
自分を追い抜いて行った2人の女性と別の男性が話をしていた。


しばらく休憩を摂った後、10時4分、筑波山山頂を目指して、出発!
山頂まで1,622mと表示されている。


舗装道路を過ぎた辺りは、普通の山道だが・・・


しばらくすると、丸太の間隔が短くなり、一段と急坂の道になって来た。


薬王院コースの最大の難所「心臓破りの階段」だ。


太腿は痛いが前回ほど歩けないほどのことはない。
しかし、スピードが極端に遅くなった。
息が上がる。後から上る人に次々に追い越されてしまう。


直登だった階段の中間地点に到着して、後ろを振り返る。
このポイントは、よく上って来たものだと来る度に思う場所だ。


この後ジグザグの階段が続くが、もうひと頑張りだ。


10時31分、丸太の階段がいったん切れる辺り(標高630m、山頂まで1,092m)を通過。


丸太の階段は、この後もさらに続く。
この辺りもかなり呼吸が苦しくなる場所だが、ものともせずに上る人もいる。


10時36分、標高670m、山頂まで942mの地点を通過すると、


ようやく平坦な道になった。
先ほど追越して行った人たちが休んでいた。
2人ともやはりこの直前の階段は、相当堪えるらしい。


しばらく休んで息を整えていると、次々に若い人たちが上ってきた。
顔馴染みのようだ。


杉林を抜け、


緩い丸太の坂道を進む。


10時49分、羽鳥道コースとの分岐点を通過。


羽鳥道コースの入口には、
「このルートは道がはっきりしておらず、危険な場所や迷い易い場所が数多くあります。
ご利用には十分ご注意下さい」
との注意書きがある。
このコースは、2011年10月28日に、所属する「健康ウォーキング同好会」で一度上っている。
男の川案内板からの近道になるため、利用する人はけっこう多い。


10時54分、自然研究路の分岐点を通過。
御幸ヶ原まで0.5Kmだ。


分岐点の直ぐ近くに”大石重ね”がある。
願い石(筑波山神社で祈祷された小石)に願い事を書き入れ、この場所に置くと、
願いが叶うと言われている、らしい。


自然研究路の分岐点を過ぎると、緑に包まれた緩やかな石段の道になる。


木々の間から筑波連山が見える。
左から加波山、燕山、丸山と続いている。


最後のやや急な石段を上り、


緑に覆われた道を進むと、11時7分、御幸ヶ原に到着した。
薬王院登山口から1時間40分かかったことになる。
この日は、初めての『山の日』で、かなりの人たちで賑っていた。


さまざまな『山の日』イベントが催されていた。
”カチカチカチカチ・・・・”
20人余りの子供たちが懸命に石を割っていた。


筑波山化石発掘体験とある。


コマ展望台前では”食べ放題”の臨時のビアガーデンが・・・


”流しそうめん”の受付には、


長い行列が出来ていた。


昼食には、まだ少し早い。
女体山神社へ行こうかと思ったが、岩場は混雑が予想されたため、男体山へ登ることにした。


男体山頂へ


男体山頂への途中から見た女体山の景色。


山頂の神社への岩場は大変なラッシュである。


最後の急な石段を登り、


11時32分、男体山神社(871m)に到着
無事登山出来たことに感謝の気持ちを込めて、参拝!
脚の筋肉痛はあったが、前回ほどではなく何とか登れた。


男体山頂から見た筑波平野の景色


男体山から下山し、


見浦亭へ。


かき氷を注文した。
前回はいちごだったので、今日はメロン(400円)にした。
男体山へ登った時は、かき氷を食べるということがクセになりそうだ。


あまりお腹は空いていなかったので、
とりあえず下山し、麓に着いて弁当にしよう。
ということで、11時59分、御幸ヶ原を後にして下山開始!


緑に覆われた道を薬王院を目指した。


12時9分、自然探求路分岐点を通過
薬王院まで2.5Kmと表示されている。


続いて、標高710m、薬王院まで2,494mの標識を通過


12時12分、羽鳥道コースとの分岐点を通過


緩やかな丸太の坂道を下り、


杉林を過ぎると、


丸太の急な階段が始まった。


標高630m、薬王院まで1,968mの地点を通ぎると、


つづら折れの階段になる。


下りの階段は、段差があって歩き難い。
急坂の丸太階段をマイペースで下っていたところ、
自分と年齢はあまり変わらないと思しき人に楽々と追越されてしまった。


汗をかきながら、ようやく段差のある丸太の柵が終わり、普通の山道になった。


12時37分、舗装道路に出た。
御幸ヶ原からここまで38分弱かかった。
ほぼ前々回と同じペースである。


一息入れて、薬王院を目指した。


急坂の山道を下り、


小さな板張りの橋を通過


続いて、12時58分、薬王院まで500mの地点を通過


シダが生い茂る杉林を抜けると、


登山口に近い所に、”冷たい甘酒・甘茶用意しました”の案内が。
朝は、見掛けなかったはずだが・・・


13時5分、登山口に到着。
御幸ヶ原からここまで1時間6分かかった。


13時7分、薬王院薬師本堂に到着した。


感謝の念を込めて、梵鐘を一撞き。


『甘茶、甘酒はいかがですか?』の声がする方を見ると、薬王院授与所からお坊さんが笑顔で招いてくれている。
甘茶・甘酒は、薬王院の「山の日」のイベントで、今年から始めたそうである。
車の運転があるので、甘茶を戴いた。冷たくて美味しかった。
お坊さんが自分で漬けたという梅干しも出してくれた。薬王院で採れた梅だそうだ。
こういう”おもてなし”は嬉しいものである。


お坊さんにお礼を言い、仁王門の前を通って、薬王院を後にした。


13時26分、薬王院駐車場に到着。
クーラーを効かした車内で弁当を食べ、帰路に就いた。


富士山自主トレーニングが終わった。
心配していた太腿の筋肉痛はあったものの、何とか無事に下山することが出来てホっとしている。
この分ならば、あと1-2回トレーニングすれば、皆さんに大きな迷惑をかけないで済むのではないか・・・
念願の富士登山に向けて、可能な限りトレーニングを重ね、富士山登頂を果したい。

この日の万歩計は、14,000歩を計測していた。


ウマさんの気ままなウォーキングの目次”へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士登山トレーニング 薬王院コース(2回目)

2016年08月07日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2016年8月7日(日)

富士登山トレーニング第5回目(自身4回目)に参加した。
この日は、前回の薬王院コースとは若干異なり、筑紫湖からではなく直接薬王院から薬王院コースを上り、
女体山(877m)に参拝後、女体山コースを下って、筑波高原キャンプ場を目指すというものである。
そのため、この日の第一集合場所は、筑波高原キャンプ場となった。

8時46分、この日の第一集合場所、筑波高原キャンプ場に到着した。
この日参加する人の車が1台の他、登山者のものと見られる車が数台停まっていた。


その後順次、この日の参加者の数台が到着し、しばし談笑。


9時ちょうど、主宰するYさんが到着した。
Yさんが用意した富士登山予定者名簿と詳細行程・持物などを整理した資料を下に説明があった。
この日の参加者は10名である。


車2台に乗り合わせてスタート地点の薬王院駐車場へ移動。


薬王院駐車場で準備を整えて、


9時45分、筑波山を目指して出発!
前回は筑紫湖からだったので、いきなり薬王院からの出発というのは、やはり楽である。


薬王院仁王門前の石段を登る。


桜川市指定文化財の薬王院仁王門
ここで、体調を整えて、


本堂へ参拝
やはり登山前に参拝しておく方が気持ちが落ち着く。


9時54分、体調を整え終って、あらためて筑波山を目指して、出発だ!


弁財天前を通過


六地蔵前を通過
ほとんど首から上が無くなっている。
誰かが意図的に壊してしまったのだろうか?
そうだとしたら本当に心無いことをするものだと思う。


境内奥のお墓の前を通過すると、


見覚えのある薬王院ルート登山口である。
筑波山歩道案内板によると、薬王院~筑波山頂は、2,300mとある。
9時57分、登山開始!


前回は道案内役として途中まで先頭を務めたが、この日は中程を歩くことにした。
シダが生い茂る林を進む。


緩やかな山道が続く。


次第に上りの勾配がきつくなってきたので、最初の休憩を採る。
本堂前を出発して25分が経過していた。


水分補給後、再び山道を進む。


丸太の階段の箇所もあり、勾配が急になってきた。
かなり息が上がる。


丸太の階段道を上ると、


10時33分、舗装された道路に出た。


先頭の2名は、登山口横で腰を下して待っていた。


筑波高原キャンプ場へ続く舗装道路
『この道を通って薬王院に来たのかぁ 気が付かなかったなぁ』


10時38分、最後尾の組が合流し、全員揃った。
薬王院本堂前を出発して44分が経過していた。
主宰者のYさんは、体調が優れないので、前回に続いてここで分れるとのこと。
直接筑波高原キャンプ場へ向かうかもしれないとのこと。


10時39分、一息入れた後、筑波山頂を目指して出発!
この位置の標高は420m、筑波山頂まで1,622mである。


舗装道路を過ぎたら一段と急な山道になった。


丸太の長い急な坂道が現れ始めた。


皆さん、息遣いが荒くなってきた。
自分もこの日は太腿の筋肉が痛くなり、次第にペースが落ちだしたのを感じた。


10時59分、堪らず休憩である。


この先は、丸太の長い急階段が待ち構えている。


厳しい上りの階段が続く。
丸太の柵に掴まりながら上る。
『この坂ちょっときつ過ぎるわよねっ』


それまで直登だった階段がジグザグのつづら折に変わった。
太腿の筋肉が我慢できないほど痛くなり、スピードが極端に落ちてきた。
先を行く3名の後を追うが追い付かないばかりか、次第に離されてしまう。


後から上る人に


追い越され、置いて行かれる始末である。


11時15分、標高630m、筑波山頂まで1,092mの標識を通過。


少し先で先頭グループが一息入れていた。


もう少し先に平らな場所があるので、そこで後続を待つことにしようということに。
標高670m、筑波山頂まで942mの標識を通過し、


ようやく平らな場所に出た。
『ここで待つことにしようっ』


目の前を若い女の子が駆け足で走り抜けていった。
『いやぁ 若い子はやっぱり凄いよね~っ』


丸太に腰を下して待つこと数分、後続グループが到着した。


ここからは、急な上りはないので、めいめい筑波山を目指すことになった。


11時46分、不動滝コース分岐点を通過。


緑に包まれた緩い坂道を進む。


標高710m、山頂まで566mの標識を通過。


11時51分、自然研究路の分岐点に到達。
ここで太腿の筋肉痛を和らげる薬を塗布している間に後続のグループに追い越されてしまった。
看板の裏にいたので、皆さん気が付かなかったようだ。


自然研究路の分岐点を過ぎると、緑に包まれた緩やかな石段の道になるが、
後からの人に軽々と追越されてしまう。


緑の平坦な道を追いかけるがなかなか追いつかない。


木々の間から筑波連山が見えた。
この日は、加波山・燕山・丸山などがはっきりと見える。


石段の先で、ようやく休憩中の最後尾のグループに追いついた。
『先を行ってるとばかり思ってたよっ』
看板の裏にいたことを説明した。


最後の石段を上り、


緑に覆われた道を進むと、


12時5分、御幸ヶ原に到着した。
この日の御幸ヶ原は日曜日にも関わらず人はさほど多くはなかった。
やはり気温が高い(この日の予想最高気温は35度)のが敬遠されたのかもしれない。
薬王院本堂を出発して2時間9分、薬王院登山口から2時間6分かかったことになる。


御幸ヶ原から真壁方面の景色を楽しむ。


『この日は良く見えるわね~っ』


昼食場所を求めて女体山側へ。


御幸ヶ原から男体山(871m)方面を望む。


御幸ヶ原の広場に”ガマの油売り口上”のセットが・・・
休憩中らしく誰もいなかった。


御幸ヶ原の女体山側の木陰で昼食を摂ることにした。


ここで、偶然にも仲間と思われる人にばったり。
ユースホステル跡から上り、既に女体山・男体山に登ったとのこと。


12時14分、石段に腰を下して昼食タイム。


昼食後、石段前の茶屋に水を買い求めに行くと、白袴に鉢巻、タスキ掛けの服装の御仁が。
一見して”ガマの油売り口上”の香具師と思しき人が食事中だった。
記念にと1枚撮らせてもらった。
立派な髭を生やしてなかなかの風貌である。


そろそろ下山しようかと思っていたら、ガマ口上が聞こえてきた。
『さあさあご用とお急ぎでない方は聞いてらっしゃい、見てらっしゃい』のお馴染の口上の合間に
観客に話しかけるような感じで始まった。
しかし、観客は2名のみ、これはいささか少な過ぎる。


ご用とお急ぎでなければ、じっくりと聞きたいところなのだが、この日はそうはいかない。
下山開始する際にもう一度見ると、観客がもう1名増えていた。
暑さが厳しいが、頑張って欲しい


12時51分、女体山神社へ向かって後半のスタート。


女体山神社を目指す。


せきれい茶屋を通過
ここで筋肉痛を抑える薬を塗布している間に皆さんとはかなり遅れてしまった。


13時3分、ガマ岩を通過


13時6分、筑波高原キャンプ場への下山口を通過
ここから下ることになる。


筑波山ロープウェイへの分岐点を通過し、


13時8分、何とか女体山神社へ到着した。
この日の無事登頂を感謝


女体山の岩場はいつ見ても何名かの人が占有するような状態である。
手前には、そこに立ちたい人が列を作って並んでいる。


我々一行は既に下山開始の体制に入っている。
この日は、岩場に立つのは諦め、皆さんと一緒に下山することにした。
皆さん愛用の薬などを分けてもらったのは、有り難かった。


13時16分、筑波高原キャンプ場への下山口に到着し、下山開始だ。
キャンプ場まで1.6Kmと案内表示されている。


最初は急坂の山道が続くが、


途中から緩やかな道になる。


丸太の階段ではないので、足への負担が少なく歩き易い。


13時27分、キャンプ場まで1.1Kmの地点を通過。


緑のモミジ林の中を下る。
秋には紅葉が素晴らしいことだろう。


13時34分、キャンプ場まで0.7Kmの地点を通過。


杉林の緩やかな斜面を下る。
『このコースは初めてだけどなかなか良いコースだよねっ』


『こんなコースがあるなんて知らなかったわっ』


13時42分、下山開始から約25分経過したところで一息入れる。
最後の水分補給だ。


ゴールのキャンプ場を目指す。


女体山山頂まで1.5Kmの標識を過ぎると、周囲が明るくなり、景色が変わった。


左手の林の中にキャンプ場のバンガローが見えてきた。


キャンプ場の広場が見えた。


13時56分、筑波高原キャンプ場に到着した。
女体山コースの下山開始からちょうど40分である。
最後まで歩けたのは、下りだけだったこともあるが、皆さんから分けていただいた
薬が効いていたからかもしれない。


駐車場へ向かった。
Yさんの車は見当たらなかった。
既に帰宅したものと思われる。


この後、薬王院駐車場へ向い、そこで解散した。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『本番ではお互いに頑張りましょうっ!』


富士山トレーニング第5回目(自身4回目)が無事終わった。
薬王院駐車場をスタートして、薬王院コースを上り、女体山神社を経由して、女体山コースを下るという
筑波山コースの中でも上りはきつかったが、前回に比べ比較的短いコースだった。
太腿の筋肉痛で大変だったが、皆さんの協力で無事歩き終えてホっとしている。

途中での太腿の筋肉の痛さは、今まで経験したことのないものだった。
このまま本番を迎えるのは何とも心もとない。
あと1-2回はこのコースを経験しておいた方が良さそうだ。
念願の富士登山に向けては、可能な限りトレーニングを積み、富士山登頂を果したい。

主宰者のYさんから、筑波高原キャンプ場から直接帰宅したとの連絡があったことを添えておこう。

この日の万歩計は、12,000歩を計測していた。


ウマさんの気ままなウォーキングの目次”へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士登山トレーニング 薬王院コース

2016年07月10日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2016年7月10日(日)

富士登山トレーニング第4回目(自身3回目)に参加した。
この日は、筑紫湖から薬王院コースを上り、男体山(871m)に参拝して、
また薬王院コースを下り、筑紫湖まで戻るというものである。

8時47分、この日のスタート地点、筑紫湖駐車場に到着。
駐車場は満車状態だった。
県外のナンバーもちらほら。多くは釣人の車と思われる。


駐車場の100mほど先の空地に車を停めて筑紫湖へ。


筑紫湖は、風もほとんどなく、穏やかだった。


筑紫湖で待っていると、この日の参加者が到着し、前述の空地に駐車して筑紫湖へ集まった。
主宰者のYさんより、霞ヶ浦の水の利用状況などの説明があった。
それによると、茨城県は、利根川の水を利用する権利はなく、県西で利用した分は、
霞ヶ浦から利根川に戻しているとのこと。
『へ~っ そうなんですか』


9時11分、先ずは薬王院目指して出発!
筑紫湖畔の蕎麦屋「つくし亭」前を通り、


薬王院参道から薬王院へ。


緩やかな薬王院参道を進む。
この日の参加者は、7名である。


つづら折の参道を進むこと凡そ30分、


薬王院の仁王門前に到着した。


下山後にゆっくりと薬王院に参拝しようということで、仁王門を後にする。


9時47分、薬王院ルート登山口に到着
筑波山歩道案内板によると、薬王院~筑波山頂は、2,300mとある。
『筑波山の登山ルートで一番長い距離だねぇ』


9時53分、登山開始!
これまで何度か上ったことがある自分が先頭を務めることになった。


杉の林とシダの群生地を過ぎると、


緩やかな山道が続く。


登山道は、最初は光が差し込むところもあったが、


雑木林に囲まれた薄暗い場所が多くなった。
次第に上りの勾配がきつくなってきた。


10時20分、最初の休憩を摂り、水分補給。


再び山道を進むと、


10時30分、舗装された道路に出た。


登山道は道路の反対側へと続いている。


この位置の標高は420m、筑波山頂まで1,622mと表示されている。


10時33分、先頭は写真を撮りづらいため、交替してもらって再び筑波山頂を目指した。


舗装道路を過ぎたら一段と急な山道になった。


丸太の坂道が現れ始めた。


10時49分、丸太の急坂が始まった。
片側に柵が設けられている。
ここからさらに急な長い階段が続くのである。


厳しい階段が続く。
全身汗びっしょりで、息が上がる。


それまで直登だった階段がジグザグのつづら折に変わった。
間もなくこの急な階段も終わる頃だが・・・


その後しばらくつづら折れの階段は続いた。


11時0分、丸太の階段が終わる辺り(標高630m、山頂まで1,092m)で堪らず休憩だ。
『いやぁ このルートは厳しいねぇ』


さらに丸太の階段を数百m上ると、


ようやく平らな道になった。
『ここまで来れば後は楽らしいよっ』


筑波山を目指す。
『ずっとこんな道だったら楽なんだけどねっ』


『さっきの階段とは比べものにならないよねっ』
快調なペースで山頂を目指す。


標高710m、山頂まで566mの標識を通過。


11時24分、自然研究路の分岐点を通過。
御幸ヶ原まで0.5Kmである。


自然研究路の分岐点を過ぎると、緑に包まれた緩やかな道になる。
途中適度な高さの石段などがある。


急な石段も3か所ほどあるが、それほど長くはない。
最後の急な石段を上り、


緑に覆われた道を進むと、


11時39分、御幸ヶ原に到着した。
筑紫湖を出発して2時間30分、薬王院から1時間50分かかったことになる。


後続を待つために男体山神社上り口の見浦茶屋で一休みすることに。


見浦茶屋は、日曜日のためけっこう賑っていた。


喉が渇いていたので、ショバ代としてかき氷(400円)を注文。
疲れた身体に、冷たくて甘いかき氷は最高に美味しかった。
そのうち遅れていた1人が到着した。
Yさんは、『今日は体調があまり優れないので途中で引き返すかも』と言っていたのだが・・・


12時20分、見浦茶屋で弁当を食べた後、男体山神社へ向かった。
他の人は何度もお参りしているらしく、遠慮しておこう、とのこと。


1人で男体山山頂(871m)を目指した。


最後の急な岩場を上り・・・


12時34分、男体山神社に到着し、
無事登山出来たことに感謝の気持ちを込めて、参拝!


男体山山頂から見たつくば市の景色。


御幸ヶ原に下り、水分補給用のお茶(200円)を買い求め、


12時54分、下山開始
この時、お茶を買い求めている間に他の皆さんは既に下山したのだとばっかり思っていた。
そのうち追い付くだろう、と気軽に考え、


皆さんの後を追いかける形で、緑一杯の道を薬王院を目指した。


13時3分、自然探求路分岐点を通過
薬王院まで2.5Kmと表示されている。


杉林の中を進む。


標高670m、薬王院まで2,118mの地点を通過
先行グループになかなか追い付かない。


丸太の道が始まった。


ここから急坂の丸太階段になる。
ここにも先行グループの姿はなかった。それにしても先行グループは、随分早いものだ。
下りとは言え、このペースは自分にとってはかなり厳しい。
汗びっしょりになってきた。
まぁ薬王院で合流すれば良いか、と少しペースを落とすことにした。


急坂の丸太階段をマイペースで下っていたところ、


後続の人に追越されてしまった。
自分と年齢はあまり変わらないように見えたが、足取りは軽そうだ。


丸太の柵が終わり、丸太の階段から


普通の山道になった。


13時31分、舗装道路に出た。
御幸ヶ原からここまで35分弱かかったことになる。
ここにも先行グループの姿はなかった。


一息入れて、13時37分、薬王院を目指す。


マイペースで薬王院を目指していたところ、何と先行している筈のグループが後ろから追い付いた。
皆さんも自分を追いかけて来たのだと言う。
お互いに追いかけあっていたのだ。


揃って薬王院へ向かった。


13時57分、薬王院まで500mの地点を通過し、


シダが生い茂る杉林を抜けると、


14時4分、登山口に到着した。
御幸ヶ原からここまでちょうど1時間である。


薬王院を目指す。


14時7分、仁王門に到着


どっしりと風格のある薬王院仁王門だが、仁王像はなかった。


仁王像2体は現在修理中のようだが、阿形像は修理完了したとある。
吽形像はまだ修理中のようだ。
2体揃って修理が完了したら、またここに戻されるのだろう。


仁王門を潜って、急な石段を上ると、


薬王院本堂が目の前に現れた。
無事の下山を感謝して、


鐘を撞いた。
腹に響くような大きな音が境内に鳴り響いた。


Yさんは既に到着していた。
50分ほど前からここで待っておられたそうだ。


一休みした後、三重塔を経て筑紫湖へ向かう。
三重塔は、大工棟梁桜井瀬左衛門安信の手により、宝永元年(1704)に完成した、とある。
安信は、7年後に成田山新勝寺三重塔を完成させている。
三重塔は、県の文化財に指定されている。


筑紫湖駐車場へ向かう。


薬王院参道を下る。


参道入口で次回の集合場所と登山ルートを確認
次回は、薬王院コースを上り、女体山を経由して、筑波高原キャンプ場へ下ることになった。


筑紫湖が見えてきた。


15時29分、ゴールの駐車場に到着。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


富士山トレーニング第4回目(自身3回目)が無事終わった。
筑紫湖から薬王院を経由し、薬王院コースを上り、男体山(871m)にお参りして、薬王院コースを下るという
筑波山コースの中で最も長くて厳しいコースと云われているが、無事歩き終えてホっとしている。
前回ほどではないが、足の筋肉が痛い、あと1-2日はこの状態が続くことだろう。
念願の富士登山に向けて、可能な限りトレーニングに参加して、富士山登頂を果したい。

この日の万歩計は、21,000歩を計測していた。


ウマさんの気ままなウォーキングの目次”へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする