年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

新年早々のミス

2020年01月07日 | 宅老のグチ
1月6日なら御用初めで官公庁は始まりだと思って確認せず、埼玉県の公文書を公開している文書館へ行った。浦和駅から歩いて15分ほどで県庁の真後ろにある。文書館は閉まっていた。思わず(シマッタ)と思い、急遽西川口の河鍋暁斎記念美術館へ行く。ここはすでに3回は入っている。暁斎の子孫が公開している美術館で規模は小さいが絵より文献を探しているので学芸員に頼み、資料を探す。
 河鍋暁斎画談の著者瓜生政和は別名梅亭金鵞で福神漬の命名者で共通している人脈があって、資料の少ない明治前半期の少ない手がかりを探していた。そしたら和服姿の館長が戻ってきて、瓜生政和の件を訊ねると逆にまだ誰も調べていないので調べてくださいと言われた。そこで調べている事情を話した。偶然予定なしの雑談だった。その後交友関係のコピ-をもらい、日暮里で下車。ここもミスした。福神漬顕彰碑のある浄光寺は西日暮里駅の後ろで日暮里駅は谷中だった。諏訪台通りを戻り、途中冨士見坂と案内があるところで富士を探すがビルによって見えない。浄光寺で写真を撮ったが以前訪問した時から顕彰碑の位置が変わったように思える。気のせいかの知れない。地震と台風で動かなければよいのだがとにかく大きい。
 その後鶯谷駅を目指すがラブホテル街で道に迷い、風俗案内所めぐりとなった。目的は根岸のことを調べている喫茶店を探すことだが後で探すと少し捜索のところが違っていた。昔関西で働いていた時、ラブホテルに納品していたので、あの目的がないのにうろつくことは平気である。
 日暮里より浅草まで歩き、浅草寺の混雑を眺め、東武浅草駅付近の火事現場を見つつシルバ-パスの使えるところまで行く。2万歩くらいはなっただろう。正月の食べすぎは解消。
コメント
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