年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

飯島虚心・半十郎

2020年01月09日 | 宅老のグチ
飯島虚心(半十郎)
この名前を知ったのは河鍋暁斎美術館で館長から、暁斎の交友などの文献コピ-をもらって一番気になった人物だった・団団珍聞の投書家で上田花月という人物がいる。投書名が多数あって虚心かもしれないと思って検索するとどうやら異なり戊申戦争の最後で降伏した旧幕臣のようだ。
 福神漬の文献の人物と河鍋暁斎の交友記録が重なる部分が多い。梅亭金鵞(瓜生政和)と飯島虚心は河鍋暁斎の評伝を書いている。梅亭はどちらかというと暁斎の絵を重点的に書いてあって、虚心の方が子孫の美術館館長の評価が高い。
 飯島虚心の解説で明治の25年頃まで日本人による浮世絵の評価が低く、かえって欧米人の方が評価が高かった様だ。この明治の20年代は鹿鳴館などを作った極端な欧化主義から日本文化の良さを見直す時期がとなった。
 明治の20年代に河鍋暁斎・梅亭金鵞も死去した。そして明治憲法発布までの空白期の研究者は少ない。
 上田花月(飯島保作)は信州上田出身・第八十二銀行創設者の一人。彼の収集した書籍は上田市立図書館に所蔵されている。
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