年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

令和の初セリから日本ののんびり感

2020年01月05日 | 宅老のグチ
毎年この時期はニュ-スが少ないので豊洲の初セリの話題となる。すでに世界は動いていて第三次大戦と騒ぎだしている。アメリカとイランの問題は拡大しつつあって、これにイスラエルが加わり、ロシアが加われば第一次大戦がサラエボの暗殺から始まったと思えば無いこともない。
 先の大戦で昭和の学徒出陣以後の日本の学校はほとんど教育は無くて、工場に派遣されたり、農作業をしていたようだ。特に生き残った人の多い女子師範学校の話は今でも面白い。戦後先生となって記録を残しているが、戦前のモンペ姿で連日工場で働き暇なとき勉学し、妄想にふけっていたようだ。しかし寮生活に欠かせない食が不足し、自由な妄想も多くの夢が食物だったようだ。たまの休暇で自宅に戻ると農家が多いので腹いっぱい食べておなかを壊したようだ。彼女たちは帰宅病と言っていたようだがひもじい寮の食事から山盛りの食糧を残すことなく食べたようだ。
 4日の広尾の図書館で日本の教育大学の百年史を数冊読みふけった。昭和18年9月に繰り上げ卒業の状況を知るためだった。
 やはり陸軍特別操縦見習士官に入った人は師範学校出身が多い様だ。海軍は希望者が多く募集の苦労は少なかったように思える。しかし朝日新聞の18年7月の記事から陸軍の不人気が感じられた。これは当時の陸軍の古参兵によるいじめが蔓延していて、広く知れていたようだ。優秀な学生が海軍に行ってしまう恐れもあったようで海軍の航空関係の募集の記事は少ない。
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