年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

『血戦特攻隊の記録』で確認

2020年01月18日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
『血戦特攻隊の記録』(桝谷健夫編 ツバサ広業 2000) 
埼玉県立熊谷図書館で埼玉師範学校の昭和18年9月30日に繰り上げ卒業し、陸軍と海軍の航空士官の試験に合格し、特攻死したのは陸軍1名、海軍1名と記録されている。叔父は昭和20年5月20日に嘉手納沖の米軍艦船に突入した。、海軍の小堀淳三郎少尉は昭和20年5月24日に沖縄で特攻死した。他の4名の埼玉師範学校卒業生の死去の理由は不明である。陸軍海軍の両方に合格した人は大方海軍に行ったと思われる。従って埼玉師範学校卒業で陸軍特別操縦見習士官に合格した8名と9月8日の毎日新聞埼玉版で記事となっていない叔父を加え9名のうち死去したのが叔父のみである。特操1期生の特攻死は400名近くあって、埼玉師範学校卒業生の死者が1名、海軍において師範学校14名研究科出身の9名を加えて23名のうち特攻死したのは1名だけである。
 全国の師範学校卒業生で特攻で戦死した人が少ないのは埼玉師範学校と思われる。埼玉大学教育学部100年史に学徒出陣時の戦死した学友の記述がないのは戦死者が少ないためなのだろうか。同窓会名簿ではかなりの戦死者の記録がある。
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