年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

2006年9月以降の築地市場移転会議2

2020年01月27日 | 築地市場にて
2016オリンピック招致で日本が東京となっても、築地の移転会議の質・回数・真剣さは増したが、水産仲卸の人たちの会議の状況が漏れ聞く限り、青果部より進行状況が遅れていると感じていた。記憶は定かでないが新市場内物流・衛生(ごみ処理)・電話を中心とした通信設備(ほぼNTT)の会議があった。築地を制する仕組みは全国の農林水産系の設備の前例となるので業者の意気込みは真剣である。大田市場の移転時にはWIN95以前でほとんどの青果業者はIBM系のコンピュ-タで支配されていた。政府とデ-タのやり取りしないといけないということと補助金の問題から生じる。農水系はやはり農林水産省の影響が大きく、産地毎(都道府県)金額(消費税は含まない)重量のデ-タのやり取りでそれぞれのコ-ドは全国共通になっているが廃れたものとか新規の商材とかのコ-ドはどう割り当てられているかわからない。こと漬物のコ-ドは少なく、実際は自社コ-ドとJANコ-ドとなる。さらに流通コ-ド(BMS)というものがあって大手量販対応は3種に対応しないと混乱する。
 そのような築地だけの問題から日本全体の青果物の在り方の議論が築地移転会議で展開していた。まるで国会のより真剣な会議であった。議事を記録する速記者もいて、議論から離れそうな問題になると会議主催者の東京都の職員が議事進行を止めることも度々あった。午後2時ころから4時ころまでの会議で前回の議事録確認から始まり当日の会議の総論が始まり、卸業者・仲卸業者代表・買参人から意見を聞く。それぞれの意見を聞いたのち、東京都の職員から疑問点を3者に質問が出る。どの人たちも築地のプライドがあって(江戸時代よりの日本代表という)国会のような議論のための討論とはなっていなかった。
 築地の人たちは日本の農水産業を背負っている意識がいつも感じていて、他の市場とは少し異なる。天下の築地本場と心の中で思っている。
 会議で出された疑問点をそれぞれの部門が持ち帰り、次回の会議に回答することとなる。同じ市場に働きながら、やはり将来をどのように考えているかが異なっていたと感じていた。従って水産部の混乱を横目に見て会議の進展がオリンピック招致の問題が派生するまでゆっくりだった。商売の優先ということだ。
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