年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

小学校の校庭にある戦争の記念碑

2020年01月10日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
特攻に行った叔父が卒業した春日部市立川辺小学校に行った。教頭先生に案内され校庭の隅にある戦争の記念碑を見る。日露戦争と大正年間の記念碑のようだった。
目的は叔父の最後の写生がまだ残っているかということと、特攻に行く前に川辺小学校上空を低く飛びあいさつして消えていったという。記録から昭和20年2月の終わり頃だろう。5月20日に台湾から沖縄へ特攻した。
 教頭先生の情報では今の小学校の先生の半分くらいは埼玉大学教育学部出身で先輩である叔父がこの小学校出身で戦死した記録は知らないだろう。埼玉師範学校から陸軍特別操縦士官の試験に10人が合格したことが埼玉地方版の毎日新聞9月8日号に出ている。一名は陸軍・海軍にも合格しているが多分海軍を選択したと思われる。叔父の名前は新聞記事になくこの時点では不合格だったようだ。この日の陸軍・海軍の試験に合格した人を除くとすべて戦後に教職となった。精査しなければならないのだが師範学校から戦場に行った140名中戦死等によって昭和25年の同窓会記録には18名ほど記録がない。師範学校から海軍へ行った人の方が戦死者は多い。不合格だった叔父はどうして合格になったのだろうか。視力が1.5あったためなのだろうか。欠員が出たからだろうか。遺書はないので想像しかない。
 飛行機の士官に応募した学生は師範学校生徒が多かったと思われる。靖国神社の図書館で特操の件を聞いた時、学歴を聞かれたのは師範学校出が特攻には多いのだろうか。
コメント
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