年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

清水次郎長と幕末維新

2012年09月27日 | 福神漬
清水次郎長と幕末維新-『東海遊侠伝』の世界
高橋敏著
この本に出会ったのが福島県郡山市中央図書館の郷土資料のところだった。清水の次郎長がなぜ郡山で郷土資料なのかと違和感があった。清水の次郎長を明治日本に送り出したのが福島県いわきの天田愚庵だった。
 戊辰戦争の混乱で両親と妹とを見失い、彼らを探す人生が始まった。彼の両親を探す行動に周囲の人の援助で人縁が増え、さらに彼の行動が活発となった。郷里の人縁から東京へ向かい、そこで山岡鉄舟と知り合い、清水の次郎長と知り合い、養子となった。この辺の事情は山岡ファン、次郎長ファンに任せていたがそこに天田愚庵と明治17年と言う時期が重なると福神漬の命名時期と重なり、急に気になる存在となった。次郎長が賭博開帳の罪で投獄されたのは地方の自由民権運動を暴力で支えていたのが博徒集団であったためだった。
 『東海遊侠伝』出版後明治19年頃から天田はジャーナリズムの世界の人と交友が増え、陸羯南、正岡子規、子規の門人等と交友するようになった。山岡、陸、正岡は上野周辺で福神漬創製地でもあった。この本ではさらに自由民権運動静岡事件の広瀬重雄が加わる。
 福神漬を調べる過程で思わぬ展開となるのは不思議なことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする