年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

黄表紙から

2012年09月07日 | 福神漬
築地社会教育会館から東に進む道は平成通りと言う名前となっている。京橋郵便局から三菱東京UFJ銀行築地支店の前を通り、中央区役所の下にある図書館に向かう。銀行の脇の歩道上に「桂川甫周屋敷跡」の説明板がある。先日訪れた大垣からやたらと気になって桂川家が再び気になり図書館で本を借り出す。中央区は地元と言う関係で桂川家の図書は多くこの点では実に助かる。
 江戸時代に医学系の蘭学は築地の桂川家を中心としていた。蘭学関係の史跡が築地周辺に多い。桂川甫周の弟(森島中良)の交友関係から文化人とか歌舞伎関係の交友もあったようだ。森島中良は森羅万象(しんらまんぞう)と言う筆名で黄表紙に作品を書いていたようだ。
 黄表紙はナンセンス文学で現代の文学観では評価の対象ともなっていないが江戸時代には読者が多かった。一般に知られていた文学作品を違う設定などいれ滑稽味とか風刺をした作品が多いと言う。なぜこのような忘れ去られた黄表紙が気になるかと言えば福神漬の『なた豆』の効能が遊女関係の言い伝えが多い。(山中共古,共古随筆)黄表紙の読者に当時の通人の遊郭の遊び方を示していたようだ。18大通人の一人に森島中良が入っている例もあるが多くは両国の札差が多い。黄表紙の特色の中に『うがち』と言うのがある。西洋童話の裸の王様のような設定で読者を楽しませている。さらに黄表紙には絵があって当時の社会風俗を一流の絵師が描いた。
 黄表紙の作家は川柳の作家と同じような目線で社会とか人間を観察し、時には社会体制を風刺していたようだ。行き過ぎた風刺は弾圧され、面白みが欠け、退廃的な作品となってゆく。福神漬の命名者梅亭金鵞は幕末の退廃的な時代の戯作者であった。
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