棚橋正博さんの『山東京伝の黄表紙を読む』を借り出した。中央区では郷土史料と言うことになる。
この本の中に『付会』と言う言葉があった。コジツケという意味である。福神漬の命名をした梅亭金鵞は武士出身の戯作者であった。この戯作者という仕事は今の感覚の小説家とも違う存在で中々理解はしにくい。特に江戸時代ということで文学系のことは研究も役に立ちそうでなく大学の中でも肩身が狭そうである。文学と経済と言うことを本気で考えている人で少なくとも福神漬から明治10年代の日本を調べている身から見ると同じ視点の人が居たということである。幕末から明治にかけて旧幕臣の人で風刺漫画雑誌の團團珍聞の梅亭金鵞が何も考えず命名したとは思えない。
何を付会したのだろうか?