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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

皐月晴上野朝風11

2008年11月20日 | 福神漬
皐月晴上野朝風11
明治23年5月24日読売新聞
下谷連の総見物
今回新富座において上野の戦争劇を上演するにつき下谷区(今の台東区の西の部分)にてはそれぞれ組を分けて総見物をしようと相談中だという。今その主なる所をあげれば第一数奇屋町・同朋町の校書(ゲイシャ)連中、第二守田治兵衛氏の連即ち仲町連中、第三湯屋佐兵衛氏連即ち竹町連中、第四は松源連中、第五は大茂連中、第六は松坂屋連中、第七は雁鍋連中等であるという。
松源楼の場で数奇屋町の芸者の話が出てくる。
下谷花柳界があった同朋町である(今の上野松坂屋南館あたり)。同朋町はすぐ近くの数寄屋町とともに下谷花柳界として当時東京でも柳橋、新橋につぐ格式と規模を誇った。さて福神漬の酒悦は池之端仲町なので第二の仲町連中に入って見物したのであろうか。酒悦主人と五代目菊五郎との接点がなかなか見えない。
上野松坂屋は江戸時代寛永寺の御用達として発展した。さて最後の雁鍋連中だが池之端仲町裏の場で『雁鍋で食べて吉原に行こうか』というセリフがあった。料亭か料理の種類なのだろうか。とにかく池之端の裏のあたりの話で酒悦はこちらだったかもしれない。
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