皐月晴上野朝風5
明治23年5月13日読売新聞
上野戦争の説明
元彰義隊の一人であった秋元某という人は(上野の戦争の)当時万端指揮を執っていた縁で今度ある人の斡旋で五代目菊五郎の自宅へ同人を呼び9日10日の両日同氏の記憶している当時の現状の有様ならびに戦争の様子より勇士等の実況を聞いていたという。またその席に同席していた河竹其水氏(歌舞伎の脚本家)は必要と思われる箇所を一々筆記していたので芝居の脚本の中で多少の影響があるだろう。
河竹其水は竹柴其水の誤りか。河竹黙阿弥は初期の名前は、河竹其水という名前を使っていて「スケ」という形で創作活動し弟子を育てていたかもしれない。
(五代目)菊五郎の投書袋
今度桐座(新富座)において一番目狂言に上野の戦争を演じるにつき毎日菊五郎の自宅へ数十の投書が舞い込み、その受付処理に面倒なほどの量だけれど芸熱心な菊五郎は大切に袋にしまっておき、知り合いの人にこれを示して喜んでいると言う。
明治23年5月13日読売新聞
上野戦争の説明
元彰義隊の一人であった秋元某という人は(上野の戦争の)当時万端指揮を執っていた縁で今度ある人の斡旋で五代目菊五郎の自宅へ同人を呼び9日10日の両日同氏の記憶している当時の現状の有様ならびに戦争の様子より勇士等の実況を聞いていたという。またその席に同席していた河竹其水氏(歌舞伎の脚本家)は必要と思われる箇所を一々筆記していたので芝居の脚本の中で多少の影響があるだろう。
河竹其水は竹柴其水の誤りか。河竹黙阿弥は初期の名前は、河竹其水という名前を使っていて「スケ」という形で創作活動し弟子を育てていたかもしれない。
(五代目)菊五郎の投書袋
今度桐座(新富座)において一番目狂言に上野の戦争を演じるにつき毎日菊五郎の自宅へ数十の投書が舞い込み、その受付処理に面倒なほどの量だけれど芸熱心な菊五郎は大切に袋にしまっておき、知り合いの人にこれを示して喜んでいると言う。