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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

皐月晴上野朝風6

2008年11月13日 | 福神漬
皐月晴上野朝風6
明治23年5月15日読売新聞
音羽屋の稲荷祭
尾上菊五郎が稲荷を信仰していて、庭に社を作り祀っていると聞いている。一昨日は甲午の日であるので一家一門が討ち揃ってにぎやかに其の大祭を行った。社前の飾りつけは別段目新しきものはないが主人が有名な俳優なので神楽に代わって奉納する茶番狂言は中々感動させるものがあった。
 この日は朝から雨が降っていたが来賓は元彰義隊の秋元某氏、劇作家や劇場主、他に夫人など十名余だった。この来賓を驚かすような趣向を企画し、折から降り出した雨をそのまま用いたほうが面白かろうと一同土蔵の中で秘密会議を開いてこそこそと評議しているうちに雨が止み、せっかくの趣向も少し手違いとなったが、来賓が続々来てしまったので、なんとなく茶番の趣向も決めねばならぬと見込み違いの晴れに因みようやく考えた『今間晴日暮馬鹿=さつきはれくれてのたわむれ』と外題して尾上菊五郎ら三人の役者が彰義隊に扮し、庭に数十箇所に花火の仕掛けをし、弾丸が空飛ぶ上野戦争の有様を見せようと実行した。さすがに頓知の菊五郎だと参加者一同大喝采した。次に同じ外題で俳優十余名が物まねをし、当日参加していた本人を驚嘆させたと言う。上野黒門口戦争の講談などがあって夜十二時頃まで近頃まれな盛況であった。
 この当時でも芸能記者と言うものがあったのだろうか。記事の中でさり気なく次の芝居の案内をしていた。

 
 
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