年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

皐月晴上野朝風6-2

2008年11月14日 | 福神漬
皐月晴上野朝風6-2
明治23年5月15日読売新聞
音羽屋の稲荷祭
この記事の中に『校書』という言葉があって『げいしゃ』とルビが振ってあった。辞書を引くと〔《唐の元 (げんしん)が蜀に使者として行ったとき、接待に出た妓女薛濤(せっとう)の文才を認め、校書郎に任じたという「唐才子伝」の故事から》芸者のこと〕
彼女は『賓妓』という待遇を受けた。ふつうの芸者ではなく、客分の芸者という。芸者を『校書』と呼ぶのは、この話に由来している。

又記事中秋元某とあるが記事が時間の経つうちに実名記事として載ってくることになる。明治政府の意向を探っていたのだろうか。秋元某とは彰義隊本体の秋元虎之助(頭取)のことである。
 また5月15日の記事の続きに音羽屋一門の人達が浅草の士族の家族の不幸な状況を聞いて一門から寄付を集めて贈ったと言う。浅草の士族は火事に遭い、間借り先で病気に遭い主人が亡くなり、さらに子供が病気になって困窮していると言うことをある人から聞きつけたとのことである。樋口一葉の困窮した頃と同時代の話である。

 
 
コメント
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