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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

上野戦争と福神漬2

2008年11月05日 | 築地市場にて
上野戦争と福神漬2
上野で官軍と彰義隊が戦ったのは慶応4年5月15日であるがこの頃は旧暦であって,
さらにこの年の4月は閏月で二回四月があったため新暦に直すと今の7月半ばということになる。従って敗残の兵士が不忍池に隠れたというのも今の7月ならば納得がゆく。
 不忍池は江戸時代からの蓮で知られた池で今の広さよりかなり大きかった。福神漬に昔から蓮が入っていたのは池のほとりで福神漬が創製されたためと思われる。7種の材料は池之端周辺で取れたものと精進料理に使用されたものが使われたと思う。しかしどの様な理由か『なた豆』が入っていたかわからない。当時として葛西で広く栽培されていたと言うがわからない。漢字で書くと『鉈豆・刃豆』となるが『SWORD BEANS』と英語で福神漬材料表示する。武士の魂である刀と関係があるのでしょうか。
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