きのう父の叔母(司元から見ると大叔母とでも言うのでしょうか)の法要があり、それに先立っておととい、父の兄弟(司元の叔父叔母)ら三人が我が家に集いました。
そのうち京都の叔母(司元の叔母)が鯖寿司を三本も持ってきてくれ、皆でご相伴に預かりました。
鯖街道を若狭から京に運ばれた鯖、江州米、利尻の黒昆布をふんだんに使い嵯峨野の竹皮で包まれた寿司は京の名物のひとつ。叔母によると中でも200年以上続く「いづう」のが一等。その「いづう」も京に何軒かあり、四条通りを八坂に向かい北に上った「四条切り通し一筋半上る東側」のが特別と言います。
父母や叔父叔母らは寿司二切れ、三切れとアサリの汁でもうお腹いっぱい。子らがいなかったので後は私と妻。私達も四、五切れで満腹。
食しながらの話題は健康のこと、秋らしくなってきた時候のこと、はたまた来年のお正月のこととつきません。
四十代の私と妻が七十を過ぎた父母、叔父叔母を世話しているような、はたまた逆に見守られているような、なんとも言えない絶妙な空気が食卓に流れていました。
幸せな、たいへん贅沢な夕食でした。
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そのうち京都の叔母(司元の叔母)が鯖寿司を三本も持ってきてくれ、皆でご相伴に預かりました。
鯖街道を若狭から京に運ばれた鯖、江州米、利尻の黒昆布をふんだんに使い嵯峨野の竹皮で包まれた寿司は京の名物のひとつ。叔母によると中でも200年以上続く「いづう」のが一等。その「いづう」も京に何軒かあり、四条通りを八坂に向かい北に上った「四条切り通し一筋半上る東側」のが特別と言います。
父母や叔父叔母らは寿司二切れ、三切れとアサリの汁でもうお腹いっぱい。子らがいなかったので後は私と妻。私達も四、五切れで満腹。
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四十代の私と妻が七十を過ぎた父母、叔父叔母を世話しているような、はたまた逆に見守られているような、なんとも言えない絶妙な空気が食卓に流れていました。
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