言葉は時代と共に変化することは承知していても、進化したとは思えない、むしろ退化している場合を感じる昨今です。
落語の中にでてきた笑い話です。
注文したラーメンを待っていると、ラーメンを持ってきたウエイトレスが、
「ラーメンになります。」
と言ってテーブルに置きました。
「いや、もうラーメンに成っているよ。」「ラーメンになる前は何だったの?。」
この場合の「なります」は、一般的に「です」と言うことだったのが、現在は「です」に替わって「なります」に成ってしまいました。
This is a pen.を日本語で「これはペンになります。」と言うのはへんです。
「お名前は?」
「○ ○ ○ ○になります。」もへんです。
「なります」の「なる/成る」を国語辞典でみるとわかるとおり、例として、ある物事・事柄ができあがる・成立する・実現する時などに使い、又幾つかの要素から構成・組み立てられている時や、ある経過をたどった結果で事柄が生じる場合などに使われる言葉だと思うのですがねー。
今日のTVで
「これはクレマチスになります。」も「です」を使わず、まぎらわしいのです。
「これが新しい芽になります。」との表現は「です」なのか「成ります」なのか戸惑います。こんなのが頻繁に使われるのを嫌っています。
多分、「です」より「になります」が、丁寧な言葉だと勘違いしているに違いありません。それとも、世間で使っている流行言葉を無意識に使っているのでしょうかね。
察するに、現今の責任逃れ傾向の現れなのかも知れません。
「携帯電話の使用は禁止になっています」というのは、「禁止です。」と言わずに、私が決めたのではなく誰かが決めたのですから・・・・、と言う具合にです。
「電話番号は○○○○になっています。」は確かに自分で決めたのではなく、与えられた場合が殆どだから、そーかーとは思うけれど「○○○○です。」でいいのです。
買い物の支払い後に
「レシートになります。」と、私がレシートだということを知らないので教えてくれるようにレシートを渡されます。
「になります」の他に、「有り難うございます。」だけでいいのに、紋切り型の心のこもっていない対応の言葉は嫌です。
「です。」「であります。」「でございます。」などを「になります。」でくくって使われても、殆ど意味は通ずるので、まーいーかーとするかは、個人差があっていいのですがねっ。
「になります」が「です」を駆逐する時代なので、他の言葉でも例は随分あることから日本語の退化を危惧しています。
日本語の絶滅危惧種を選定(あり得ないけれど)するとして「です。」「ます。」は、上位にランクされるでしょうねー。
日本社会が日本語を正さないのなら、家庭や学校での教育力に期待するしかありません。
「です。」回復運動でも起こらないかなーなんて、他人任せではいられない気分です。
落語の中にでてきた笑い話です。
注文したラーメンを待っていると、ラーメンを持ってきたウエイトレスが、
「ラーメンになります。」
と言ってテーブルに置きました。
「いや、もうラーメンに成っているよ。」「ラーメンになる前は何だったの?。」
この場合の「なります」は、一般的に「です」と言うことだったのが、現在は「です」に替わって「なります」に成ってしまいました。
This is a pen.を日本語で「これはペンになります。」と言うのはへんです。
「お名前は?」
「○ ○ ○ ○になります。」もへんです。
「なります」の「なる/成る」を国語辞典でみるとわかるとおり、例として、ある物事・事柄ができあがる・成立する・実現する時などに使い、又幾つかの要素から構成・組み立てられている時や、ある経過をたどった結果で事柄が生じる場合などに使われる言葉だと思うのですがねー。
今日のTVで
「これはクレマチスになります。」も「です」を使わず、まぎらわしいのです。
「これが新しい芽になります。」との表現は「です」なのか「成ります」なのか戸惑います。こんなのが頻繁に使われるのを嫌っています。
多分、「です」より「になります」が、丁寧な言葉だと勘違いしているに違いありません。それとも、世間で使っている流行言葉を無意識に使っているのでしょうかね。
察するに、現今の責任逃れ傾向の現れなのかも知れません。
「携帯電話の使用は禁止になっています」というのは、「禁止です。」と言わずに、私が決めたのではなく誰かが決めたのですから・・・・、と言う具合にです。
「電話番号は○○○○になっています。」は確かに自分で決めたのではなく、与えられた場合が殆どだから、そーかーとは思うけれど「○○○○です。」でいいのです。
買い物の支払い後に
「レシートになります。」と、私がレシートだということを知らないので教えてくれるようにレシートを渡されます。
「になります」の他に、「有り難うございます。」だけでいいのに、紋切り型の心のこもっていない対応の言葉は嫌です。
「です。」「であります。」「でございます。」などを「になります。」でくくって使われても、殆ど意味は通ずるので、まーいーかーとするかは、個人差があっていいのですがねっ。
「になります」が「です」を駆逐する時代なので、他の言葉でも例は随分あることから日本語の退化を危惧しています。
日本語の絶滅危惧種を選定(あり得ないけれど)するとして「です。」「ます。」は、上位にランクされるでしょうねー。
日本社会が日本語を正さないのなら、家庭や学校での教育力に期待するしかありません。
「です。」回復運動でも起こらないかなーなんて、他人任せではいられない気分です。