Tsuny'sブログ

老人が感じた日常生活を気ままに綴ったあれこれ

除雪用具の準備OK!

2006-11-30 11:40:52 | インポート
 天気予報は、しばらく降雪が続くと報道している。
 11月22日に根雪に入る予感のする降雪があった後、少しは降るもののまとまった降りはなく、ほとんど融けてしまった。

除雪用具を準備して「来るなら来い」と意気込んではみるものの、根雪にならないと気持ちが落ち着かないのは、まさにこの時期なのだ。

 昨日気温が下がって10cmほど、今朝は予報に反して5cmの降雪だった。
 外気が-6度くらいの真冬日だから陽が照っても屋根の雪はそのままで、白い雲は白い雪が反射しているわけではないが、青空とにマッチしてきれいな雪景色になってまぶしい。

 すでに、雪かき用具を点検し2~3回使ったが本格的に除雪用具の本領を発揮したわけではない。
 写真のようにこれらが最近の定番除雪グッズで、プラスチック製のアイディア商品とも思える商品がぞくぞく店頭に現れ出すピークの時期は、スポーツ店にスキーやスノーボードが賑やかに埋め尽くす時期と同じだ。


 我が家では、まず軽いので2番の雪かきを使うが、壊れやすく雪が重くなると細い柄の握り具合に力が入らないので、3番の柄がより太く先端がスコップのグリップになっている雪かきを使うことになる。

 雪かきのことを方言で「ユキノケ」とも言っていて、昔の竹や木製のを「ジョンパー」といっていたことを思い出させる。
 このノケは、物を移動するという意味で使い、手袋をハクとか、物を捨てるのをナゲルと言うのと同じようなものだ。

 4番のは、浅い雪の時に広い面積の雪を押して移動させる時に使うのに便利。
 「スノープレッシャー」なんて商品名がついて、いろんな大きさや形の違う物が売られ出している。

 5~7番は通称「ママさんダンプ」と呼ばれ大量の雪を押してまとめて移動や運搬させる時に使い、累積して2m以上の積雪地では一番の活躍用具だ。
 ダンプカーのように機能的なのに女の力でもOKというアイディアなのだろうが呼称が面白い。

 1番のアルミ製の大型スコップは、深い雪や固まった雪を「ママさんダンプ」に積んで運んだり、活用幅は広く重宝している必需品。

 これで雪かき用具の準備OK。
 冬期間の運動不足はある程度この除雪作業が補ってくれるから、深雪でも健康維持の親しい雪と考え、プラス思考で親雪と楽しむことにしている。

「生活図画事件」に巻き込まれた人

2006-11-26 23:17:06 | インポート
 先日「生活図画事件」ー獄中記ーという小誌が送られて来た。
 40数年前から、日頃親しくお付き合いいただいている画家菱谷良一先輩からである。
 知っておきたかった内容に強い衝撃に打たれ異常な動揺で一気に読んだ。

 あの忌まわしい戦時下の昭和16年(1941)、当時の治安維持法違反の容疑者で全く身に覚えのないまま、旭川師範学校の寄宿舎から強引に投獄させられた学生の一人が、1年3ヶ月間獄中でさいなまれた堪え難い体験を赤裸裸に、生々しく述べられた実録である。

 その14年後、このことを何も知らずに知らされずに、同じ校舎で同じ美術を学んだ者にとっては、衝撃的であり貴重な文章である。
「生活図画事件」の概略は、本人や当時の下級生で後に教師になった私の中学時代の恩師からも若干聞いて知っていたし、生活綴り方事件の小説三浦綾子著「銃口」によって国体変革の共謀罪を知るのに関連して「生活図画事件」も話題にしたことがあった。

 独り言のように断片的でつぶやくことはあった先輩には この件を深く追求することは出来ないでいた。
 とりあえずと思われる簡素なB5判67頁の小誌には、深く重い内容がぎっしり詰まっているが、いい足りないことも推察できるし、もっと知りたいとも思う。

 卒業を目前にして突如奈落の底に叩き落とされ、極度の精神的苦痛に耐えた日々の記憶を秘めたまま、教職の道を断たれて人生設計を狂わせられた65年の歳月を過ぎて温和で壮健な85歳。

 菱谷良一先輩は、会社生活を退いた後も、美術団体の重鎮として自ら多彩な絵画表現巧みな描写力で独自の世界を築き、絵画教室などで多くの後輩を導いて高い評価を得るなど、地方の美術振興に貢献されている。
 この先輩の姿に、時代の悪夢を背負っている影はどこにも見当たらない。

 巻頭で「人間万事が塞翁が馬の人生そままだった」と述べているが、名誉回復を訴える様子さえ見せず、人生を悟った生き様に敬服するばかりである。

 一見平和に思える世の中に、きな臭い話題が出没し始めたが、不条理・不合理がまかり通るようでは、かっての治安維持法や共謀罪の再来が懸念されてしかたがない。取り越し苦労だったらいいのだが。
 この事件が風化されないように後輩がしっかり伝承しなければならないと思っている。



「父親たちの星条旗」が言いたいこと

2006-11-24 22:39:40 | インポート
 映画「父親たちの星条旗」を観た。
「戦場でやったことで誇りに思うことは全くない」「つくられる英雄ならあるが、戦争では英雄は誰もいない。」という意味のことわかった時には胸を突き上げるものを感じた。

 国のやらせでつくられたプロパガンダの実態、人種差別問題が残るいびつなアメリカ社会、友情を破壊し、参戦した若者の心と人生を狂わせ、莫大な財源を失い、尊い命を奪い、幸せな家庭を奪う人間の一番の愚を映画表現で観た。

 鬼畜米英と教えられていた幼い頃、硫黄島が陥落されいよいよ本土決戦だということは、子どもながらも感じ取り、落胆する大人の姿から硫黄島陥落がどれほど重要なものかよーく知っていた。

 いつだったか忘れたが、フラッグは国のシンボルで、すり鉢山に星条旗を立ち上げる写真が アメリカで有名になっていたことも知っていたので、関心高く気になっていた映画だった。

 いやな思いしか残っていない戦時中を思い起こす映画もTVも、はなるべく観ないことにしていたが、フラッグを扱った硫黄島の映画は、是非映画館で観ようという気になった。

 2時間以上の上映時間だが短く感じ、重くて緊張感の続くシーンにのめり込んでしまったが、鑑賞後は館内が明るくなっても、平常心に戻り席を立つまでには少し時間がかった。
 他の観客も同じように無言でゆっくりと退席する姿が見られるのは、今までになかったことだった。

 久しぶりに人間の尊厳と平和の有り難さを映画で確認させられた。

ルートヴィヒの謎

2006-11-24 01:06:18 | インポート
 2000年の秋、南ドイツのフュッセンに出来たばかりの、豪華なミュージカル劇場で「ルートヴィヒ2世-天国へのあこがれ」というのを観た。
 数奇の運命をもとに創られた物語で、広いステージ一面につくられた幻想的な湖の水面に静かに入水自殺をするフィナーレが印象に残っている。
 ミュージカル劇場は、フォルッゲン湖畔の対岸に建てられ、ルートヴィヒゆかりのノイシュヴァンシュタイン城が見える位置だった。
 
 23日8時から4時間NHK-BS-TVで、伊と西独合作で1980年につくられた映画「ルートヴィヒ」を6年前のミュージカルを思い出しながら興味深く視聴した。
 史実にもとずく創作なのだろうが、ワグナーとの関係や謎の死の表現の違いが妙に面白かったし、ドイツ語でなくイタリア語では感じが全く違うと思った。

また、フュッセンに行きたくなった。

ミュージカル劇場からスケッチ

教育現場は学校だけではない-2

2006-11-22 19:34:01 | インポート
 法の文言には「教育を等しく受ける権利がある・・・」とあるが、この教育は学校教育だけを指しているのだろうか。

 午前中に引き続き参院特別委員会の中継を、子どものいじめと大人のいじめの違いを提示された思いで関心深く視聴した。

 発言中に委員がにやにや笑いながら私語で無視したような不遜な態度は大人のいじめだ。
 やじを飛ばしてあざ笑いとひやかしで、話をそらし妨害するのも大人のいじめだ。

 教育基本法を審議中に、いわゆる「やらせタウンミーティング」の追求が、したり顔の民主党議員(この先生も学校教育現場のことを教育現場と言っている)から細部にわたりしつこく行われたし、後半に他の会派委員と与党政府との質疑応答もあった。

 民主党にとっては、鬼の首を捕まえる絶好の機会なのだろうが、国民にしてみれば教育基本法そのもの中身の内容を、教育理念の本質や原則に切り込んで徹底してやってほしいのであって、この機会に相乗りして、崖っぷちで首根っこを掴み、いじめの見本のごとき息が出来ないところまで追い込んで時間を使い、同じ口から教育基本法審議の時間が足りないと言わないでほしい。
 この件は重要なので別の案件として「いじめ」「授業不履行」「やらせタウンミーティング」など、別の機会を設けて政府をいじめてもらいたい。

 またまた「いじめ」が取り上げられた。
「社会病理的問題としても当事者意識を家庭で持つべき」とも言っているのだが、学校や先生がいじめ対策をやるべきことのみ言っているように聞こえる。

 教育の本拠は家庭である。
 家庭の教育を補うために教育制度で子どもの人格形成を支えているのに加え、適正な情報を新聞・雑誌・TV・Webなどの提供で人格の形成に作用させ、地域社会が人生経験のある大人の目で、多様な機会を通して子どもを共有の財産として温かく支えるのが望ましいことだと考える。

 そうだとすれば「学校たたき」も必要だが、一方的過ぎないか。
 一時期の学校生活と違って、家庭の中で保護者が永劫に親子関係が続く家庭の絆で、幼児期より適時適切に生活規範を培い、対話による深い信頼関係を築くことは当然だとおもう。
 だから、いじめ行為やいじめられて嫌がっている子どもの第一次発見者であることも当然家庭だと思うのだが、残念ながらいじめている我が子を認めたがらず、我が子がいじめられているはずがないとの思い込みが家庭にあるのが現実であって、子どもの学校に於けるいじめの実態把握は極めて困難である。

 いじめられて悩んだあげくに、自殺をその解決選択肢に選びそうな子どもを、家庭で発見できなくても当たり前で、いじめの現場が学校だから、いじめとの因果関係を断定できるのは学校が当然だと割り切れるものだろうか。
 
 生徒指導や生活指導の教師を増やしたり、学校カウンセラーをおいた対処方法がある。
 だからといって家庭教育再生のため「家庭教育アドヴァィザー」とか「家庭カウンセラー」を配置しないと解決しないとは考えたくない。

 地域社会において「家庭カウンセラー」的な機能があるのは、民生委員で児童委員を兼ねているが、機能していない。

 公明党議員が家庭教育を中心に初めて取り上げたが、ほんのさわりの部分で終わった。

家庭で自分の子どもが、他人の嫌がることに関わっていないか、嫌なことをされていないかを、大人の温かい目で察知することで、いわゆる「いじめ」が起こっているのかのかどうかを早期に見極めることから再出発してほしい。
 
 いじめる側や傍観者・加担者に視点を定め、徹底して対処しよう。
 教育の原点は家庭だ。家庭教育現場に注目する大人の教育改革が急務だ。

 私的で独善的な他人の文は読みづらいが、TVの音を耳にしながらの感想の一端だから、読んでもらえただけで有り難く感謝!