Tsuny'sブログ

老人が感じた日常生活を気ままに綴ったあれこれ

地面から噴き出て咲くど根性桜

2015-04-30 23:41:51 | 自然の恵み

春の陽気が訪れたと感じる間もなく、急いで真夏が到来した。4月だというのに連日20℃を越え度々25℃前後の暖気には驚きだ。

昨年より10日も早く桜が開花したが、26℃の夏日だから2本ある桜の木の南側の木が、次の日にはもう満開となった。

       

何という種類の桜かは不明だが、山桜と違って花が散ってから急に葉が出てくる種類で、白に近い薄いピンクで満開の頃は見応えがある。

こんなに早く桜が咲くと、平年のような桜関係の行事も狂ってしまうだろうが、兎に角桜の開花はうれしい。

この桜は、地面近くに根を張り、根の周りから芽が出て茎を立ち上げるので、毎年切り詰めないと桜だらけになる勢いのある生命力旺盛な種類だ。

桜の根元付近に咲いているムスカリ・アルメニアカムに混じって、桜の花びらが見えたので、ムスカリの葉をかきわけると、地面からプリムラのような咲き方で、切り詰めた根から直接花が咲いていた。

    

枝に咲くはずの花が、木の根元からも直接花が咲いていた。

地面から噴き出してきたような桜を見ることは過去にはなく、ど根性桜と言っても良いくらいに、いじらしく見えて感動した。

このところ身体が重いので、この生命力にあやかって、元気が噴き出てほしいと願っている。


恐怖心で歯の治療をうけた歯無しの話

2015-04-08 00:26:13 | くらし

10年以上通っていて歯科医院の治療内容変更から、治療を断られたので、別の医院に行くことなった。

入れ歯を支える犬歯が折れてしまった緊急の事態に、早く直してまともに食事がしたい一心で、兎に角まずは直近の別の医院を選んだのだった。

医者を代えるのは、同じ類の歯科医院であっても、初めての歯医者は不安が一杯だった。

結局のところ、新しい入れ歯を作り替えたこともあって、2月の中旬から7回目の通院治療で4月7日が終わりだった。

 

以下は、得難い体験による、ある患者の一方的で勝手な個人的感想である。

まずは初回、白いマスクの覆面受付嬢?らしき暗い感じの人物に、受付で治療の手続きをした。

新患者は、まな板の鯉の覚悟で医者を信頼してここを選んだのに、歓迎されない客を迎えたように、極めて事務的で温か味に欠ける対応に先が思いやられた。

治療室内に柔らかい響きのジャズが流れていたので、待ち時間は和ストレス解消に役立ったが、明るい雰囲気とは言えない約2ヵ月の間の通院は、恐怖感に似た気が重い気分だった。

椅子に座ってからの度々の待ち時間は、いろんな事を考えていたが、以前通っていて慣れた医院と比べていた。

医者と患者のコミュニケーションの取り方が大きく違うことや、医者やスタッフが治療上の都合でマスク覆面で患者に対応する意味を理解できるが、患者は口を露出させてマスクをしなくてもいいのだろうかなど、くだらない事柄を老人は暇つぶしにあれこれ思い巡らせていた。

 

これから何が起こるのか知りたいのに、説明らしい言葉も無く、いきなり「開いてくざさい。」(あれ「開けてください。」ではないのか。)開けたままでは口の中が乾いてくっついてしまうのに、そのまま「噛んでください。」ではやりきれない。

医者の都合なのか、患者のためなのか「口をゆすいでもいいですよ。」と「口をゆすいでください。」との違いは分からない。「噛み合わせの具合はどうですか。」くらいは尋ねてほしい。


終始マスク覆面での応対で、背後からいつ迫ってくるか分からないし、背後からでは目を合わせての対面の会話は全くできないのだ。挨拶の時も最後まで素顔での笑顔を見ないままだった。

何をされるのか分からない不安や恐怖感を和らげる言葉もなしに、頭の先まで突き刺さっている感覚の痛さに身をのけぞらしても、ぐいぐい仕事を進めるのは、よほどの自信があるためか、坦々と強引に仕事をこなす工事人風の熱心さは立派だ。

ちなみに、この医院のウエブサイトには、皆さまにとって「心地の良い医院」になることを目指しているとあり、お客さまの笑顔がスタッフ一同の何よりの喜びです、とも記されているし、院長は患者さんに対し優しく、明るく、痛くなくをモットーに・・・・とある。

そんな期待もあったので、スタッフの笑顔が見えないマスク覆面と、姿の見えない背面からの対応において、ウエブサイトの笑顔との差が大き過ぎたのだった。

 唯々、よく噛める食事が普通に出来るようにしてほしいだけなので、何をされようと全て医者任せだから、何でも治療する側のやりやすいようにすればいいと信頼しきっているのだが、少しは大事なお客さんとして優しい扱いもされたいと思った。

最後の治療時には、質問も出来たし具合良く治療が済んだので、終わり良ければ全て良しで、めでたしめでたし。

 

 


~かな付き言葉の曖昧感想

2015-04-02 22:23:17 | ことば

TVで日本語の上手なアメリカ青年ニコラス・エドワーズさんのことを知った。

上手な日本語で話すだけではなく、美しい正統な日本語を話すことに感心した。

長く外国に暮らしている日本人は、昔の美しい日本語で話すうえに適切な慣用語や熟語の使い方が正しいので、ハッと気付かされることがある。

思い過ごしであればいいのだが、最近もう我慢できないくらいに気になる日本語表現に関心を持っている。                                    元々の美しい日本語を忘れてしまい、何気なく語っている日本語が劣悪化傾向にあることや、望ましい日本語表現の変化に関心が薄くなっている日本人が多くなってきたと思っている。

例えば、自分の意思をはっきり伝えなければならない場合の言い回しが曖昧なことだ。

一般人ではなく政治家が断定すべきところ「~だろう。」とか「~かと思う。」と明言しないのには強い違和感がある。言いきれない後ろめたさが伝わって、本気でないことが透けて見える。

この場合「良いことだろう」と推定や推測で言っているのに、TVの字幕は「良いことだ」と断定として出るし、新聞や雑誌でも「良いことだ」と印刷されている。

ホームランを打った後のヒーローインタビューの野球選手や、その他の競技で勝利したアスリートがインタヴューに応えて「~で良かったと思います。」と言わず「~で良かったかなと思います。」と曖昧に言うのをTVで度々視聴することがある。

良かっかどうかは分からないと言った方が、明言するより奢りに聞こえないと思い違いをしてるためなのか、それとも流行の言い回しに流されているのか、かな付き言葉で感想を聞きたくはない。

自分自身の気持ちもはっきり言えず「嬉しいかな・・・」なんて言うのを聞くこともあるが、自分の感情を疑うのは情けないことだ。

同じ類いに「~です。」「~でございます。」と言わずに「~になります。」とか、「~は、」「~については、」「~のことは、」を「~のほう」と意味不明な言い回しは不快感が残る。