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Tsuny'sブログ

老人が感じた日常生活を気ままに綴ったあれこれ

上海の虹口エリアで歴史の一端に触れる

2017-10-06 22:31:13 | 旅行

上海の虹口について歴史的にも関心と興味があった。

地下鉄「虹口足球駅」で降り、虹口地域の一部分を散策したが、その日は32℃以上の暑い日で、22~24℃で生活していた身にとっては行動が鈍る辛い気温だった。

          虹口サッカー場

虹口地域は、日中戦争時代に、一時は10万人を超える日本人が住んでいて、当時は「日本租界」と呼ばれ日本人街が形成されていたエリアだ。

レトロな建物が目立つので、日本租界時代の街の雰囲気が想像できる。 

    

      

        

この裏通りあたりには、中国近代文学の父「魯迅」の故居がある。


         魯迅公園と魯迅記念館への門

1932年の上海天長節爆弾事件のあった「魯迅公園」内にある「魯迅記念館」(1951年建立 1999年再建)には、魯迅に関する書籍・遺品・一生の事跡・木版画など数々の資料が集められていた。魯迅のことをよく知らなかったので、改めて認識を深めることができた。

       

興味深かったのは、予想していなかった数多くの木版画の展示だった。国民党に反逆する反体制思想家に関連したテーマで、彫りの鮮やかさが際立ていた。

     

      

これらの木版画表現は、私の木版画制作活動の原点なのだという事を再認識でき、感動しながら鑑賞した。


上海の地下鉄を楽しむために

2017-09-18 13:23:48 | 旅行

上海での地下鉄利用は、地下鉄のない小都市に住んでいるので者にとっては上海でなくても当然ながら緊張する。

初めての時はチケットを買う時から難儀するが、迷いながらも慣れてくると市内探索には欠かせない頼りになる足だ。

改札口の前で、航空機に乗る時の荷物検査と同じで、いちいちカバンなどを検査機内を通なければならないので面倒くさいが、こんなものだと思えば気にならなくなる。

 

日本で入手したガイドブックやネット検索での上海地下鉄路線図の駅名は、日本語の漢字表記が殆どで、現地では簡体字なので使い物にはならない。

中国語(簡体字)であっても、駅に標示されているのは簡体字なのに、更に簡略化された異なる字体のこともあるから厄介だ。

例えば、路線図では「江寧路」で「寧」が簡体字で標示されている。漢・龍・華・橋・雲・長・東などなどは簡略された字体に替わっている。

      

  ホームには、半透明の壁て仕切られていて、到着時にドアーが開く

ホームを挟んで方向の違う列車が入ってくるので、方向を間違えないように、簡体字で標示されている次の駅などを確認するが、読めない簡体字の場合は、変換しなければならずやっかいで焦ってしまう。

駅にあるパンフレットの地下鉄路線図であれば、文字が小さ過ぎるが駅名が簡体字なのでよくわかるので有り難い。

    

料金は初乗り3元(1元19,2円で両替したので約58円)。

試しに一日券(24時間乗り放題)を18元(約345円)で購入して活用してみたが、チケットを買う手間と時間がかからずとても便利だ。

        

     一日券(一日票)[3日券(45元=約864円)もある]

地下鉄路線図の路線が交差する駅で乗り換えできるばずだが、駅によっては一旦外に出て2~300m歩いて乗り換え駅へ進むが、初めての場合は不安な気持ちで探さなくてはならない。

 

地下鉄路線図を見て、路線(1~13・16号線)と行き先駅と乗り換え駅を確認するのは嫌いではなく、むしろこの作業が楽しいくらいだから苦にならない。

苦になるのは、階段を上下するには衰えた足の筋力が悲鳴をあげることだ。

気温32℃なのに、駅内も車内も適切な温度に管理されていたので快適だった。

 

上海訪問は3回目なのだが、段々と地下鉄利用に慣れて快適に上海市内を巡ることが出来るようになり、少し遠くまで足を伸ばしたくなってきたころには帰国。

                       

 

上海の歌うタクシードライバー

2017-09-16 22:43:57 | 旅行

旅の醍醐味の一つに、慣れない現地の乗り物に乗る楽しみがある。

外国での場合は所詮旅人だから、異国の言葉ペラペラであれば効率よく乗りこなせるのだろうが、言葉に関係なくいろいろ予想外の驚きに遭遇するものだ。

 

最初の上海の旅では、恐怖のぼったくりタクシーで失敗したので、再度ガイドブックを参考に、失敗無くタクシーに乗ることができるようになったと思っていた。

今回も上海浦東空港のタクシー乗り場からホテルまで、タクシーを使った。

           

上海時間で午後6時30分頃だったが、幸いにも待ち時間なしで係の指示に従って指定のタクシーに乗ることができた。

行き先を簡体字で書いた紙片を渡した。「行き先直近の交差点の道路名を書くと分かり易い」とガイドブックにはあったが、住所とホテル名だけ書いた紙片だったので、ホテルに着くまで若干の不安があった。

 

発車後にもっと不安なこととなったのは、ドライバーのスマホを見ながらのあきれた運転ぶりだった。

ホテルに着くまでの約45分間、殆どスマホ片手に時々大声で歌ったり、話相手を複数替えて何者かに話し続け、明らかな前方不注意運転なのだ。

客のことを忘れたか無視してか、大声だったり小声だったりで歌うのだからあきれかえる。

       

メーターを覗くと時速80kmを越えているから、危なくて気が気ではない。

中国語でニーハオ(您好)シェーシェ(谢谢)くらいしかわからないから、話かけることはできず無言で無事を祈るしかなかった。

209元の料金に対して、小額紙幣の持ち合わせがなかったので300元渡すと、おつりとしてか80元渡されたので、足りないことを手話のようにして伝えると10元だけかえってきた。しつこく足りない1元を請求してやっと91元のおつりを獲得した。

市内でも何度かタクシーに乗ったが、こんなことはなかった。

 

帰りのホテルから上海浦東空港までのタクシーは、2010年の上海万博の時に登場した車種で、ガイドブックには殆ど紹介されていない車種だ。

       

早朝5時30分出発だったためか、パンを食べながらスイスイと追い抜きながら、時には120kmの猛スピードを出して突っ走った。昨年の同じ区間のタクシーも、こんな無謀運転だった。

同じホテルと空港間でも行きと帰りの料金の差が65元だったが、ドライバーによってルートが違うにしても差があり過ぎだ。

数少ない上海でのタクシー経験なのに、平常とは思われない貴重な経験だったが、ガイドブックには掲載されない事柄だ。


入国時の関税で不審者に選ばれた

2017-09-14 23:13:45 | 旅行

旅の醍醐味の一つは、地図を頼りに未知の目的地にたどり着いた時の達成感だ。

予期しない出来事を乗り越えた時も同様で、思い出として心に残るが、愉快な出来事

ならばいいのだが、悔しさが残ることもあるものだ。

今回の上海への一人旅は、3回目ということもあって余裕があり、程よい緊張感で地下鉄を有効に利用して巡り歩き、新発見や気付きが多かった。

多くの楽しい思い出となったが、新千歳空港に着いて安堵していいいはずの最後になって苦い出来事があった。

最後の入国手続きの関税で不審者として取り調べられたのだ。

これまでに何度も入国の経験があるが、何十年前の荷物検査以来ずーとなかったので、意外なことで戸惑い動揺した。

入国時には関税係官から全員が質問をうけ、携行物の中身を調べる検査を受けることになっているので仕方が無いのだが、係官が任意に目を付けた者に限られている。

風貌や言動にどんな不審な点があったのだろうか、どんな観点から目を付けられたのか訳がわからないが、不審者と見なされて携行物の中身を調べる検査を受けたのだった。

関税申告書(携帯品・別送品申告書)の同伴家族の欄を空欄のままだったので、同伴家族がいなければその欄にOと記入するように指示された。

                                           

(日本旅行業協会のサイトの携帯品・別送品申告書の記入例によると、同伴家族の欄には空欄のままになっている。)

この老いぼれた薬物の運び屋の他に、同伴者がいるはずだと察したのだろうか。

係官として忠実な職務遂行なのか、バッグに手を突っ込んで、内容物をかき回して何かを探した。

せっかく時間をかけてパッキングしたのに、何もかもぐしゃぐしゃにしての取り調べだった。

                                          

プレゼントされた開封前のPINE NUTSの小箱をようしゃなくバリイッと開けて中から密封された小袋を取り出したが、それまでのことだった。

あぁーなんということだ。帰宅後に中身を見るのを楽しみにしていたのにー。

明らかに薬物の運び屋と見なしての行為だが、屈辱的で平穏ではいられない気分悪いことだった。

疑いが晴れて、あっさりとした詫びの言葉があったにしても、気分は晴れるはずがない。

その場で時間をかけてのパッキングのやり直しは、情けない気分だった。

 

この旅の最後の苦い思い出は、忘れることはないだろう。


50年前のアンコールワット

2014-10-10 23:35:40 | 旅行

1010日は、幾つもの記念日になっている。

語呂合わせなどにからめた発想で、1010を串に刺すと肉団子を連想するので「肉だんごの日」・1010を横にすると眉毛と目の形になるので「目の愛護デー」・1010を千(セン)と十(トウ)と呼びセントウになるので「銭湯の日」・1010をトトと呼び、幼児語で魚をトトと言うことから「釣りの日」などなど。面白い。

記念日50年前の1010日は東京オリンピックが始まった日だから、2000年以前は「体育の日」だったが現在は10月第2月曜日だ。

毎年、体育の日の10月10日から東京オリンピックへと連想し、更に東京オリンピック開催の年に外貨ドルが500ドルまで解禁されたことが思い出される。

その50年前の忘れられないのは、一般に買うことができた500ドル解禁を待って、ひとり旅でカンボジアのアンコールワット周辺に1週間滞在したことだ。

                     

当時アンコールワット正面横にあったホテルから、徒歩数分でこの景色を眺めることができたし、他人が殆ど見当たらないから、7月のスコールを避けて常時静寂の中ゆったりと過ごした。

入場は有料で大勢の観光客で賑わっている現在の写真を見ると、さすがに50年前は大昔なのだと実感する。

                     

たまたま出会ったアンコールワットを見回りにきた係官と会話したが、英語は苦手だと言っていたわりに、フランス語なまりだが流暢なイングリッシュだった。以前にフランス領だったから、ここの外国語はフランス語だった。

いつでもどこからでも出入り自由なので、毎日隅から隅まで歩き回ったが、案内人もなく一人では寂しくもあり、度々出会うアプサラスたちが見つめているのは唯ひとり私だけだと思うと、不気味に感じた時もあった。

                                      

10月10日→東京オリンピック→外貨自由化→カンボジア→アンコールワット→アプサラスと、連続して蘇る50年前の記憶がより鮮明になる10月10日は、私だけの「アプサラスの日」だと思う時がある。

アプサラスに再会することを、まだ諦めてはいない。