山形の森 保守醒論

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外交非礼など、何とも思わない蛮国「北京政府」に隷従する媚中売国の徒

2008-04-25 12:37:49 | Weblog
毎日新聞の岩見隆夫編集委員のコラム記事で、新井弘一元東独大使が最近明らかにした話として、1970.3当時、新井が香港総領事館の政務担当領事のときにあった、松村謙三訪中団一行に対する周恩来首相の外交儀礼を欠いた行動に触れている。
予定された周首相との会談を(中国入国後に)一ヶ月近くも待ちぼうけを食らったとされる。
この間、周恩来は北朝鮮を訪問、金日成首相と会談し、日本軍国主義と佐藤政権を弾劾する“中朝共同声明”が大々的に発表された。
さらに、周訪朝の前日には、よど号乗っ取り(3.31)の赤軍派が、平壤空港に降立っている。
リーダーの田宮高麿は「我々は(北朝鮮に)軍事訓練を受けるために来た」と世界同時革命論をぶった。
金日成は、よど号犯を「彼等は金の卵だ。(利用できるから、日本の身柄引渡し要求には)断固、反駁せよ」と部下に指令した。
金日成と周恩来の会談で“よど号事件”(赤軍派の利用工作)に及んだことは違いないところだ。
4.19、約一ヶ月の待ちぼうけを受けて、険悪な空気のなかで会談は行われ、周は「佐藤首相攻撃」と「周恩来四条件」を打ち出して、台湾との取引を行っている企業は、対中貿易から閉め出すなどの方針を突きつけた。
このような非礼の会談でありながら、羽田空港に帰着した松村らは、自らの訪中成果と中国側の厚遇を異口同音に語り、それが新聞各紙で派手に報じられた。
田川誠一、岡崎嘉平太・日中覚書貿易代表(元全日空社長)、広岡知男朝日新聞社長らが同行したのだが、朝日は文革礼賛のお調子記事を掲載、翌71.5に、主筆制を復活させ広岡社長(兼務)が社論の全権を握った朝日新聞は、本多勝一を訪中取材(6.15~7.末)に派遣させ、媚中売国のプロパガンダ路線まっしぐらとなった。
自民党内の親中派議員は、松村・田川の師弟コンビと田中派・大平派に繋がるラインで概ね形成され現在に至っている。
河野洋平は田川誠一(元朝日記者)と従兄弟関係で河野一郎・朝日新聞倣いの容共勢力は深く根付いている。
喉頭癌の入院で池田退陣必至のころ、吉田茂は池田に書簡を送り「河野(一郎)のような容共政治家を許すな(首相後継にあらず)」としたためている。
臣茂は岸信介とともに、真正保守派の両雄になる。

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