山形の森 保守醒論

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“山口小夜子”没一周年で、想起する「我が青春」の瞬

2008-08-14 22:40:37 | Weblog
昨年の(2007)8.14に、世界的トップモデルだった「山口小夜子」が死去、死後一周年との記事が、08.8.14産経新聞に載った。
かつて、山口小夜子と出会ったことを私事ながら思い起したことがある。
1975(昭50)、いまは亡き東由多加率いる「東京キッドブラザース」で、民音が後援した「十月は黄昏の国」の公演(6.12~7.読売ホール・郵便貯金ホール)の事前ポスター撮りで一緒したことだ。
75初春あたりだったと記憶するが、東さんの劇団運営に両腕的存在の(静岡・清水市出の)山田姉妹がいて、(山田さんの)母上から「Mさん、普段着でいいから(ポスター撮影に)お願いできないかしら」と言われ、上下デニム地(ジーンズ姿)の様相で六本木スタジオに出向いた。
被写体6~7人でポスター撮影を終えた後、六本木交差点近くのパブで確か?「カンタベリーハウス」と記憶するが、“お疲れさま”の一席があった。
被写体側にどんなメンバーが居たか、いまでは定かではないが、主演の加川良・山口小夜子・国谷扶美子・(東由多加)・・・などは記憶にあるが、柴田恭平(山田姉妹の同郷)が居たのかは記憶にない。
東さんは、その後も私の部屋(当時オーディオに凝っていた)を訪れ、丸山明宏の「メケメケ」のLP盤を持って(次の企画中だから)視聴させて、と見えたことがある。
それ以上のことはないが、いま、東由多加・山口小夜子の死を現実に受け止めると、旧き青春期の瞬を思い出す。
1975「十月は黄昏の国」の公演ポスターをお持ちの方、コピーでも頂けないだろうか。
歳を重ねると若かりしころの身を思い出すことしきりとなる。
(清水市)山田のオバチャンは今も元気だろうか。


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