新年明けの10日、デビッド・ボウイが69歳で死去した。
2013年に約10年ぶりのアルバムを発表するも、以降、がんで闘病生活を送っていたようだ。
1973年4月、デビッド・ボウイ来日公演(東京厚生年金会館)を観に行ったことを思い出している。
当日券を求めたのだが、運よくキャンセルがでたものか、前から二列目の席をゲット。
臨場感溢れるボウイのエネルギッシュなステージパフォーマンスとサウンドに興奮した。
当時、ブログ子はロックに魅せられ、レッドツエッペリンなど、ハードロックを良く聞いていた。
オーディオにも費やし、ソニーのFシリーズのアンプ・チューナー(約20万円ほどだった。他にプレーヤー・スピーカー・・・)を買い求めて、ガンガン騒いでいたものだ。
年二回ほどの、知人が寄り集まったパーティには、これらを持込み、ディスコミュージックを鳴らし続けた。
会場とした赤坂6「S」は周辺開発とともに、今ではマンションに変わってしまったようだ。
ボウイのアルバム「アラジン・セイン」も、オーディオキットと一緒に実家の物置に仕舞い置いてある。
故障はしていなかったので、いまでも聞けるはずなのだが・・・・・。
東京厚生年金会館は、前年(1972.9)のクリフ・リチャードの日本公演もよく覚えている。
当時は、まだ無名だったオリビア・ニュートン=ジョンが、クリフの前歌とバックコーラスとして初来日していた。
東京厚生年金会館(新宿5)は2010年3月末で閉館。 半世紀の歴史(1961.4~2010.3)に幕を閉じた、
デビッド・ボウイの「スペイス・オディティ」は、現在の宇宙空間でも時の流れを感じさせない。
2013年に約10年ぶりのアルバムを発表するも、以降、がんで闘病生活を送っていたようだ。
1973年4月、デビッド・ボウイ来日公演(東京厚生年金会館)を観に行ったことを思い出している。
当日券を求めたのだが、運よくキャンセルがでたものか、前から二列目の席をゲット。
臨場感溢れるボウイのエネルギッシュなステージパフォーマンスとサウンドに興奮した。
当時、ブログ子はロックに魅せられ、レッドツエッペリンなど、ハードロックを良く聞いていた。
オーディオにも費やし、ソニーのFシリーズのアンプ・チューナー(約20万円ほどだった。他にプレーヤー・スピーカー・・・)を買い求めて、ガンガン騒いでいたものだ。
年二回ほどの、知人が寄り集まったパーティには、これらを持込み、ディスコミュージックを鳴らし続けた。
会場とした赤坂6「S」は周辺開発とともに、今ではマンションに変わってしまったようだ。
ボウイのアルバム「アラジン・セイン」も、オーディオキットと一緒に実家の物置に仕舞い置いてある。
故障はしていなかったので、いまでも聞けるはずなのだが・・・・・。
東京厚生年金会館は、前年(1972.9)のクリフ・リチャードの日本公演もよく覚えている。
当時は、まだ無名だったオリビア・ニュートン=ジョンが、クリフの前歌とバックコーラスとして初来日していた。
東京厚生年金会館(新宿5)は2010年3月末で閉館。 半世紀の歴史(1961.4~2010.3)に幕を閉じた、
デビッド・ボウイの「スペイス・オディティ」は、現在の宇宙空間でも時の流れを感じさせない。
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