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非道国家・北朝鮮と脱北者家族の苦難を描いた韓国映画「クロッシング」

2010-06-08 00:25:13 | Weblog
非道国家・北朝鮮と脱北者家族の苦難の逃避行を描いた韓国映画「クロッシング」を観た。
シナリオを述べることよりも、このような現状が存在し、歴史的に日本として深く関係する面があることを論じたい。
日本は、この非道国家(北朝鮮)に帰還事業として、1959.12~1984.7に亘り9万3千余人を送り込んだ。
うち日本人妻は1831人を数えるとされる。
映画「クロッシング」は現在時を描いているが、帰国事業開始時点の半世紀前に、すでに非道国家・北朝鮮に値する状況にあったことがその後の脱北者等の証言から判明している。
ブログ子に過ぎることはなぜ半世紀も、せめて拉致問題が公式に判明した20年ほど前(1988.3梶山国家公安委員長答弁)から、解決策を見い出せなかったのかと悔いてみる。
1959.12.14、新潟港から第一次帰国船が出港した。が、ここで驚くべきことは、帰国人と称された在日朝鮮(韓国)人が、生まれ故郷(出生地の98%は南の韓国出身者)に帰った訳ではないことである。
親ソ中の共産・社会主義者、マスコミが挙って煽動する「地上の楽園」を信じて、ほとんどの南生まれの韓国人が「未知の祖国」北朝鮮に帰還(人質移民)したということになる。
いま解釈すれば、北朝鮮は共産主義楽園地との甘言を弄し人質を得たことになる。
そのことが今日までの日本・韓国・北朝鮮(中国)を含む極東の緊張した政治関係につながっている。
帰還事業開始から翌年の1960.8、日朝協会使節団(慶祝15周年訪朝、秘書長・寺尾五郎)が、帰還者の生活状況を見るべく訪朝をしている。
寺尾五郎は宮本顕治の元秘書で、戦後、早稲田大に共産細胞を創った指導者、共産党発表(1946.6)の『日本人民共和国憲法草案』も起草している。
(1946.2社会党も「憲法改正案要綱」を発表、護憲を叫ぶ社共勢力も便宜主義的反対で、政権についた際には改憲を考えている)訪朝使節団の一員であった関貴星・岡山本部議長は、帰国後に「楽園の夢破れて-北朝鮮の真相」を刊行したが、マスコミは真実の悲惨さは取り上げずに、寺尾が著した「朝鮮・その北と南」で快適な楽園生活を紹介、虚構の楽園説をたれ流し続けた。
「地獄へのおくりびと」を煽動してきた共産・社会主義者、市民派を名乗る左翼勢力からいまだに反省の弁を聞くことはない。
横田めぐみちゃんを拉致した北の工作員・辛光洙を擁護解放した菅直人が首相に就任するわけだが、韓国蘆武鉉政権の日本版であってはならない。
(1960.8)総勢24名の使節団には石田次郎・国労山形支部長(山形県帰国協力会幹事長)、田辺誠・群馬地労評議長(後の社会党委員長で議員になる直前)なども名を連ねている。
「地上の楽園は地獄の果てだった」と解かっていながら、人質を送り続けたサヨク勢力の罪は重い。脱北者家族を描いた映画「クロッシング」、必見。

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