山形の森 保守醒論

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「今太閤秀吉・田中角栄」の直系、竹下登(徳川家康)と小沢一郎(織田信長)

2007-11-08 22:19:56 | Weblog
「今太閤」と評された“田中角栄”、閨閥・学歴も無く、自らの才覚のみで首相の地位までのし上がった、稀有な人物である。
戦後復興、高度成長時代に符合する寵児として、国民多くの支持を得て、現代の太閤(豊臣)秀吉と重ね合わせた総称で呼ばれた。
その直系にあたる「竹下登(徳川家康)」「小沢一郎(織田信長)」の気性が、角栄後の政治状勢の変遷に如実に現れている。
一つの政治劇場と言う舞台で、これほど三方の個性ある役どころを表現する場は、他に無いだろう。
角栄はロッキード事件で一線退却を余儀無くされたが、いま、(小沢連立政局で)時の人“読売の渡辺恒雄会長”に「総理になるのが10年早かったよ。」(福田に先じて、金力専権で失脚した後悔?)と幾度も口にしている。
が、政治的野望実現に田中は“政治権力をカネで買う(に頼る)”実践を行なった。
ブログ子は当時の周辺関係者から聞いた話だが、札束を敷き詰めたダンボール箱が部屋一杯にあったと・・。
残った(ダンボール)箱はどこへいったやら、と、御伽噺を聞くようだった。
カネの前に、手のひらを返す政治家諸侯に、忸怩も拘りも見出すことは無理のような事態だったのだろうが、一時の停滞の期の隠れた逸話として、今も語られている。
自民党田中系政治権力の転換の実践こそ、反経世会の小泉政権樹立であり、金融・産業構造改革の端緒となった。
その後継の中で、安倍晋三は、日本固有の歴史・文化の改論は許すまじ、との信念を通したことには、評価したい。
父安倍晋太郎が病床にある時(91.2ごろ)、病状回復になればとKからの指示で、季節はずれで貴重な「ハウス栽培(天童)のさくらんぼ」を当時・秘書だった晋三宅(原宿駅近マンション)へ届けた。
91.5.15、安倍晋太郎死去・出勤の朝、洗面していた時、細君から「臨時ニュースで、安倍さん亡くなったよ。」との声に「とうとう来たか。これからどうなるだろう」との思いに振れながら家をでた。
増上寺で本葬が挙行された。
あらためて合掌、国家理念、身中の柱としての安倍晋三の再起に期待する。

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